2018年9月17日 (月)

新指導要領の全面実施に危機感を

 NHK総合のクイズバラエティー番組『チコちゃんに叱られる!』が話題になっている。それに倣えば「学校現場の足元が揺らいでいるのに、やれSociety5.0だの、EdTeckだのと浮かれている日本人の、何と多いことか」と言いたくなる。

 経済協力開発機構(OECD)が先ごろ公表した「図表でみる教育」2018年版のカントリーノート(国別要旨)によると、日本は学校裁量で決定する事項は21%にすぎない。それも「上位の当局が規定する枠組み内」でのことだ。

 20年度から順次、全面実施に入る新学習指導要領は、変化の予測が困難な社会に向けて必要な資質・能力の育成を打ち出す一方、学習内容を削減せずに実質的には増加させ、かつ知識の確実な習得までをも引き続き求めている。「質も量も」を実現するにはアクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び、AL)とカリキュラム・マネジメント(カリマネ)の両輪で学校裁量を最大限発揮しないと、とてもこなせるものではない。

 インターネット会見でアンドレアス・シュライヒャー局長は新指導要領について、シンガポールやフィンランドのように自由度が高い教授法の革新に進んでいくことに期待を示した。それには専門職としての自律性や現場の裁量権、教師の働き方改革が必要だとしながらも、基本的には「21世紀で最も成功している」日本の教育制度を楽観視しているようであった。

 しかし、7月の「日本の教育政策レビュー」では、そうした教育モデルの持続可能性に警鐘を鳴らしていた。国内的には、そちらの方を深刻に受け止めるべきだろう。

 指導要領の改訂諮問以来、現場ではALへの関心が急速に高まった。「大学入試が変わらないと授業は変えられない」とうそぶいていた高校までも、である。それ自体は結構なことだ。しかし現場の教員が嬉々として授業改善に取り組む陰で、多忙化に拍車が掛かったことも否定できまい。

 そもそも現下の深刻な多忙化の要因には、「ゆとり教育批判」を受けた学力向上対策も大きい。もともと教えたがりの教員は、多忙感を抱かないまま長時間過密労働を唯々諾々と受け入れた。一方で、その中から単なる学力テスト対策だけでなく「PISA型学力」の模索も生まれた。

 いったん低下した学力がV字回復したという文部科学省のストーリーは、少なくとも「生徒の学習到達度調査」(PISA)に限ればOECDが言う通り事実ではない。ただ、いわゆる「ゆとり教育」にせよ「脱ゆとり」にせよ徹頭徹尾、過労死ラインをもいとわない現場の努力による成果だということを忘れてはいけない。

 「図表でみる教育」には、そんな現場の困難な状況が一向に改善されていないことを示すデータにもあふれている。むしろ、そこに注目して今後の教育政策を考えるべきだろう。

 OECDの立場からは、新指導要領はもとより教育の無償化を進める日本政府の方向性を好ましく評価するのは当然だろう。しかし第3期教育振興基本計画ひとつ取っても、国外から見た期待に値するほどのものではないことは明らかだ。

 まずは政策レビューの推奨事項にあるように「指導要領の改訂実施を優先する」ことを第一に考えて、その条件整備が本当に整っているかを、まさに真の意味でエビデンス(客観的な証拠)に基づいて検証すべきだろう。これ以上、裁量もないのに「子どものため」なら何でも引き受けてしまう良心的な現場に無理を強いるべきではない。

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2018年9月 8日 (土)

【内側追抜】総裁選告示

某候補「震災対応に集中するため、延期すべきだった」

某候補「なら始まる前から勝負あったんだし、辞退しろよ。KYだな」

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2018年9月 6日 (木)

【内側追抜】東京オリパラでボランティア

「開催までに内定の決まった学生には繰り上げ卒業を認めます」

      ――大本営

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2018年8月30日 (木)

【池上鐘音】もはや竹やりではない

▼劇作家、鴻上尚史氏の『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)のことは新聞広告で気になっていたが、手に取るまでには至らなかった。その元兵士、佐々木友次さんが同郷だったことも、仕事を兼ねて帰省していた実家で8月15日の北海道新聞朝刊の連載「戦いと死」第1回「7回出撃 7回帰還」(1面見出し)を読んで初めて知った▼母に聞いてみると、佐々木さんの話は父から聞いていたという。同じ農業関係の仕事をしていたのだから当然だ。そういえば以前、特攻関係の本を所望したのはそういうことだったのかと今さらながら気が付いた。もっと突っ込んで聞いておけばよかったと悔やんでも、父と佐々木さんはくしくも相次いで鬼籍に入っている▼仕事までに慌てて同書を読み、帰京後にはすぐ『特攻隊振武寮』(大貫健一郎・渡辺孝共著、朝日文庫)を買い求めた。読んで陰鬱(いんうつ)になったのは、決して過去の悲惨さからだけではない。当時の軍部の体質が、現在の政官界と変わっていないように思えたからだ▼揚力のある飛行機で急降下するより、高度から爆弾を落とした方が貫通力は増す。物理の「見方・考え方」を身に付けていれば当然分かることだ。しかし非科学的で兵器も人命も無駄にする作戦を、軍部は継続した。国のため、の名の下に▼多くの仕事が人工知能(AI)に取って代わられ、グローバル化も進む人生100年時代を生きる子どもたちには、三つの柱で資質・能力の育成を目指す新学習指導要領のような学習が不可欠だ――そこは認めよう。経済協力開発機構(OECD)も、全人的教育で成果を上げてきた日本の教育政策を高く評価した。しかし同時にその持続可能性に危機感を示し、確実な実施と支援を確保するための戦略を立てるよう提言していることを見落としてはならない▼限りある資源をどこに投入するのが効果的かを考えるのが戦略のはずだ。しかし日本が高い教育成果を上げてこられたのは、教育に情熱を傾けてきた教員の努力に多くを負ってきたからだろう。たとえ国に戦略がなくても▼しかし今や小学校の3割、中学校の6割が過労死ラインに置かれ、教員の努力にも限界が来ている。多少の「業務仕分け」で解消できる話ではないだろうし、残業時間の上限規制をしたからといって劇的に改善するとは到底思えない▼来年度概算要求が31日に締め切られる。「死ぬ気で頑張る」と言ってきた文部科学省は、新指導要領を学校現場が実施するに十分な条件整備を盛り込めるだろうか。結果的に教員の努力に依存するままでは、戦前の戦略なき軍部と何ら変わらない▼条件整備の不十分さを、教育界でもよく「竹やりで戦えと言うのか」と例えることがある。筆者も好んで使ってきた。しかし、それは銃後の発想だ。むしろ特攻に例えるべきではないか、と思い直している。最初から「子どもたちのために」なのだから、余計にたちが悪い。

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2018年8月29日 (水)

【内側追抜】キャッチフレーズ

「(ヘタ打ったら官僚の)責任、(すべては改憲のための)実行」

   ――某総裁

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2018年8月28日 (火)

免許外協力者会議 出さない方がましだ

 これほどひどい文案は久々に見た。ことによると最悪の部類に入るかもしれない。28日の文部科学省「免許外教科担任制度の在り方に関する調査研究協力者会議」に示された、報告書素案のことである。

 免許外担任の現状をめぐっては、第1回会合で示された基礎データだけでも事の重大さが読み取れた。会合を重ねれば重ねるほど、危機感が補強された感がある。各地で非常勤講師が確保できず新年度の授業が行えない実態が相次いで報じられるに及んで、対策の必要性は増すばかりだった。ましてや今後、教員需要が減少に転じれば事態はますます深刻となることは明らかだ。

 それなのに素案は、教育委員会や教員養成の現場に工夫と努力をツケ回す対策に終始しているといっても過言ではない。

 あまつさえ教科横断的な資質・能力の育成を求める新学習指導要領にかこつけて、複数免許の取得促進が「教師としての総合的な指導力の向上にもつながる」としている。ある意味で正論だ。「子どものため」という美談でもある。

 しかし新指導要領の趣旨を実施するための研修すらおぼつかないのに、認定講習を受けている暇などあるのか。更新講習と兼ねることすら提言しようというのは、制度的にも政治的にもセンスを疑う。

 養成段階から複数免許の取得を奨励しようともしているが、これも今後、教員採用の枠が狭まることで志望者自体が減るであろう必然性に目をつぶった話だ。ましてや希少免許状の養成を維持してほしいなどという論議は、国立養成系の統廃合を提言した別の有識者会議と矛盾していることに気付いていないのか。

 唯一みるべき点があるとすれば、更新講習を受けていない者を任用するため受講の弾力化を提言したことだろうか。それも、再任用には更新講習を「免除」してほしいという意見が続出した末でのことである。

 それでも免許外担任問題の深刻さ、ひいては教職員定数自体が機能不全に陥っていることの一端を白日にさらした協力者会議の意義は大きい。だからこそ「書きたいけど書けない」で済ませては、結果的にますます現場を疲弊させるばかりだ。

 次回までに多少の修文はあるのだろうが、限界は目に見えている。不十分な報告書なら、出さない方がましだ。いや、そもそも会議すら設けるべきではなかった。政府方針に忖度(そんたく)せざるを得なかったのなら、いっそ「免許外教科担任の解消にも資する遠隔教育の在り方に関する調査研究協力者会議」とでもすればよかったのだ。

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2018年8月26日 (日)

【内側追抜】出馬表明

某総裁「キャッチフレーズは『正直、公正、現総裁』にすればよかったかな」

側近たち「…」

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2018年8月18日 (土)

【社告】本社社員掲載情報

 本日付の北海道新聞朝刊に本社論説委員の記事が掲載されております。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/219348?rct=n_society

 ご参加の先生方にはお聞き苦しく大変申し訳ありませんでしたが、 返す返すも故郷とはありがたいものです。

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2018年7月 5日 (木)

【内側追抜】某前次官講演

「政権賛美なら後援するんですけどねえ」

   ――某県・市教委

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2018年6月30日 (土)

教育振興基本計画 もう廃止したら

 6月15日、「骨太の方針」はじめ一連の政府計画が閣議決定された。そこに第3期教育振興基本計画が含まれていたことに、どれほどの人が気付いただろう。

 文部科学省にとって振興計画は、改正教育基本法の目玉であるはずだった。というより改正に及び腰だった文科省が踏み切ったのは、振興計画を盛り込みたかったからに他ならない。2001年11月の「教育振興基本計画の策定と新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方」という奇妙な諮問が、それを象徴している。

 06年の教基法改正を経て、08~12年度、13~17年度と5年計画が策定されてきた。しかしこの10年間、振興計画が何がしか国の教育行政にプラスとなっただろうか。

 第1期計画は、単に各局課の政策課題を総花的に並べたにすぎなかった。第2期は「自律」「協働」「創造」というコンセプトを掲げ、局課横断的に課題を整理したが、結局は整理しただけに終わった。

 第3期は「基本的な方針→教育政策の目標→測定指標・参考指標→施策群」という構成で、客観的な根拠を重視した教育政策を推進するという。今はやりのエビデンス・ベースだ。政策目標や施策を総合的・体系的に示す「ロジックモデル」なるものも示した。こうした新機軸は、どれほど有効なのだろう。

 文科省が振興計画に期待したのは、そこに予算増額の根拠を盛り込むことだった。そこには省庁再編前とはいえ科学技術基本計画の“成功体験”があった。しかし第1期から財務省などのけん制により、積極的な文言は1行も残らなかった。「教育投資の確保」をうたう第3期にしても、結局は同じことだ。

 そのくせ一部とはいえ高等教育の無償化という非常に大きな予算化は、政権の不可思議な意向で突然降ってきた。振興計画の審議とはまったく関係なく、むしろ政府方針の後追い、追認を余儀なくされている。

 そもそも審議の過程で「第2期の検証が不十分ではないか」という指摘がたびたび出されていたにもかかわらず、ほとんど顧みられることはなかった。検証できない計画とは、いったい何なのか。今度は測定指標・参考指標があるから大丈夫だというのかもしれないが、指標の設定についての論議はお世辞にも精緻だったとは言えず、ほぼ事務局案を丸のみしたにすぎない。

 何の論議もなかったものもある。学校安全をめぐる「非常時の国民保護における対応等」が一例だ。文科省事務局から何の説明もなく審議過程で突然挿入され、中教審委員からの質疑も皆無だった。それでいて国際情勢が変わったから自治体の「ミサイル訓練」が不要になったというのだから世話がない。

 この10年ではっきり分かったのは、しょせん「文科省の行政計画」について内閣にお伺いを立て、承認してもらうものでしかないということだ。それも、政権への忖度(そんたく)をたたっぷり利かせての上でである。「政府計画」の建前が聞いてあきれる。

 そんなものなら省内の会議でやればいい程度のことだ。30人もの委員で専門の部会を設けても、ボトムアップというより事務局主導で案が固まっていっては会議費さえ無駄に思える。

 第3期計画も、教育政策のPDCAサイクルを事あるごとに強調している。しかし、そもそも中教審の審議過程、もっと言えば文科省自身にPDCAサイクルが働いているのか。どうせ政権への忖度が優先されるのなら、最初から言わない方がいい。当面あり得ないことだが、次に教基法改正が持ち上がったら振興計画に関する17条は廃止してはどうか。たぶん都道府県振興計画の担当者以外、誰も困らないであろう。

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