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2008年9月29日 (月)

【コラム 池上鐘音】廃仏棄釈の亡霊

▼以前、取材で宮崎県北地方の山間部を歩いたことがある。たまたま通りがかった小さな寺に入ったら、門の傍らに小さなほこらがあった。観音様だ。しかし、待てよ。寺名の肩には「浄土真宗」とある。確かに観音は弥陀の脇侍ではあるが、まず真宗ではまつらない。そこで気がついた。ははあ、廃仏棄釈で別の寺から“避難”して来られたのだなと▼廃仏棄釈は幕末から明治初期にかけて、実力行使で寺院を破却し、僧侶を還俗させた仏教排斥運動である。全国的には1868(慶応4)年の神仏判然令によるが、それ以前から水戸藩や薩摩藩などで先べんがつけられていた。必ずしも「行政」によるものではなく、御一新を旗印にした狂信的な国学徒も多かったようだ▼しかし、そもそも「神道」自体が仏教伝来に触発されて徐々に体系化されていったものであり、1200年もの長きにわたった神仏習合・神仏同座こそが、むしろこの「くに」の伝統的な宗教だった。哲学者の梅原猛氏は、廃仏棄釈を「仏殺し」であるとともに「神殺し」でもあったと喝破している▼九州における廃仏棄釈の拠点は薩摩であるが、その影響下にあった現在の宮崎・大分両県内でも、激しい排仏が行われた。伊満福寺(宮崎市)では住持の僧が山上から蹴落とされ、神仏習合の発祥地・国東の富貴寺(大分県豊後高田市)では僧侶が皆殺しに遭って土に埋められたという(佐伯恵達『廃仏毀釈百年』改訂版、鉱脈社)▼なぜこんな話を持ち出したかというと、中山成彬氏(衆院宮崎1区)が放言により国土交通相を辞任した後も、引き続き「日教組解体」を主張しているのを見聞したからである。あまつさえ辞任翌朝にTBSの番組に出演して心情を説明することを「神の手に導かれた」とまで言っている▼中山氏の出身地である県南西部の小林市は旧薩摩藩。仰ぎ見る霧島・高千穂峰(高原町)は明治初期、文部省(当時)の「調査」によって県北部の高千穂町とともに記紀神話の天孫降臨比定地に挙げられ、青銅製の天之逆鉾さえ置かれた▼過去の放言も含めて、その基となった歴史認識は、そうした環境を考えれば合点がいく。とすると日教組を「ぶっ壊す」というのは、現代の廃仏棄釈を担っているおつもりなのかもしれない。かなり根は深そうであり、だとすれば対話も検証も難しいかもしれない、とさえ思えるのである。

【訂正】当初アップ記事中、「中山氏が生まれ、地盤としている県南西部の小林市」は誤りでした。小選挙区制で小林市は宮崎3区になっています。お詫びして訂正します。

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