2020年8月12日 (水)

【内側追抜】首相あいさつ酷似

「(やる気のない式典への出席だと)どうしても同じような内容になってくる」
   ――某官房長官

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2020年8月 8日 (土)

検定・採択より未来の「教科書」像を

 2021年度から使用される中学校教科書をめぐり、社会科の歴史と公民で 育鵬(いくほう)社版の教科書を採択替えする自治体が相次いでいる。親会社の産経新聞は「リーダーシップを持った教育委員や首長の不在で、学校現場の意向に左右されやすい状況になっているのでは」と“専門家”の見方を紹介している(6日付)。

 ここでは検定に合格した教科書の内容に、けちを付けるつもりはない。問題は、これまで「リーダーシップを持った教育委員や首長」に、採択教科書が左右されてきたことだ。教科書は「教科の主たる教材」(教科書発行法)として、極めて専門性の高いものである。現場の教員ですら、教科書と教師用指導書を見てはじめて学習指導要領の内容を理解するほどだという。素人である教育委員が全教科書を読んで好みを選ぶということ自体が「素人統制」たる教育委員会ののりを越えている。その意味では、結構なことだ。

 とかく教科書といえば、検定や採択に注目が集まる。もちろん「教科の主たる教材」(教科書発行法)として教育水準の維持・向上に寄与し、義務教育では無償給与もされる教科書の意義を否定するものではない。

 論じたいのは、そんなことではない。「教科書」自体が、曲がり角に来ていると認識すべきだろう。

 そう考える理由の一つは、今般のコロナ禍である。最長3カ月にも及ぶ臨時休校措置で、教科書を最初から最後まで隅々教えることは物理的に不可能となった。文部科学省ですら「教科書を100%、学校の授業で教なくていい」(滝波泰・教育課程課長、「教育新聞」7月16日付)と言い始めている。もっとも、もとから教科書とはそういうものである。副教材やプリント類なども含め、現場の裁量で使いたいように使えばいい。

 もっと大きな理由は、デジタル教科書時代の到来である。文科省が「デジタル教科書の今後の在り方等に関する検討会議」と「教育データの利活用に関する有識者会議」の初会合を、7月7日に相次いで開いたのが象徴的だ。指導要領のコード化と相まって、学年や教科を超えたカリキュラム・マネジメント(カリマネ)にも道が開かれよう。

 関連して注目したいのは、7月27日に開催された中央教育審議会の教育課程部会での奈須正裕・上智大学教授の発表だ。テーマは「個別最適化された学びについて」だったが、従来の教科書に関して「教師による学級単位での一斉指導を前提に編纂(さん)されているため、そのままでは個別化された学びに用いることができず、学校や教師は別途での教材開発を余儀なくされる」と指摘した。

 デジタル時代には一斉指導にも個別学習にも、さらには教科や学校という枠をも超えて使えるような、拡張性のある教科書の在り方が求めらるのではないか。そうなると、紙ベースの検定教科書をただPDF化するような現行のデジタル教科書では済まなくなる。検定制度の在り方はもとより、まだまだコンテンツ(学習内容)重視の指導要領の在り方も、コンピテンシー(資質・能力)ベースへと徹底的に転換する必要がある。

 変化の激しい時代を想定すれば、コンテンツフリーも視野に入れるべきだ。デジタル教科書をプラットフォームにしてコンテンツをどんどん探し、そこから各自が「深い学び」につなげればいい。「習得」する内容が同一である必要もない。本気でポストコロナの教育を考えるというなら、そこまでラジカル(根源的)な指導要領と教科書の転換を模索すべきだろう。

 余計なことを付け加えれば、デジタル化で教育ビッグデータを吸い上げて民間が活用できるようにすればいいだの、AIドリルによる個別最適化で一斉授業の時数が削減できるからSTEAM教育をやればいいだのといった皮相な“公教育”論にくみする場合でもない。

 経済協力開発機構(OECD)がEducation2030プロジェクトで示すように、個人と集団と地球のウェルビーイング(幸福度)に向かって多様な他者と協働して主体的に学ぶ学習者のラーニング・コンパスとして、未来の教科書が役割を発揮できるのではないか。そんなことも視野に入れながら、今後の議論に注目したい。


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2020年7月12日 (日)

【池上鐘音】差別と教育

▼東京で「北海道の同和教育は、どうなっていますか」と福岡の高校生から尋ねられて、きょとんとしたのは高校1年生の末だった。3年生の時、確か京都の大学出身だった教師が日本史の授業中にふと「内地の大学に行っても、同和問題には手を出すんじゃないよ。北海道の人間には理解できない」と漏らしたことも覚えている▼北海道に部落差別はない。おそらく「開拓民」にも被差別部落出身者が少なくなかったろうが、そもそも親が内地のどこから来たのか知らない開拓2世も少なくない。開拓3世として、あえて証言する。あったのは、アイヌ差別と中国・朝鮮人差別だ▼このうち後者は、内地と同根だろう。前者に関しても、故郷では日常的にアイヌの人々と接していたわけではない。やはり保護者世代や周囲から無意識に受け継いだ、差別意識である。学校で学んだ郷土史も、しょせんは「開拓史」でしかなかった▼アイヌ差別とアイヌ文化の素晴らしさに向き合ったのは、「内地の大学」に進んでからだった。その後の道民意識を、肌感覚で語る資格はない。ただ日高に移住した大学の先輩から、当地の激しいアイヌ差別を聞かされたことがある。一方、数年前には同じ地域の先生から「うちの学校では何の差別感情もなく共生していますよ」と教えてもらった。まさに教育の力にまつべきもの、であろう▼だから東京出身の萩生田光一文部科学相が10日の記者会見で「原住民と、新しく開拓される皆さんの間で様々な価値観の違いがきっとあったのだと思う。それを差別という言葉でひとくくりにすることが、後世にアイヌ文化を伝承していくためにいいかどうかは、ちょっと私は考えるところがある」と述べたのには失望を通り越して、あきれた。「先住民族」アイヌの人々が差別された歴史的事実を厳粛に受け止めなければならないとしたアイヌ施策の基本方針が閣議決定されたのは大臣就任直前だが、知らなかったとは言えまい▼11日の民族共生象徴空間(北海道白老町、愛称ウポポイ)開業記念式典後、記者会見した萩生田文科相は前日の発言を軌道修正したようだ。しかし本当に1日で自身の無自覚な差別意識と、本当に向き合えたものかどうか。文教政策の責任者としての資質に、さらなる疑問を抱かざるを得ない。

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2020年7月 1日 (水)

共通テスト 「第2日程」希望、多めに報告を

 初となる大学入学共通テストの日程が、正式に決まった。新型コロナウイルス感染症の影響に伴って今回に限り設けられた“第2日程”(2021年1月30・31日)は、校長が認めれば現役生が受験できる。“第1日程”(同16・17日)の間で得点調整は行われない。

 第2日程を選択すれば、第1日程で出題された問題から共通テストの新傾向を正式に読み取れるメリットがある。一方で個別試験の日程は基本的に変わらないから、受験生はどちらを選ぶか悩みどころだろう。

 従来の追試験・再試験と違って、第2日程の会場は全都道府県に設けられる。文部科学省は、第2日程を選ぶ生徒がどれぐらいいるかの意向調査を全国の高校に行うという。

 各高校には、ぜひ第2日程の受験予定者数を多めに見積もってもらいたい。そもそも高校側はもとより生徒も、年末までの学習の遅れなど正確に見通せるわけがない。何しろ英語民間試験の活用がまだ生きていた際、文科省は生徒が各時期にどの検定を選択する意向であるか多めに報告するよう要請した“前科”がある。たとえ高校側が腰だめの数字を報告しようと、引け目を感じる必要はない。

 希望者が多ければ、それだけ各県で会場が多く設定される。大学側にとっては負担だが、例年通りの入試日程を主張した責任の範囲内だろう。その結果のコストは負うべきだ。

 もし第1日程と第2日程が同じくらいの受験生や会場になれば、期せずして複数回実施の“社会実験”になり得る。たとえ各日程の難易度が違って1点刻みの入試ができなくても、そもそも今般の入試改革は主体性・多様性・協働性も含め多面的・総合的に入学者を選抜すべきはずだから何の問題もない。

 こう書くと「受験生をこれ以上、実験に使うな」とか「公平な入試ができなくなる」という反論があろう。しかし1点刻みによる「公平」な入試からの脱却は、もともと14年12月の中央教育審議会答申で掲げた高大接続改革が目指していたものだ。それが高大接続システム改革会議、新テスト検討・準備グループと会議体を変えながら具体化を先送りする中で、いつの間にか変質していった。文科省自体も「公平」な入試の落とし穴にはまった感がある。

 年2回程度の複数回実施なら、難易度の平準化に項目反応理論(IRT)を持ち出すまでもなかろう。1点の重みが当然違っていることを前提に、各大学の責任で選抜すればいいだけである。なのに16年3月のシステム会議最終報告は、記述式問題や英語多技能評価などを導入することで1点刻みの評価は改革できるという論理のすり替えで複数回実施を見送ってしまった。

 本社が主張する社会実験とは改革を徹底して実装するため、いつかは必要になることだ。泥縄式に持ち上がった9月入学への移行論より、よっぽどましだろう。記述式と英語試験の見送りで、かえって「公平」な入試への回帰を促してしまっている傾向にも軌道修正を図るべきである。


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2020年6月 2日 (火)

アベノマスクより軽い困窮学生支援

 2020年度の文科省2次補正予算案を見て、がくぜんとした。生活に困っている学生等の支援として、授業料減免等に▽国立大学45億円▽国立高専2.3億円▽私立大学94億円――が計上されている他、私立高校生にも8.6億円、専門学校生への実証研究事業費としても2.6億円が盛り込まれている。これらの総額は152.5億円となる。

 これが平時なら、大いに評価できる額だ。しかし新型コロナウイルス感染症の影響でアルバイトもままならず、おまけにオンライン授業などで通信費などもかさんでいる。10万円支給があるとはいえ、食費にさえ困る学生生活に対する支援として十分なのだろうか。

 がくぜんとしたのには、もう一つ理由がある。全世帯に布マスク2枚を配る「アベノマスク」は当初見込まれた466億円ではなく260億円で済むそうだが、2次補正の学生支援はそれを100億円以上も下回っている。

 本社にも10日前やっとアベノマスクが届いたが、抗議の意を示すため送り返した。そのため品質がどうか実際には分からない。しかし見た目はうわさに違わず小さいもので、既に自前で10枚以上調達した布マスクに比べても使いづらそうだった。こんなものに血税を浪費されたかと思うと、怒りしか感じない。

 もっとやるかたないのは、今回の学生支援はそれ以下の評価しかされなかったということだ。

 安倍政権は高等教育の無償化を実現したと胸を張るが、「真に支援が必要な、所得が低い家庭の子どもたち」という限定が付いている。裏を返せば、それ以外の学生は「真に必要」ではないと言っているに等しい。しかし、いま生活に困っているのは、そんな「真に必要」と見なされなかった学生たちである。

 東京私大教連の調査によると、首都圏私立大学の19年度新入生は毎月の仕送り額が8万5300円で、家賃を除いた1日当たりの生活費は730円になる計算だという。保護者世代はこれをどう思うだろうか。もしかすると祖父母世代は「高い。今どきの学生は、われわれのころより恵まれている」とさえ思うかもしれない。

 しかし実態は違う。そもそも授業料は国立大学(標準額)が53万8000円、私立大学が18年度平均で90万4146円(文部科学省調査)と、30年前に比べて1.7~1.8倍になっている。私大は他に学生納付金もある。その間、物価が大幅に変動した実感はない。

 大学進学率が50%を超える一方、送り出す側の家計も大変だ。東京私大教連調査でも49.6%が受験から入学までの負担が「たいへん重い」と回答しており、「重い」を加えると92.7%を占める。実際には学生本人のアルバイトを前提として進学させている家庭も多いし、学費まで本人が稼いでいるケースも少なくない。日本学生支援機構(旧日本育英会)の奨学金はせいぜい授業料等の一部が補えるだけで、それだけで進学できると思ったら大間違いだ。

 おまけに今は昔と違って「単位の実質化」により、学生は勉強しなければならなくなっている。夏季休業中に授業を受けなければならないことも珍しくない。電子出席システムで、代返も効かない。当たり前と言えば当たり前だが、本来なら日常的にバイトしている余裕さえないのだ。

 そんな実態を長らく放置し、「真に必要な」などと言って澄ましておきながら、この緊急事態に至ってもアベノマスク以下の救済措置で平然としている。決して文科省を責めているのではない。そんな程度の教育政策でよしとしてきた、政権の在り方こそが問われるべきだ。

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2020年5月30日 (土)

【内側追抜】続・アクロバット飛行で医療従事者に感謝

某首相「好評だったね! 次の一手は何かな?」

某党幹事長代行「慰問袋はどうでしょう? 千人針も入れて」

某首相「さすが後継候補の最右翼だね! じゃあ、さっそくチーム作って」

某官邸官僚「それならウチ(某出身官庁)じゃなく旧内務省案件だな。最初からそっちでよろしく」

某省官僚「…」

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2020年5月29日 (金)

【内側追抜】アクロバット飛行で医療従事者に感謝

某官邸官僚「星野源さんの動画とコラボしたらどうだろう」

某省背広組「…」

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2020年5月26日 (火)

【内側追抜】アベノマスク指導

某首相「…で、あたくしの配給をやゆした点は是正要求したんだろうな?」

某省次官「…」

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【内側追抜】緊急事態宣言解除

「わが国は日本ならではのやり方で、わずか1か月半で、今回の流行をほぼ収束させることができました。まさに、日本モデルの力を示したと思います。日本モデルとは『欲しがりません勝つまでは』と、自粛警察いや自粛憲兵の精神であります」

      ――某首相会見

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2020年5月16日 (土)

9月入学検討 「5歳児の義務教育化」どこへ

 新型コロナウイルスに伴う休校の長期化で急浮上した9月入学をめぐって、安倍晋三首相は14日の記者会見でも依然として「有力な選択肢の一つだ。前広(まえびろ)に検討していきたい」と述べていた。一方で日本PTA全国協議会(日P)や全国連合小学校長会(全連小)をはじめ、慎重な検討を求める意見も続出している。理由の一つに就学始期を5カ月遅らせることで、むしろグロバールスタンダートに逆行するのではないかというものがある。

 首相も含め、みんな何かを忘れていないか。実は本社も忘れていた。「平成の学制大改革」(2013年2月の施政方針演説)を掲げてスタートした第2次政権の下、教育再生実行会議が14年7月の第5次提言で 「5歳児の義務教育化」を提言していたことを。

 第5次提言の「大方針」を受けて具体化を検討した中央教育審議会は結局、義務教育学校の創設など小中一貫教育の制度化でお茶を濁す。というより実行会議の提言で実現可能性のあるものは当時、これしかなかった。安倍首相も、これをもって「学制改革」だと胸を張っていた。

 第5次提言には、幼児教育の「段階的無償化」も盛り込まれていた。これもしばらく誰もが忘れていたが、17年9月に安倍首相が総選挙の大義名分として唐突に持ち出してから一気に実現した。

 無償化の建前は「全ての子供に質の高い幼児教育を保障するため」(第5次提言)だったはずだ。しかし量的な待機児童対策に追われ、教育・保育の質は二の次になっている。昨今の新型コロナ対策でも保育所を開けるかどうかで、政策の迷走ぶりは否めない。

 それでも幼児教育の質を重視しているというのなら、9月入学とセットで義務教育の前倒しを検討するという発想が出てこなければおかしい。なぜ出てこないのか。無償化で質保証は既に実現できたと思い込んでいるか、はなから無理だと諦めているからだろう。もしくは、本当に忘れているのかもしれない。

 既に無償化されているのだから、授業料に関して義務教育化への障害はない。しかし施設・設備や教員・保育士の配置に関する追加的な投資はもとより、実質的には幼稚園・保育所・認定こども園に3元化された幼児教育の本格的な「幼保一元化」の課題が再び突き付けられることになる。

 おそらく9月入学論も、どこかで引っ込めることになるのだろう。文部科学省は15日の衆院文教科学委員会で、小学校から高校までの子どもを持つ家庭の追加負担総額が2.5兆円に上るとの試算を明らかにした。国と地方にも相当の財政支出が求められるだろうし、中小企業も含めた新卒人材の確保に与える影響も大きい。知事会や経団連が前向きだからといって、簡単に社会的合意が得られるとは思えない。「社会改革」(小池百合子・東京都知事)には痛みも伴うはずだが、負担の押し付け合いで迷走するだけではないか。

 マッチポンプのようで恐縮だが、9月入学を検討するというなら義務教育年齢も本気で検討してみろと言いたい。そんな度胸がコロナで弱った政権にあるとも思えないが、もし打ち出せば起死回生の支持率回復策になるのではないか――と余計な提案をしておく。どうせ、できっこない。

 

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«9月入学検討 “アベノ休校”のツケを回すな