2018年7月 5日 (木)

【内側追抜】某前次官講演

「政権賛美なら後援するんですけどねえ」

   ――某県・市教委

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2018年6月30日 (土)

教育振興基本計画 もう廃止したら

 6月15日、「骨太の方針」はじめ一連の政府計画が閣議決定された。そこに第3期教育振興基本計画が含まれていたことに、どれほどの人が気付いただろう。

 文部科学省にとって振興計画は、改正教育基本法の目玉であるはずだった。というより改正に及び腰だった文科省が踏み切ったのは、振興計画を盛り込みたかったからに他ならない。2001年11月の「教育振興基本計画の策定と新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方」という奇妙な諮問が、それを象徴している。

 06年の教基法改正を経て、08~12年度、13~17年度と5年計画が策定されてきた。しかしこの10年間、振興計画が何がしか国の教育行政にプラスとなっただろうか。

 第1期計画は、単に各局課の政策課題を総花的に並べたにすぎなかった。第2期は「自律」「協働」「創造」というコンセプトを掲げ、局課横断的に課題を整理したが、結局は整理しただけに終わった。

 第3期は「基本的な方針→教育政策の目標→測定指標・参考指標→施策群」という構成で、客観的な根拠を重視した教育政策を推進するという。今はやりのエビデンス・ベースだ。政策目標や施策を総合的・体系的に示す「ロジックモデル」なるものも示した。こうした新機軸は、どれほど有効なのだろう。

 文科省が振興計画に期待したのは、そこに予算増額の根拠を盛り込むことだった。そこには省庁再編前とはいえ科学技術基本計画の“成功体験”があった。しかし第1期から財務省などのけん制により、積極的な文言は1行も残らなかった。「教育投資の確保」をうたう第3期にしても、結局は同じことだ。

 そのくせ一部とはいえ高等教育の無償化という非常に大きな予算化は、政権の不可思議な意向で突然降ってきた。振興計画の審議とはまったく関係なく、むしろ政府方針の後追い、追認を余儀なくされている。

 そもそも審議の過程で「第2期の検証が不十分ではないか」という指摘がたびたび出されていたにもかかわらず、ほとんど顧みられることはなかった。検証できない計画とは、いったい何なのか。今度は測定指標・参考指標があるから大丈夫だというのかもしれないが、指標の設定についての論議はお世辞にも精緻だったとは言えず、ほぼ事務局案を丸のみしたにすぎない。

 何の論議もなかったものもある。学校安全をめぐる「非常時の国民保護における対応等」が一例だ。文科省事務局から何の説明もなく審議過程で突然挿入され、中教審委員からの質疑も皆無だった。それでいて国際情勢が変わったから自治体の「ミサイル訓練」が不要になったというのだから世話がない。

 この10年ではっきり分かったのは、しょせん「文科省の行政計画」について内閣にお伺いを立て、承認してもらうものでしかないということだ。それも、政権への忖度(そんたく)をたたっぷり利かせての上でである。「政府計画」の建前が聞いてあきれる。

 そんなものなら省内の会議でやればいい程度のことだ。30人もの委員で専門の部会を設けても、ボトムアップというより事務局主導で案が固まっていっては会議費さえ無駄に思える。

 第3期計画も、教育政策のPDCAサイクルを事あるごとに強調している。しかし、そもそも中教審の審議過程、もっと言えば文科省自身にPDCAサイクルが働いているのか。どうせ政権への忖度が優先されるのなら、最初から言わない方がいい。当面あり得ないことだが、次に教基法改正が持ち上がったら振興計画に関する17条は廃止してはどうか。たぶん都道府県振興計画の担当者以外、誰も困らないであろう。

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2018年5月31日 (木)

モリカケ問題 本質は「行政のゆがみ」だ

 30日に行われた党首討論で安倍晋三首相は、森友学園問題の本質は首相や昭恵夫人の働き掛けではなく、なぜあの値段で引き渡され、小学校設置が認可されたかだと主張した。

 しかし加計学園問題も含め、首相や夫人の指示もないのに忖度(そんたく)によって「一点の曇りもない」プロセスを経てその意向を実現させる完璧なスキームが作られたのだとしたら、その方が空恐ろしい。

 むしろ問題の本質は、前川喜平・前文部科学事務次官が指摘するような「行政のゆがみ」が霞が関にまん延していることだろう。それはモリカケ問題にとどまらない。

 今国会では、東京23区内の大学新増設を抑制する地域大学の振興法が可決・成立した。しかし同法には、あまり報じられない例外がある。「専門職大学等」だ。

 そもそも専門職大学等の成り立ちからして怪しい。「新たな学校種」から高等教育機関への位置付けと変遷はしたが、何としても専門学校を格上げしたい意向が働き続けていた。2019年度開設を目指して設置認可を申請中の学校法人を見ても、それは明らかだろう。

 「社会人の学び直し」や学生の経済的支援にしてもそうだ。実務家教員を増やすという名目に、専門職大学等を優遇しようという意図が透けて見える。

 かように文教行政ひとつ取っても、違和感を抱くことがたくさんある。おそらく他の行政分野では、もっとだろう。嬉々として省益拡大を図ろうとする官庁もあるようだが。

 それで行政がただされるのだとしたら結構なことだ。しかし無用の改革で、かつ首相周辺の「お友達」のみにしか利益が及ばないものだとしたら、どうか。

 行政のゆがみのツケを負わされるのは、国民だ。そのことが最も深刻な問題の本質と言うべきだろう。

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2018年5月17日 (木)

【社告】本社社員出演情報

 〔中国地方注〕あす朝7時14分ごろ、広島RCCラジオ『本名正憲のおはようラジオ』に、本社論説委員が電話出演を予定しています。テーマは「先生が足りない!教育現場の現状とは」。

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2018年4月10日 (火)

文教行政の危機 政官の関係を見直す時だ

 森友・加計学園をめぐる忖度(そんたく)問題、前川喜平・前文部科学事務次官の授業内容に対する文部科学省の照会問題――。防衛省の日報問題は本社の範囲外なので論じないが、根は同じである。安倍1強体制の下で、前川氏が言うように行政がゆがめられている。

 「政治主導」は民主党政権が打ち出したものだが、少なくとも文部科学省においては政権発足当初の混乱を別にすれば、比較的うまく対応していたように思う。それは55年体制の下で、野党も含めた全方位的な国会対応によるノウハウがあったからだろう。

 しかし安倍自民党が政権を奪取し政治主導を狡猾に利用するようになると、文科省も他省庁と同様に相対的自律性を急速に失っていく。その中でも前川氏は、よく「面従腹背」を保っているなと当時から感心していたものだ。

 それでも下村博文氏が文部科学相の時には、誰が「主導」していたかが記者会見などで目に見えていた。自民党の「隠れキリシタン」(前川氏)馳浩文科相もそうだ。しかし水面下および松野博一文科相以降は、誰がどういう過程で忖度を迫っているかは、少なくとも国民には見えなくなっている。

 既に論じられているように、内閣人事局が霞が関にさまざまな弊害をもたらしていることは明らかだ。文教行政にとっても、一刻も早い廃止が求められよう。

 時々の政権が政治決断によって政策を主導するのはいい。それが民主主義の原則にかなっているからだ。しかし、それにブレーキを掛けて至極まっとうな政策に練り上げるには、官僚の力が欠かせない。政権に対する相対的自律性が、今こそ求められる。

 55年体制の時代がすべて良かったと言うつもりはないし、経済成長が望めない財政難の時代にあって、それが復活できるものとも思えない。だからこそ、政権交代時代に対応した政官の関係を見直す必要がある。

 気になるのが、省内での世代交代だ。天下り問題に伴う人事の混乱も相まって、かつての文教行政の“常識”が急速に失われているのではないかと懸念する。前川授業照会問題は、その典型だろう。

 何より行政のゆがみは、教育現場にツケが回される。しかし政権や与党の勝手に振り回されている場合ではない。22世紀まで生き抜く子どもたちにどういう教育を行うべきか、そのための条件整備はどうあるべきかについて真摯に考え、限界の中でも実現を図ろうとする文教行政が、今ほど切望される時はない。

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2018年3月18日 (日)

前川氏授業の調査 深刻な文科省の「世代劣化」

 名古屋市立中学校が前川喜平・前文部科学事務次官を講師に招いた2月の総合的な学習の時間について、文部科学省初等中等教育局教育課程課が市教委に授業内容の報告を要請していたことが分かった。きっかけは国会議員からの問い合わせだったというが、それにしては文面に前川氏への悪意が感じられる。

 天下り問題で辞職し、出会い系バーを利用した同氏を、道徳教育が行われる学校の場に、どのような判断で依頼したのか――。まるで前川氏の人格が反道徳的であるかのような書きぶりである。天下りはともかく、出会い系バーの方は違法性がないにもかかわらず一部新聞が1面肩で報じた在り方が政権側の意図をくんだと批判され、その後の週刊誌報道で性的欲求を満たす意思がなかったことが明らかにされたにもかかわらず、である。

 旧文部省系の現役官僚には前川氏を慕うだけでなく、批判的な者も相当数いるようだ。今回の報告要請の背景に、前川氏に対する怨嗟(えんさ)がなかったとは言えまい。しかも「考え、議論する道徳」を進める立場の初中局が、前川氏の道徳性を断じている。それも、その官僚たちが考える官僚としての道徳的価値で判断しているにすぎない。

 そんな省内の人間関係を問題視するのは、決して業界紙誌的な野次馬根性ではない。世代間のギャップが、今後の文教行政に深刻な劣化をもたらしかねないと懸念するからだ。

 少なくとも前川氏までの世代なら、個別学校の授業実践を文科省が直接問い合わせるなどということには極めて抑制的であるべきだという暗黙の合意があった。それは戦前・戦中の教育に対する反省であるとともに、戦後の「偏向教育」問題や教科書裁判など激烈な教育権論争を通して、旧文部省なりに得た教訓である。調査するにしても、ソフトなやり方はいくらでもあったはずだ。

 しかし最近ではいじめ問題や教科書採択問題など、担当課はもとより政務三役さえ現場に出張って調査する事例も珍しくなくなった。それが「異例」であるという感覚がまひし、法令上は何ら問題はないと平気で容認してしまう。

 例えば学習指導要領に関して、2003年の一部改訂をめぐり若手官僚には「なぜ改めて指導要領の基準性が問題になるのか。もともと指導要領は大綱的基準であって、現場の裁量が大幅に認められているではないか」という声があったという。指導要領通り、教科書通りに教えないことがしばしば政治問題化した戦後教育の歴史をまったく知らない世代らしい。日教組分裂後に採用された年次が既に課長級になっているから、それも致し方ないのかもしれない。

 しかし歴史に学ばない者は、歴史の繰り返しに抗し切ることもできないだろう。それで高校の新科目「歴史総合」を推進しようとしているのだから、先行きが不安である。

 今回の問題でもマスコミに発言している文科省OBの寺脇研氏は、前川氏との対談本『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書)の中で、「命がけの文部官僚」剱木亨弘(けんのきとしひろ)元文部相を話題にしていた。そこまで苛烈ではなくとも、歴史的葛藤の下に営々と積み上げられてきたのが文教行政の英知だったはずだ。それを顧みずに「明治150年来」などと言って済ましている場合ではない。

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2018年3月12日 (月)

【内側追抜】官邸にて

某官房長官「辞めた前長官に風俗通いはなかったのか」

某内調幹部「…」

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2018年2月28日 (水)

PISAグローバル・コンピテンス 「不参加」は解せない

 文部科学省が、2018年の「生徒の学習到達度調査」(PISA)で初めて実施される「グローバル・コンピテンス」調査への参加を見送る方針を決めたという。時事通信の16日配信記事によると、「多様な文化的背景や価値観を、一つの尺度で順位付けされる懸念があるため」というのが理由だ。

 まったく解せない。既に経済協力開発機構(OECD)は、国と生徒のランク付けに使用しないことを明らかにしている。もし順位を付けたとしても主要3分野と同様、各国が教育政策を検証するためであって国際学力コンテストでも何でもないことは文科省自身が認識しているはずではないか。

 PISA2015の協同問題解決能力(CPS)に続き革新分野として実施される同調査が開発途上であることも、OECD自身が認めている。グローバル・コンピテンスの4側面のうち「知識」「認知スキル」「社会スキルと態度」は測定するものの「価値観」は以降の課題として先送りするのが、いい例だ。

 しかし新学習指導要領は、「グローバルな視野で活躍するために必要な資質・能力の育成」(2016年12月の中央教育審議会答申)を掲げていたのではなかったか。外国語によるコミュニケーション能力の育成を徹底するため、大学入学共通テストに外部資格・検定試験を活用してまで4技能評価を導入しようとさえしている。たとえ完璧な調査でなくても、課題を発見し改善につなげるため一刻も早く参加すべきだと判断するのが筋だろう。

 文科省の思惑は容易に想像できる。都合の悪い結果が出て、PISA2003が学力低下批判を過熱化させたような事態を今から避けたいのだろう。それでいてエビデンス(客観的な証拠)に基づく教育政策を進めようとしているのだから、矛盾した姿勢だと言わねばならない。

 むしろ国内のみならず国外でも、他国や異文化・異民族に対する不寛容さが問題になっている。アンドレアス・シュライヒャーOECD教育・スキル局長が昨年12月、日本の記者向けにインターネット会見を行った際の配布資料にあった表題「インクルーシブかつ持続可能な世界に向けた若者たちの育成」が、いまグローバル・コンピテンスを問わなければいけない課題意識を象徴していよう。

 ましてや東京五輪・パラリンピックが2年後に控えている。安倍政権は、これを起爆剤として一気にグローバル化対応を図りたい考えだったはずではないか。そのために指導要領の改訂時期を早め、20年度から小学校英語を教科化することにまで突き進んだ。しかも授業時数が確保できないのに短時間学習の導入などという無理を押して、である。

 グローバル化対応の教育は、決して一部の国際エリート育成にとどまるものではない。シュライヒャー局長も、地域課題を解決するためにもグローバル・コンピテンスが不可欠だと強調していた。ますます新指導要領の趣旨にかなう話だろう。

 ぜひ文科省は方針を転換して参加を決めてほしい。結果が出たときにどう説明するか、その準備は今からなら十分できる。むしろ偏狭なヘイトスピーチ(憎悪に基づく発言)が広がる中、先導的に国内調査を行うぐらいの積極的姿勢が不可欠だろう。 是非とも忖度(そんたく)なしの判断が求められる。

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2018年1月 8日 (月)

【社告】本社社員出演情報

 9~11日、首都圏ネットのFMラジオJ-WAVE(81.3mhz)『JAM THE WORLD』のコーナー「CASE FILE」(19:30~19:35)に本社解説委員が3回にわたって録音出演を予定しています。テーマは「2018年問題」。

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2017年12月31日 (日)

【池上鐘音】失望続きの2017年

▼2017年は文部科学省の天下り問題をめぐり前川喜平事務次官の引責辞任で明けた。その後、加計学園問題の渦中に巻き込まれようとは当人も予期していなかったろうが、安倍1強体制の下で行政に忖度(そんたく)がまん延していることが白日の下にさらされた。面従腹背の愛すべき放言官僚が去っただけにとどまらず、後で振り返れば文教行政の変節点にならないかと心配だ▼その前川氏も大きく関わった新学習指導要領の義務教育諸学校分が告示され、解説書も発行された。前年末の中央教育審議会答申に沿ったものとはいえ、「ゆとり教育批判」の再燃を恐れるあまり学習内容の見直しを行わないまま「資質・能力の三つの柱」の枠を無理やり各教科等に当てはめ、かつ小学校英語の教科化をはじめ実質的に「量」も増やしたのでは、肝心の「質」が心配になる▼教育課程改革と車の両輪と位置付けられた高大接続改革も、目玉の大学入学者選抜の実施方針等が公表された。議論の迷走で肝心のテスト開発が遅れ、かつ理論的根拠の薄弱なことが露呈してきている。個別大学選抜でのコンピテンシー(資質・能力)評価も、どうなるか。何より「公平な入試」論の復活で「公正な選抜」理念が忘れられ、主体性・多様性・協働性のうち「多様性」がいまだに顧みられないのが残念だ▼両輪改革で、間違いなく教育現場の多忙化に拍車が掛かろう。中教審答申で議論が始まった「学校の働き方改革」は矢継ぎ早に緊急提言、中間まとめを出したが、まずは現場に努力を強いるものと言わざるを得ない▼その裏付けとなるべき来年度予算も官僚的には「改善」を勝ち取ったとしても現場にとっては「改革」に及ばないことは、先の社説で指摘した。「胡麻(ごま)の油と教員は絞れば絞るほど出るもの」だとでも思っているわけではないだろうが、結果的にそうなっている▼改革論議を聞いていて、何かと出てくるのが「教員志望の学生」だ。教員の質向上策としての教職課程改革のみならず、多忙化解消策のためのボランティア要員としてまで期待がかけられる。既にアルバイトの余裕すらなくなっているというのに▼そんな隙をついて忖度で文教行政を浸食しつつあるのが、北朝鮮のミサイル危機に乗じた「国民保護」対応だ。教職課程コアカリキュラムを皮切りに、第3期教育振興基本計画にも盛り込まれようとしている。憲法改正論議と相まって、本当に戦争の足音が学校に迫ってくるのではないかと心配になる▼年末が近づくにつれて失望感が増してくる中、来年こそはよい年にと思いたい。だだし現段階で、そんな展望を描ける状況にはない。教育こそが唯一の希望だと信じたいが、それを育む教員たちを案じるばかりだ。

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«教師の働き方 「改革」には遠い