夏休みに思う 教員に研修の“自由”を
全国の多くの小・中・高校では、きょうから夏休みが始まった。しかし教員にとっては、補習や部活動指導、事務等に追われ、必ずしもほっとできる環境にはないというのが現状だろう。そこで、あえて今、長期休業中に教員の自由な研修を保障することの必要性を訴えたい。
長期休業中の勤務が息苦しくなった大きな原因が、2002年7月の文部科学省通知「夏季休業期間における公立学校の教育職員の勤務管理について」にあることは否めまい。自宅研修の扱いが厳しくなっただけでなく、いわゆる官製研修以外の研修に参加しにくくなったことも確かだ。これにより民間研究団体も壊滅的な打撃を受けている。
一方、3月に告示された小・中学校の新学習指導要領では、さっそく来年度から一部教科も含めた移行措置が始まる。「習得、活用、探究」の授業改善に対応するには、これまで以上の研修・研究が不可欠になろうというのに、である。移行期間中は時数合わせに追われ、新指導要領の趣旨が十分にそしゃくされないまま本格実施に突入するとしたら、間違いなく今度の新教育課程は「失敗」するだろう。その度合いは、「総合的な学習の時間」を目玉とした現行教育課程の比ではない。
長期休業は、日ごろの業務を離れ、落ち着いて一人ひとりの研修課題に向き合える貴重な機会である。というより、平日はとてもそんな余裕はない。その上で長期休業中まで縛ったたままでは、たとえ服務の適正化という面では必要であったとしても、実際にはますます教員の思考停止状態を深刻にするだけだ。
文科省は5月に「学校の組織運営の在り方を踏まえた教職調整額の見直し等に関する検討会議」を設置し、給与や勤務の在り方の検討を始めたが、6月の「骨太の方針」と7月の「教育振興基本計画」閣議決定までの経緯を見れば、定数改善や給与改善の見通しは暗いと言わねばならない。ヒトも増やさず、カネも出せないのが現状ならば、せめて精神的な自由くらいは与えてもいいのではないか。もちろん、その必要性について国民・住民に十分な説明をする責任は生じようが。
勤務管理を甘くすると服務規律が乱れるとか、自主研修といっても反文科省・反指導要領の民間団体を利するだけだ、などと懸念する向きもあろう。しかし、今はそんなことを言っていられる状況を既に過ぎているように思う。近年の教育改革一般に言えることであるが、角を矯めて牛を殺すような政策はそろそろ軌道修正すべきである。
異論があるのは承知だが、検討会議でも課題に挙げているように、1年間の変形労働時間制の導入も考慮に値するのではないか。せめて昔のように夏休みくらいは自由に研修できるようにしないと、教員はますます疲弊するばかりであろう。
↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

最近のコメント