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2008年10月

2008年10月23日 (木)

文教行政 率直に「困難」を語れ

 22日、文部科学省内で開かれた「教育改革セミナー」の関東ブロック会場をのぞいてきた。教育改革の広報のため昨年度から実施しているもので、今年度も「教育振興基本計画」をテーマに全国7カ所で開催。今回は、16日の岡山会場に続く2番目である。これが、思いのほか面白かった。いや、文科省の行政説明は、例によってちっとも面白くない。正確に言えば文科省ウォッチャーとして着目すべき点は多々あったのだが、普通の人にはほとんど関係あるまい。質疑応答で左右両サイドから発言があり、ヤジの応酬が若干あるといった光景も、一般参加型イベントにはご愛嬌(あいきょう)のようなものである。面白かったというのは、大学評価・学位授与機構長の木村孟氏の講演である。

 木村氏は東京工業大学の工学部長時代から大学審議会(当時)にかかわるなど文教行政に通じており、中央教育審議会でも副会長まで務め、現在は臨時委員。そもそも今回のテーマである教育振興基本計画の策定を提言した教育改革国民会議(2000年)のメンバーであり、そういう点でも格好の人物であったと言える。

 木村氏は講演の中で、教育投資に関する記述ぶりを、数値目標が盛り込めなかった「言い訳」だと明言。その上で、教職員定数の改善についても「勝負は今後、毎年度の概算要求で獲得していく、ということだ」「今の財政状況を見ると、客観的にお金(予算)は出ない。ただ芽があるのは、(2008年度予算編成で)非常勤であっても財務省が増やしたことだ。(増員の必要性は)彼らも理解している。もう少し辛抱して、日本の財政が良くなるまで待つしかない」と説明した。普段からあけすけに語る、木村氏ならではの物言いである。

 もちろん文科省も近年、率直に語ろうとする努力はしてきた。省庁再編や学力低下批判のころからその兆しはあったが、飛躍のきっかけとなったのは、やはり義務教育費国庫負担制度の存廃論議あたりだったろう。財務省や総務省、果ては全国知事会など地方6団体と厳しく対立する中で、文教行政を守る立場から積極的なアピールを行う必要性に迫られたためだ。

 今回のセミナーでも、清水潔生涯学習政策局長は行政説明の中でこう述べた。「限界は率直に認めざるを得ない。振興計画が歳出改革や人件費改革の期間と重なるという制約がある、という現状は認識しつつも、(増額の)可能性を念頭に進めていかなければならない。国の重点、国の在り方として、教育政策への理解を獲得していかなければならない」――。ウォッチャーなら十分ニヤリとできる発言であるが、これで一般国民に伝わるかどうか。もちろん説明者のキャラクターや場所にもよろうが、木村氏の説明の方が、すとんとふに落ちたろう。

 必ずしも責められないことは、分かっている。文科省といえど政府の一機関であり、政府は一体であるという建前がある以上、内部対立があることを宣伝するのは得策ではない。言質を取られない言い回しは、、役人生活の中で嫌でも染み付いてしまう。しかし教育界が困難の度合いを深めている時だからこそ、困難は困難として率直に語るのが、文教行政をつかさどる役所の務めだと思うのである。

 そうは言っても文科省自身が率直に語り切ることができないのは、ある意味で仕方がない。だからこそ、木村氏のように自由な立場で語れる人が必要なのである。その点のしたたかさに関しては財務省などと比べれば文科省はずっと「真面目」であり、時としてもどかしさを覚える、と言ったら厳しすぎようか。場合によっては、裏だけでなく表に関しても、文科省に批判的だと目されている立場の人間すら活用する度量を求めたい。それこそが、文教行政に対する信頼や期待を高める道だとすら言えよう。少なくとも、どこぞの政治家のように根拠薄弱な事実や昔の話を持ち出して対立をあおったところで、教育現場が良くなる保証はどこにもないのである。

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2008年10月18日 (土)

中山元文科相 完全に引退すべきだ

 中山成彬前国土交通相(元文部科学相)は16日、いったん表明した次期衆院選への不出馬を撤回する意向を関係者に示したが、反対に遭って翌17日、改めて不出馬を表明せざるを得なくなった。一連の過程で明らかになったのは、政治家としての発言の軽さだ。本人はまだ今後の国政復帰の可能性を捨てていないようだが、文教行政のためにも、この人には完全に引退することを勧めたい。

 中山氏は4日の引退表明で「またチャンスがあれば国政に登場したい」と言っていたが、17日に発表した談話でも「今後の事については関係者と慎重に相談してまいりたい」と復帰に含みを残しているから、まだ色気は十分に残っているようである。だからこそ、談話にも「地元自民党支部、後援会は強い出馬要請の気持ちを持っている」と書けるのであろう。しかし、緒嶋雅晃・自民党宮崎県連会長すら「中山氏には言葉に責任を持っていただきたい」と突き放している。どこまで出馬要請があったものか、それさえ疑わしい。

 この人の業績を語る時、文科相時代に「ゆとり教育」を見直し、全国学力テストを導入するという方針を打ち出したことが挙げられることが多い。しかし、その内実は単に学校現場を混乱させたものでしかなかったことは、9月26日付の社説で指摘した。今回の一件で、文科相当時の言動自体も“放言”の部類に属するものだったことが明らかになったと言えよう。実際にはそれ以前から新学習指導要領での授業時数増は既定路線と見なされていたから、当時の中山文科相の指示がなければ実現できなかったわけではあるまい。結局、マイナスの影響しか及ぼさなかったのである。

 さらに、今回の「日教組をぶっ壊す」発言である。これについて中山氏は一切撤回しておらず、国政復帰の重要な動機の一つでさえあるようだ。しかし、そうした信念が時代錯誤であり、建設的でないことは、別の機会にも指摘したし、10月14日付のコラムでも触れた。中山発言で「我が意を得たり」と思った人も、一連の迷走による信用失墜で、結果的にはさぞ迷惑していよう。

 だいたいこの人は国交相就任インタビューで、成田空港の「ごね得」発言により所管大臣失格、「単一民族」発言により国務大臣失格のらく印を押されて当然だった。その後の発言を見れば、政治家としての資質も疑われる。過去の業績も評価に値しないとしたら、たとえ当人が言うように山にこもって座禅を組んだとしても、改まることはあるまい。

 一人の人間の思想・信条として、日教組を批判するのはご自由である。しかし、憲法に保障された集会・結社の自由を否定するような人は、それだけで国会議員失格である。「火の玉」(10月4日の引退会見)になりたいのなら、街宣車にでも乗ればよかろう。間違っても国政に復帰したいなどとは、二度と思わないでほしい。

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2008年10月14日 (火)

【コラム 池上鐘音】言いたかったのは

▼本日、初めてラジオというものに出演した。文字通りのお聞き苦しい声で、まとまりのない話を聞かされた読者の方には、この場でおわび申し上げます。当ブログとはかかわりなく、たまたま聞いてしまったリスナーの方には、陰ながら不明を恥じるしかない▼一つ学んだのは、限られた中で自分の言いたいことを話すには、自ら話の配分をもコントロールしなければならない、ということである。というのも、最後は時間がなくなって、肝心の主張が話せなかった、という強い反省がある。しかし考えてみれば、いつものインタビューする側、される側が逆転したわけだから、日ごろの取材下手がたたった、とも言える。ますます不明を恥じねばなるまい▼その言いたかった主張というのは、「今さら『日教組は』とひとくくりにして論じても、何ら建設的ではない。それよりも、お互いの主張は主張として置いておき、目前の子どもの教育に何が必要か、妥協点を見いだす努力をすべきだ」という、しごく常識的なことである。オンエアで話したことも含め、教育関係者に対してはとても恥ずかしくて口に出せない話であり、そのため本社説で取り上げることをはばかったくらいであるが、一般の人には訴える意義もあるかなと思い、つい引き受けてしまった次第である▼結果的には教育関係者にとって極めて常識的な、客観的事実の羅列にとどまってしまったが、考えてみればそれが本来の記者の本分である。どう判断するかは、賢明なリスナーに委ねよう。願わくば、無用の対立をあおることなく、教育のために最適な道を探るよう、関係者はもとより、社会一般の方々の理解を求めたいところである▼この場を借りて念のために申し上げておきますと、本社は企画、取材・執筆、構成、校閲・校正等々、教育媒体に関する編集業務一切を請け負っているものの(販売・広告関連部局は設置しておりません)、講演、出演のたぐいは基本的に営業の範囲外です。検索でたどりついて勘違いする方もいらっしゃるようなので、一応、念のため。

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【社告】

 本日夜、首都圏ネットのFMラジオJ-WAVE(81.3mhz)の「15MINUTES」(20:55~21:20ころ)に、本社論説委員が出演を予定しています。聴取可能な方には、聞くな、とは申し上げませんが、そっとしておいていただければ幸いです。

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2008年10月 2日 (木)

教職調整額見直し なぜ大激論にならぬ

 文部科学省の「学校の組織運営の在り方を踏まえた教職調整額の見直し等に関する検討会議」(座長=小川正人・放送大学教授)は9月8日、報告をまとめた。ところが、これが一般マスコミではほとんど取り上げられないばかりか、大手教育専門紙も地味な報道に終始している。こうした話題を真っ先に取り上げるべき好事家ブログ「教育ニュース観察日記」すら、沈黙を続けたままである。そのため会議の存在自体を知らない人も多かろうが、事は給与のみならず、専門職としての教職の在り方を揺るがしかねない大問題である。現場レベルで大いに激論をたたかわせ、あるべき教員給与と勤務のあり方について、合意形成を図っていくべきである。

 これだけの大問題なのに、関係者の反応もいまひとつである。そもそも文科省にしてからが、ホームページに本文をアップしたのは半月も経った同24日。たとえ事務上の都合と説明しようと、積極的な広報をはばかっていると受け止められても仕方あるまい。敏感であるべき各教職員組合にしても、これまた業界的にほくそ笑んでしまうような反応(有無も含めて)しかしていない。

 もっとも、そうした反応の鈍さは無理からぬところもある。検討会議の報告は課題を列挙しただけで、実質的な審議は中央教育審議会に委ねているからだ。そのため諮問を待って、あるいは方向性が見えてきてから大々的に取り上げよう、という思惑は分からなくもない。

 「手当」への転換というアイデア自体、直接的には教職調整額の支給割合自体で「メリハリ」をつけようとした文科省案に対して内閣法制局が疑義を唱えたためだが、そもそも現実問題として困難が伴う。勤務実態調査によると残業時間は月40時間近くと、40年前に比べて5倍に増大しているのである。本給から除外されれば期末・勤勉手当や退職手当が削減できるとはいえ、いくら残業の多い人と少ない人でメリハリをつけても、財政支出の抑制につながる保証はない。そのため今回の提言は、たとえ支給率を引き下げてでも教育調整額制度を残すための文科省の戦術ではないかという観測すら、関係者にはある。

 しかし何度も言うように、事は重大問題である。

 教職調整額制度は、教員の職務の特殊性を勘案して、時間外勤務手当(残業手当)を支給しない代わりに、給与月額の4%を一律に支給するものである。ただし、それは単なる「代わり」にとどまらない。教員がどれだけ教材研究や生徒指導などに時間を掛けるかは、専門職としての「自発性・創造性」に従った判断に任されている。時間外勤務を命じることができる「超勤4項目」(限定4項目)にしても、長時間労働の抑制というだけでなく、専門性に基づく自主性をも尊重したものであるとも意義付けられよう。

 もちろん報告書が指摘するように、既に超勤4項目が実態に合わず、かえって長時間労働や“風呂敷残業”を助長しているだけだという批判はあろう。過密労働を抑制するような制度設計が求められていることも、論をまたない。

 しかし一方で報告書が、教員も「組織を構成する一員」であることや、教員に求められる自発性や創造性を学校経営方針の枠内に限定してとらえるべきだとしていることを、どう受け止めるのか。確かに、従来の「鍋ぶた型組織」では、組織的・一体的な教育活動は展開できない。だからと言って、単に校長―副校長・教頭―主幹・指導教諭―一般教諭というラインの範囲内で与えられた役割だけ果たしていればよいという風潮が広がったならば、専門職としての地位や誇りを保つことができるのか。教師が名実共に医師や看護師などの「師」業に及ばず、民間とさほど変わらない教育サービス従事者になってしまうおそれも、なしとはしない。

 給与が下がってもいいから、仕事の自由度が欲しいという考え方もあろう。あるいは無限定に職務が広げられるよりも、授業や生徒指導などに限定してくれた方がいい、という考え方もあろう。そもそも本社は、「教職かくあるべし」といった偉そうな主張を無責任な立場から唱えるつもりなど、毛頭ない。教職が専門職であるならば、その専門職が、専門職としての誇りをもって、今の時代に専門職としてあるべき職務形態を、専門職自身が議論し、政策提言すべきだと言いたいのである。

 このままでは、省庁間の思惑に関係団体の意向が若干考慮されるだけに終始してしまう。文科省は2010年度概算要求に反映させることを目指して中教審で論議してもらいたい考えだから、時間は1年も残されていない。くどいようだが、準拠する私立も含めて、事は100万教職員にかかわる重大問題である。今から現場レベルで論議を始めても、遅すぎることはあっても早すぎることはない。

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