2021年9月 9日 (木)

【池上鐘音】テレビからの腐敗臭

▼8日の16時前は、ちょうど買ってきた前川喜平・元文部科学事務次官の新著『権力は腐敗する』(毎日新聞出版)を読み始めたところだった。だから定時のNHKニュースで高市早苗氏の出馬宣言が流れても「ああ、予定通りね」と気にも留めなかった▼しかし3分を過ぎても、会見の模様が終わらない。よくよく画面を見れば「中継」とある。さすがに10分が経過したところで、スタジオに切り替わったが▼いくら政権与党の総裁選とはいえ、番組の予定を変更してまで生中継すべきものなのだろうか。既に活発な運動をしている岸田文雄氏の時はどうだったか確認していないが、少なくとも河野太郎氏の時も同様の扱いをしなければ中立性は保てまい▼生中継では、ご丁寧にも「サナエノミクス」をテロップで流していた。どうやら安倍晋三・前首相の支持は相当なものならしい。というより本格的な安倍氏の後継候補なのだろう▼前川氏といえば退官後の2018年、名古屋市立中学校で行った講演内容を古巣の文部科学省が調査したという一件があった。大臣政務官も経験した自民党文教部会長(当時)や、部会長代理(同)の照会がきっかけだったという。照会相手の同省幹部が官邸に引き上げられた「何でも官邸団」(同書)だったのも、うなずける▼自民党文教族といえば、かつては私学団体を支持母体とするのが定番だった。しかし小選挙区になって以降、別種の議員が幅を利かしてきたような印象がある▼高市氏は会見で、首相になっても靖国神社参拝を続ける意向を表明した。個人の強い信条もあろうが、支持団体向けのアピールという側面も強かったとみられる▼下村博文・元文科相も含め、まだ総裁候補のラインアップは固まっていない。しかし、その後の総選挙も含めて文教行政をねじ曲げるような方向にならないことを願うばかりだ。

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2021年9月 3日 (金)

【内側追抜】混迷の某党総裁選

……え、あたくし!? 基礎疾患持ちだから無理だよ。誰でもいいから、それまでにコロナ収めといて。

   ――某元首相

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2021年8月24日 (火)

教員免許更新制 「廃止」の後に「研修地獄」?

 予想通りとはいえ、最悪の報告書になるかもしれない。中央教育審議会の特別部会「教員免許更新制小委員会」が23日におおむね合意した、審議まとめ案のことである。

 ちなみに審議まとめ案に、「廃止」という言葉は1回しか出てこない。それも別紙2の「検証ヒアリングの中では…教員免許更新制の廃止を求める意見も表明された」というくだりだ。代わりに「発展的解消」が使われている。

 では、何に「発展」させようというのか。審議まとめ案には「新たな教師の学びの姿」とあり、これが今後の教育界のキーワードになるらしい。そもそも小委が3月の諮問「『令和の日本型学校教育』を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について」を受けた「『令和の日本型学校教育』を担う教師の在り方特別部会」の報告をまとめるために置かれた小委だから、ある意味で自然かもしれない。

 しかし、発展的に解消された「姿」自体がくせものである。「学び続ける教師」の学びは「散漫なもの」であってはならず、「体系的・計画的な学び」でなければならないという。そのためにデジタル技術も用いてプラットフォームを構築し、研修履歴はもとより振り返りも逐一書けるようにし、「何が身についたのか」まで可視化するらしい。任命権者や含む監督賢者、学校管理職には、それを把握するとともに教員育成指標に基づいて「受講の奨励」を義務付けるという。「必ずしも主体性を有しない教師」には職務命令が出され、従わない場合には懲戒処分さえちらつかせている。

 振り返りが書けるポートフォリオというと、大学入試改革の一環として構想された「ジャパンeポートフォリオ](JeP)を思い出す。本社はJePの挫折を残念に思うものだが、この研修履歴プラットフォームでは教員養成の時代から退職後の再任用まで終生監視されることにつながりかねず背筋が寒くなる。

 「個別最適な教師の学び」を求めているのも、気味が悪い。もちろん審議まとめ案では「協働的な職場づくり」にも言及しているし、成案では校内研修とからめて充実を求めることになるのだろう。しかし育成指標という「教師版学習指導要領」に基づいて研修という名の「授業」が必修化され、対話という「指導」を通して「評価」を受けるというのは、いつも子どもにしていることだけに否定しづらかろう。その弱みを逆手に取ったような提案である。

 これなら10年ごとに30時間という方が、まだましかもしれない。「新たな姿」では多忙な中で毎年毎年、常に研修課題に追われることになりかねないからだ。一応は「一人一人の教師が安心して学びに打ち込める環境の構築」が掲げられ、成案までには記述の充実も図られるようだが、会合でも意見があったように条件整備には裏付けが必要だ。本当に十分な予算が確保できるか、おぼつかない。そもそも勤務時間内に研修時間が担保されなければ、絵に描いた餅になる。

 だから、「廃止」のニュースに喜んではいけない。「発展的解消」の先に待っているのは、「研修漬け」あるいは「研修地獄」かもしれないのだ。

 最後に皮肉を付け加えておこう。これからは公立学校教員にも「残業代」を支払わなければならなくなるかもしれない。教職調整額は教師の仕事が専門職として自発性、創造性に待つところが大きいことから、厳格な勤務時間の管理はふさわしくないという哲学の下で制度設計されている。それが全ライフステージにわたって育成指標に基づいた研修が求められるとしたら、もはや教職は自発的・創造的な仕事とは言えなくなるではないか。むしろ教職の魅力づくりとして望まれるのは官製研修の強化ではなく、自発的・創造的な自主研修の追求と保障のように思われてならない。

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2021年8月10日 (火)

【池上鐘音】五輪の「罪」

▼東京五輪の最終日は、取材のため宮城県沿岸の某所にいた。いまだにワクチン接種の予約が取れないでいるが、PCR検査の結果は陰性だったということでお許しいただきたい▼前泊した隣の某市は7年前、まだ市街の至るところで工事をしていた。それに比べて綺麗になったな…と歩きながら復興商店街が閉じた後の情報館に入ると、案内の人が「ほら、あそこ(川べり)はまだ工事中でしょ。五輪が決まってから、波が引くように工事の人が少なくなりましたからね」▼その工事関係者が集まったのが、東京など首都圏だ。五輪を当て込んで、高層ビルがぼんぼん建った。建築資材の高騰も、被災地の復興を遅らせた要因であることは否定できまい▼震災の直後に着工した虎ノ門ヒルズ森タワーは、東京オリンピック組織委員会が一時入居していた。同ビジネスタワーは開催年の20年1月に間に合い、6月には地下鉄の新駅もできた。肝心の東京五輪・パラリンピックが新型コロナウイルス感染症の拡大で1年延期されても、街の開発は続いている▼これだけでも「復興五輪」を掲げるのは、冗談にしか思えない。いや復興の対象は最初から東北ではなく東京、あるいは景気だったのか。もしかすると「日本の誇り」かもしれない▼選手のためには、開催も悪くなかった。問題は、菅首相が「人流も減っている」と中止を否定したことだ。しかし開催前後で、感染者は3倍を超えた▼関係者が感染を広げたものではないにせよ、開催の強行が人々に気の緩みをもたらしたことは事実だろう。ホテルで録画を見た男子マラソンの沿道は、「無観客」のはずが密を成していた。

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2021年8月 7日 (土)

【池上鐘音】パラレル五輪のリアル

▼1968~70年改訂の学習指導要領は「教育内容の現代化」を掲げ、詰込み教育の極致だった。 前回、東京五輪が開催された年度に生まれた者はかろうじてこの現代化指導要領で学んだ▼課外活動の部活動とは別に、高校の指導要領には「必修クラブ」(特別教育活動の「クラブ活動」)があった。小子は札幌の高校時代、「マラソンクラブ」を選んだ。といっても近くの北大第2農場からクラーク会館を往復するだけのランニング程度だが、閉塞した授業の中で週1時間とはいえ息抜きになったものだ▼今回の理念なき東京五輪招致には反対だったが、伊豆で行われる自転車トラック競技と、札幌に場を移したマラソンだけは見たいと思った。しかし自転車のチケットは当然当たらず、マラソンも「無観客」とあっては仕方がない。仕事をしながらテレビで流し見する五輪はいったいどこの国でやっているものなのか、さっぱり実感が湧かなかった▼先日、東京ビッグサイト駅前で久しぶりに対面開催の取材があった。周辺はIDカードをぶら下げた国内外のマスコミ関係者などが行き交っていたが、国際展示場前まで行っても看板以外に五輪の雰囲気は味わえなかった。なるほど、ここは「パラレルワールド」(IOC広報部長)の汽水域なのだと得心した▼五輪開催中、新型コロナウイルス感染症の第5波は深刻化するばかりだ。心理的にも身体的にも、五輪が別世界であるはずはない。更なる拡大は、開催前から分かっていたことだろう▼その五輪では、女子マラソンが先ほど終了した。コロナ禍で久しく帰れない北海道なのに、東京よりリアルに感じられたのはなぜだろう。その五輪も、明日で終わる。さて、パラリンピックは無事に始められるのだろうか。

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2021年8月 6日 (金)

【内側追抜】ニセ永遠の5歳の童謡(わざうた)

ねぇねぇヨシヒデー 何をそんなに落ち着いてーるーのー
ねぇねぇヨシヒデー そんなのパンケーキの時だけでいいよー
方針ぐーるぐるー 転換させてー
ぶるぶるぶるぶる震えちゃうー
(ボーっと対策してんじゃねーよ!)
ジーミンーは永遠のー 政権与党だーからー
スーガちゃーんにころされるー
スーガちゃーんにこ、ろ、さ、れ、るー
スガスガスー スガスガスガスガスー
スガスガスー スガスガスガスガスー
スガスガスー スガスガスガスガスー
スガスガスー スガッスガッスガッスガースー!
スガスガスースー スガスガスー
スガスガスースー スガスガスー
スガスガスースー スガスガスー
(伴奏)
スガちゃん!
(以上ですっ!)

編注=童謡はあくまで読み人知らずです。たぶん。
編注3=再度訂正しました。

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2021年7月 9日 (金)

大学入試の「あり方」〈上〉 問われなかった政治責任

 文部科学省の「大学入試のあり方に関する検討会議」が正式に提言をまとめ、三島良直座長が萩生田光一文部科学相に手渡した。大学入学共通テストの実施直前になって頓挫した記述式問題と民間英語資格・検定試験活用という二つの目玉に関し、単に新課程入試(2025年度以降)でも断念を求めただけでなく経緯を検証した点でも高く評価されることだろう。

 へそ曲がりの本社は、まずその点に疑義を差し挟みたい。

 確かに今般の「高大接続改革」について、意思決定の在り方に問題があったことは疑いがない。検討の場が中央教育審議会→高大接続システム改革会議→文部科学省改革推進本部「高大接続改革チーム」へと移るにつれ、ますます不透明さが増したのも事実だ。

 問題の第一は中教審答申を、単なる会議提言が「上書き」したことだ。省庁再編前の旧中教審は文部省設置法に基づき、建議権さえ有した。少なくとも法令上は地方自治体における執行機関としての教育委員会と同様、教育の中立性を国レベルで担保するにふさわしかった。それに比べれば省庁再編後の新中教審は、政令を根拠としている。その分、大学審議会を前身とする大学分科会までも文科省事務局のコントロールが強まったように思えるのは気のせいだろうか。

 一方、検討会議は文科相決定により設置されたもので、いわゆる私的会議である。有識者と団体代表による構成は一見、幅広く公正な議論を担保しようとしたもののように見える。しかし中教審の「軽視」は極まったと言わざるを得ない。

 経緯の検証にしても、二つの目玉の見送りまでの話である。検討会議を設置した、萩生田文科相自身の判断が問われたわけではなかった。文科相の政治判断であるならば、その妥当性も検証されてしかるべきだった。

 もっと問われるべきは、下村博文・元文科相の政治責任だ。

 第2次安倍晋政権になって文教行政は、下村文科相兼教育再生相の恐怖政治にも似た剛腕によって主導された。それは本人が交通遺児から奨学金で大学を出て代議士にまでなり、発達障害の子息が海外留学で才能を開花させたという自身の個人的体験と信念に基づく側面も大きい。それを全否定するつもりは毛頭ない。むしろ高等教育の無償化など、下村氏だからこそ実現した政策や光が当たった分野があることは高く評価していい。

 しかし民主党政権から引き継いだ高大接続改革も、その剛腕が捻じ曲げた側面が否定できないのではないか。中教審やシステム会議の議事運営にしばしば首をかしげざるを得なかったのも、事務局の問題というより大臣という陰の存在に今風に言えば忖度(そんたく)したからだろう。

 その下村氏の思惑で進められた政策を、萩生田氏がひっくり返した。同じ自民党東京都連で、安倍政権の「お友達」内の対立が背景にあるとすれば興が覚める。

 「文部科学省においては、今回の事態が受験者等に与えた影響を真摯に受け止め、提言に盛り込んだ大学入学者選抜に係る意思決定のあり方に示された諸観点については、今後、広く他の施策においても生かされることを強く求める」――。提言の冒頭にうたわれた要請は、もっともである。しかし「文部科学省」とは、文科官僚のことなのか。政務三役の政治責任が問われない限り、同じ過ちを繰り返しかねない。もちろん文科官僚としての矜持(きょうじ)や能力も別途、問われるべきではあるが。

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2021年7月 3日 (土)

【内側追抜】続・五輪まで20日

五輪に反対する人は非国民です。

   ――某前首相

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【内側追抜】五輪まで20日

さあ、本土決戦だ!

   ――大本営

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2021年6月30日 (水)

授業時数特例 改訂時に緩和すべきだった

 文部科学省が28日、「授業時数特例校制度」を創設することを明らかにした。教科ごとに1割を上限として下回ることを認め、他の教科等に上乗せできるという。

 その理由を同省は、総授業時数は引き続き確保した上で、教科横断的な視点に立った資質・能力の育成や探究学習の充実に資するよう、カリキュラム・マネジメント(カリマネ)にかかる学校裁量の幅の拡大の一環として、弾力化した教育課程編成を認めるという。

 新学習指導要領の趣旨に照らして、誠にもっともらしい。おそらく中堅以下の教員は、誰も疑問を持たないだろう。しかし、ベテラン層は思い出してほしい。標準授業時数が本当に「標準」だった昔を。結果的に1割ほど下回ったとしても、誰も問題にしなかった。

 もちろん、そんな時代が総じて理想的だったと言うつもりはない。落ちこぼれは放置され、「お客さん」という嫌な隠語も日常的に使われていた。まだ発達障害という言葉も一般的に知られていなかった時代である。

 「ゆとり教育」批判に抗し切れなかった文科省は2001年に突然、学習指導要領を「最低基準」だと言い出した(現在は「基準性の一層の明確化」)。そこで求められたのが、「標準」時数の厳格な運用だ。当時、先進的な中学校を取材したが、教務部に相当な負担が掛かっていることが見受けられた。学力向上と評価基準策定と合わせて、あの頃から多忙化が深刻になったように思う。

 今回の指導要領改訂では、中央教育審議会で早々に「学習内容は削減しない」と宣言された。これも、ゆとり教育批判の再燃に先手を打った格好だった。しかし、それがかえって「コンテンツ(学習内容)ベースからコンピテンシー(資質・能力)ベースへの転換」をあいまいにしてしまった。学習内容の「習得」は維持されたまま、「何ができるようになるか」まで求められた。授業が過密化して当然だ。むしろ時数がもっとあっても足りない、というのが現場の実感だろう。

 カリキュラム・オーバーロードも懸念される中、時宜を得た制度だと受け止める向きもあるようだ。しかし肝心なのは、コンテンツの「扱い」の抜本的な見直しではないか。そもそも、ここまでコンテンツを厳密に示すナショナル・カリキュラムは諸外国にない。コンテンツの扱いも、真の意味で「標準」にすべきだった。大学入試改革が行き詰っているのも、やはりコンテンツ重視の体質が教育界のみならず世間一般に凝り固まっているからだろう。

 もう一つ嫌な感じがするのは、今回の制度化の発端が「履修主義と習得主義」論議から来ていることだ。これは表向き初等中等教育改革の審議過程で出てきた話だが(1月に答申)、源流は「個別最適化学習」で授業時数は弾力化すべきだという経済産業省「未来の教室」の攻勢だ。これに対抗し、差別化を図りたいという文科省の思いも分からないではない。

 しかし先に指摘したように、文科省自身が標準時数をめぐって方針転換した矛盾に矛盾を重ねた果ての制度化だと言わざるを得ない。働き方改革もそうだが、いま必要なのは現場の裁量拡大だ。お上に申請して特例を認めてもらう、上意下達の体質を強化することではない。

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