2017年10月30日 (月)

「いじめ対策」で教育は再生したのか

 文部科学省が先ごろ、毎年恒例の「問題行動調査」の結果を公表した。いじめの「認知件数」に関しては、いまだに「発生件数」と混同しかねない報道ぶりも目につくが、それはおいておこう。認知件数が増えたからといって即、「発生」件数が増えたわけではないことは言うまでもない。

 同調査の「いじめ」定義は、2013年6月に制定された「いじめ防止対策推進法」に基づいている。その上で、「いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする」と付け加えている。

 そもそも同調査がいじめを定義しているのは、調査のためである。それが独り歩きして、定義に当てはまらないものは「いじめ」ではないとか、いじめが解消したとか、しゃくし定規的な対応を過去に招いたことは否定できない。だから法律で定義が明確になったのは、悪いことではない。

 そこには、たとえささいなものであっても「当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」(2条)をすべて把握して早期発見・早期対応することが必要だという考え方が背景にある。もちろん、早期発見・早期対応の重要性を否定するものでは決してない。

 改めて問いたいのは、現在の「いじめ対策」が本当に有効な「いじめ対策」になっているかどうかだ。

 いじめ防止法の眼目は、「重大事態」への対処にあろう。しかし法律に基づく重大事態の「発生」件数が前年度の314件から400件に増えている「事態」を、どうみるか。もちろん、見過ごされていた重大事態が事前に「対策」できたという好意的な見方もできよう。ただ深刻な自殺事件が絶えないことと併せて考えれば、本当に対策が奏功しているとは断言できない。

 過去に論じた通り、いじめ「対策」は「いじめ」以外の対策が必要だ。日本の学校教育が学習指導と生徒指導を両輪で行うものであり、道徳教育も各教科等も含めた学校教育活動全体で行うことが「日本型教育」だと誇るのなら、その特長を生かす条件整備をしてこそ真の「いじめ対策」と言えよう。

 ましてや、三つの柱で資質・能力の育成を目指す新学習指導要領への準備が始まっている時である。アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び、AL)の視点に立った授業改善を行うにも、学級集団の良好な人間関係が欠かせない。逆に、一人一人の多様性に気付かせ、お互いを尊重する契機にもできる。今こそ学習指導と生徒指導の両輪で子どもを育てることが、ますます求められよう。

 一方で、小学校の3割、中学校の6割が過労死ラインに置かれている教員の多忙化は深刻だ。教員自身にとって心身の健康の危機であるとともに、子ども一人一人に目が行き届ない恐れもある。中教審の「働き方改革」論議に期待したいが、現政権下での財政措置に限界があることは8月の特別部会緊急提言と、文科省の来年度概算要求を見ても明らかだろう。

 「いじめ対策」のための調査や報告に追われ、ますます多忙化に拍車を掛けては本末転倒だ。そもそも学習指導と生徒指導が両輪なら、生徒指導のうちの「いじめ対策」だけ取り出して対応すべきだという発想はいかがなものか。それより、いじめの起きにくい学校・学級づくりのための条件整備を、両輪で考えるべきである。 

 政権を奪還した安倍内閣が 「教育再生」実行の旗印の下、猛烈なスピード感で威勢よく成立させたいじめ防止法が本当に「防止」に役立っているか。来年で制定5年目を迎えるに当たり、改めて検証する必要があるのではないか。少なくとも「法律の通りやっていないじゃないか」と学校現場の尻をたたくばかりで、さらに疲弊させるような事態になってはならない。

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2017年10月26日 (木)

【社告】本社社員出演情報

 27日(金)19:00~21:49放送のフジテレビ系列『金曜プレミアム・坂上忍と大激論!ニッポンの危機 もう他人事ではない!あなたの生活を崩壊させる!?教育危機』に、本社解説委員がちょっとだけVTRで出演する予定です(「金八先生」が出てくるあたり)。

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【内側追抜】続・選挙の後

ガラスの天井を破ったかと思ったが、鉄の天井があるのを知った。せっかく鉄のカーテンで護憲派を排除したのに。

     ――某知事

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2017年10月23日 (月)

【内側追抜】選挙の後

秘書官「総理、会見の時間です」

某首相「改憲? エヘヘ、参っちゃうね~」

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2017年9月27日 (水)

政権の「教育無償化」に注意を

 28日、衆院が解散される。安倍首相は理由の柱の一つに「人づくり革命」を挙げ、消費増税分で幼児教育や高等教育の無償化を実現するという。とりわけ高等教育の無償化は首相が5月に憲法改正とからめて表明して以来、さまざまな議論を呼んできた。

 ただ25日の記者会見での首相発言に、よくよく注意してほしい。「真に必要な子どもたちに限って高等教育の無償化を必ず実現する」「必要な生活費を全て賄えるよう、今月から始まった給付型奨学金の支給額を大幅に増やす」と言っている。

 現行の給付型奨学金は、自宅外通学の場合でも国公立で月3万円、私立で月4万円を支給するものである。返還不要はありがたいだろうが、生活の足しにしかならない。これで「意欲さえあれば大学に進学できる」と胸を張ることはできないだろう。

 首相が表明した「真に必要な子どもたち」が何を指すかも、よく分からない。ただ、その上限は給付型奨学金の2018年度新規対象者2万人を超えることはないだろう。少なくとも、大多数の学生には関係ない。これで「高等教育の無償化」を標榜するのは、誤解を招く。あるいは国民をミスリードする意図があると疑われても仕方がなかろう。実際、無償化に反対する人はあたかも大学進学者全員の授業料が無償化されると勘違いして論じている人が少なくない。

 残る無償化は、幼児教育だ。これには保育も含む(いわゆる幼児期の教育)。幼児教育の段階的無償化は、既に政権の方針になっている。首相が表明した3~5歳の完全無償化には年7300億円、0~2歳の「所得の低い世帯」では600~3800億円かかると試算されている。

 確かに2%の増税分で、5兆円余りの税収が見込める。「無償化」表明は、むしろこちらがターゲットだとみてよい。しかし、「全ての子どもたち」(首相)の無償化が、本当に必要なのだろうか。

 経済協力開発機構(OECD)のアンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長も、「図表で見る教育2017」の日本向け発表会見で、質の高い幼児教育への投資が最も効果が高いことを指摘した。ここでも注意したいのは、「質が高い」という部分である。そのためには「力のある教員を充てることだ」とも付け加えた。

 OECDの統計によると、幼児教育の在学率は2015年時点で3歳児80%、4歳児94%に達する。残り20%や6%の子どもをどう手当てするかが、最重要課題であろう。シュライヒャー局長は私費負担の高さも指摘したものの、全額無償化が即、質の向上につながるなどとは一言も言っていない。

 待機児童問題の解消は喫緊の課題だが、そうであれば集中的な投資がなおのこと求められよう。幼稚園教諭や保育士の待遇改善も確かに重要だが、これまで低賃金に抑えて経験の浅い若手を使い回してきた経営モデルこそが問われなければならない。

 このように安倍政権の「無償化」方針には、すり替えが多すぎる。うがった見方をすれば、18歳にまで広がった有権者に高等教育無償化の幻想をばらまき、その実は有力支持母体である幼児教育関係者を利するだけではないか。

 もとより本社は、幼児教育から高等教育までの完全無償化に反対するものではない。しかし、それは憲法を改正しないと実現できないものでは決してない。むしろ改正と同時に違憲状態となるような条文改正など、噴飯ものだ。だからこそ逃げずに政策と財源を国民に問わなければいけないのに、その姿勢は全く感じられない。「丁寧な説明」とは、丁寧な言葉遣いでも印象操作でもなかろう。 

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2017年9月16日 (土)

「ミサイル安全」より防災対策だ

 15日朝に北朝鮮が発射したミサイルは、8月29日とほぼ同じコースで列島上空を通過した。全国瞬時警報システム(Jアラート)も同じ12道県に国民保護情報を出し、休校は9校から1校に減ったものの、登校時間を遅らせたのは3倍以上の122校に上った。

  「発射直後から落下まで完全に探知して、追尾していた」(菅官房長官)というなら、なぜ東日本の全域近くに広がる地域が対象となったのか、そもそも茨城県が入っていながら千葉・東京・神奈川の3都県が外れているのはなぜかなど「国民」としても疑問は多々ある。しかし問題にしたいのは、教育界の対応である。

 ニュースを見ていれば、10分もしないうちに北海道南部、せいぜい青森県を除いて危険性がないことは判断できたはずだ。それなのに登校時間を遅らせる学校が続出したのは、明らかに過剰反応と言うべきである。

 それを助長したのは、明らかに9月8日付の文部科学省事務連絡であろう。「北朝鮮による弾道ミサイル発射に係る対応について」。通知・通達ではないため同省のホームページには掲載されておらず、そのため一般国民は行政のチェックがしにくい。一部の教育関係団体や教育委員会が引用しているので、検索を工夫すれば探すことはできるのがせめてもの幸いだ。

 事務連絡は、自治体の国民保護計画を参考にしながら危機管理マニュアルや学校安全計画を見直しておくとともに、自治体と連携した避難訓練を推進することを求めている。のみならず「始業前においては、登校前の児童生徒等は自宅待機とし、登下校中又は既に登校している児童生徒等については…行動をとること等について、あらかじめ注意喚起しておくこと」と留意を求める丁寧ぶりだ。

 そもそも、どんな兵器が搭載されているか分からないミサイルに、どう対処せよというのか。Jアラートの表現を「頑丈な建物や地下」から「建物の中、または地下」に言い換えたところで、何ら変わるものでもない。「政府としては、国民の安心・安全の確保に万全を期して」いると言われても空手形のようなものであり、それなのに「保護者、児童生徒等を必要以上に不安にさせることがないよう十分配慮すること」を求めるのは矛盾している。

 何より問題だと思うのは、それによって極めて必要性の低い「ミサイル安全」が学校安全で最優先されることだ。ただでさえ学校は交通安全や火災訓練などに追われている。東日本大震災以来クローズアップされてきた防災教育がおろそかにならないかと心配になる。

 百歩譲ってミサイル安全の教育が必要だとしても、防災を題材に自らの身は自らで守る思考力・判断力・表現力を身に付けさせる中でこそ対応すべきだ。それを政府の要請通りに行動することを求めては、ものを考えない国民づくりに加担するだけである。

 それこそが政権の狙いだ、とまでは言わない。ましてや「戦争ができる国づくりの一環だ」などと言うつもりもない。しかし確固たる戦略もないまま泥縄式に政策を進める政官界の体質は、戦前と変わらないようにも思えてならない。少なくとも政権の意向がここでも行政をゆがめていることだけは、強調しておきたい。

〔過去の社説〕
教職課程コアカリ 忖度の「ミサイル教育」
「ミサイル安全」 学校教育の過剰反応は避けよ

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2017年8月29日 (火)

「ミサイル安全」 学校教育の過剰反応は避けよ

 29日早朝、北朝鮮が予告なしに列島上空を通過するミサイルを発射した。とはいえ、この間の経緯を考えれば日本に飛翔体が落下する可能性など極めて低いことは素人目にも明らかだろう。それなのに、まるで日本が攻撃対象になったかのような大騒ぎには強い違和感を覚えざるを得ない。

 新幹線や電車が止まることも奇異だが、一部の学校が休校したり、登校時間を変えたりしたのは明らかに過剰反応ではなかったか。危機管理は重要だが、実際に措置を取るかどうかは冷静な判断を要しよう。

 あえてこうした苦言を呈するのも、学校に過剰反応を求める「上から」の恐れが実際にあるからだ。

 6月に公表された次期小・中学校学習指導要領解説の総則編に、奇妙な文言が入っていた。今回から明記された「安全に関する指導」に関連して、生活安全、交通安全,防災安全の3領域のみならず、情報関連の事件・事故防止とともに「国民保護等の非常時の対応等の新たな安全上の課題に関する指導を一層重視し」とある。国民保護といえば、今朝テレビを点けた多くの人が白抜き文字で目にしたことだろう。

 一応、根拠は3月に策定された第2次学校安全推進計画にあるらしい。確かに同計画には「従来想定されなかった新たな危機事象の出現などに応じて」とある。ただし、これは明らかにテロ等を想定したものである。2020年に控える東京五輪・パラリンピックを考えれば、理解できなくもない。しかし、「ミサイル安全」となると別だ。

 解説書を根拠に、ミサイル避難訓練を求めるようなことがあってはいけない。現実的な危険が想定しにくいのに、危機をあおるのは別の目的があるとしか思えないからだ。

 教職課程コアカリキュラムにこっそり「我が国の学校をとりまく新たな安全上の課題」がたくしこまれていたことは、既に論じた。どうやら現政権は、より外堀から徐々に埋めていき既成事実を作っていく目論見らしい。姑息としか言いようがない。

 実は総則の解説には、先の一文に続いて「安全に関する情報を正しく判断し、安全のための行動に結び付けけるようにすることが重要である」とある。思考力・判断力・表現力は学校教育法30条2項が定める学力の3要素の一つであるとともに、次期指導要領で育成すべき資質・能力の一つでもある。

 18歳選挙権に対応した主権者教育も、来年3月に告示予定の高校指導要領のみならず小学校からの課題でもある。政権の意向を批判的に検討して自ら判断し行動できるようにすることも、大切な資質・能力の育成だ。もちろん、その上で政府の言うミサイルの脅威に賛同する判断をすることも尊重されよう。しかし学校が防空演習を強要されるような事態は、絶対に拒否しなければならない。

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2017年8月10日 (木)

【内側追抜】8月の会話

「あなたは、どこの国の総理ですか」

「美しい国の、ですよ。少なくとも、こんな人たちが国民の国ではありません」

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2017年7月31日 (月)

【池上鐘音】首相の衣

▼横浜市長選で与党が推薦する現職の林文子氏が3選を果たした。しかし安倍首相が姿勢を改めたことが奏功したとは想像しづらい辛勝であった。更なる悪化を押しとどめたとは言えるかもしれなが▼変化をもたらしたのは、何といっても1日の東京都議選での自民党惨敗と、内閣支持率の急落だ。それがなければ安倍首相が閉会中審査に出席することも、「丁寧な説明」をすることもなかったろう▼4日に発表された11日付の文部科学省人事では、初等中等教育局長が官房長に、高等教育局長が生涯学習振興局長に異動した。慣例からいえば屈辱的だ。しかし噂では他省庁から局長をあてがう内示が都議選前にあったというから、同省にとって最悪の事態は逃れたというべきかもしれない▼安倍首相に席上からヤジを飛ばさせたのも、低姿勢に一変させたのも、選挙結果や支持率という民意の衣である。就任以来、アベノミクスによる景気回復への期待が続いてきたが、その幻想も幻滅に変わったということか▼政権交代後、とりわけ「お友達」の下村博文氏が文部科学相になって以来、不可解な動きが省内に感じられた。端々に出てきたのは学習指導要領の「解釈改訂」、教科書検定の見直しなどだが、「ミサイル教育」は果たして教職課程コアカリキュラムにとどまらず次期指導要領解説の総則に「国民保護」を明記させるに至った▼森友・加計両学園の問題によって、ようやく不可解さに「忖度」という名が付いた。前川喜平・前事務次官に対しては「なぜ在任中に言わなかったか」という批判があるが、当時とてもそのような雰囲気になかったことは端目に見ても分かる▼首相が裸だと明らかになった7月が終わる。内閣改造後の残暑は過ごしやすいのか、はたまた止まらない汗が衆目にさらされることになるのか。

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2017年6月15日 (木)

教職課程コアカリ 忖度の「ミサイル教育」

 記事配信を本業とする本社としては本来、依頼メディアに記事掲載されてから論じるべきことかもしれない。しかし、それではパブリックコメント(意見公募手続)の終了後になってしまう。また報道の最末端にいる者として、国家権力のチェックを怠ったことも正直に恥じ入らねばならない。

 教職課程コアカリキュラム(コアカリ)に関して14日夜、上智大学で緊急シンポジウムがあった。25日が期限のパブコメを出す際の参考にしてもらおうと開催されたものだ。

 コアカリの策定、もっと言えば再課程認定で文部科学省が何を狙っているかは、この際おいておこう。各論に問題は多々あるにしても、本社は必ずしも課程認定の厳格化に総論として反対するものではない。

 看過できないのは、シンポで指摘された以下の点だ。3月の第4回「教職課程コアカリキュラムの在り方に関する検討会」の案には、学校安全の到達目標の一つに「生活安全、交通安全及び災害安全等の各領域の安全管理並びに安全教育の両面から具体的な取組を理解している」とあった。

 それがパブコメの案では「生活安全、交通安全、災害安全の各領域や我が国の学校をとりまく新たな安全上の課題について、安全管理および安全教育の両面から具体的な取組を理解している」(傍線はシンポ報告者のレジメによる)に変更されている。

 報告者は「これ(傍線部分)が何かは混とんとしている」と控えめだったが、会場に参加していた文科省の審議会行政にも詳しい研究者は「ミサイルのことに決まっている」と喝破した。確かに最近、北朝鮮のミサイル発射を想定した自治体の避難訓練に学校も巻き込む例が増えてきている。

 もちろん手続き上は問題がない。座長一任を取り付ければ、その後に事務局と相談の上で修正が加わるのはよくあることだ。しかしそこに当該検討会はおろか中教審等でも一切議論されていないことがたくし込まれたとすれば、やはり政権の意図を疑わざるを得ない。

 思い起こされるのが、以前論じた「解釈改訂」だ。当時の下村博文文部科学相は学習指導要領本体の改訂を待たずに、解説を一部改訂して「領土教育」を盛り込むという異例の措置に出た。

 パブコメを受ける格好で、政権の意図を体現しようとしたこともある。次期指導要領の「海洋教育」のことだ。以前の社説で紹介した通り一部中教審委員の異論を受けて、結果的には現代的課題ではなく社会科等に位置付ける形で落ち着いた。

 文教行政に政治的な意向をこっそり反映させることは、今に始まったことではない。しかし森友・加計の両学園問題で注目された忖度(そんたく)がまん延している証左とみることもできよう。誰が行政をねじ曲げているのかは、明らかだ。それも形式上は「正当」な手続きを踏んだ上で、である。

 本社はもともと、パブコメの実効性に期待していない。反対意見が多く寄せられたとしても、どうせ聴き置かれるだけなのは今に始まったことではないからだ。「ミサイル教育」にしても、支持する国民はあろう。しかし安倍一強の下でどのような政治が進められているのか、たとえ細事であっても書かずにいられない。

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