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2009年2月 1日 (日)

〔開設1周年記念①〕公立学校 “家庭格差”の安全網に

 先ごろ発表された初の「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」(全国体力テスト)の結果で、気になるデータがあった。朝食、睡眠時間、テレビ・ゲームの視聴といった生活習慣と、体力には相関関係があるというのだ。

 中学生になると運動時間に明確な二極化が見られること、運動時間と体力に相関関係があることは当然と言えば当然だが、運動の基礎となる体力を支えるはずの生活習慣にそもそもの格差があったとしたら、子どもの体力・運動能力にもその格差が現れることになる。

 なぜこの点にこだわるかと言えば、近年、生活習慣と学力の関連性が指摘されているからだ。

 大阪府の橋下徹知事は1月21日の記者会見で、「普通は勉強ができなかったら体育ができるか、体育ができれば勉強できないか、どっちかだ」と、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)と全国体力テストの両方の成績が振るわなかった大阪府下の現状を厳しく批判した。しかし、そうした昔ながらの単純な“常識”では済まされそうにない。

 生活習慣は当然、家庭教育、ないしは家庭の在りようにかかわってくる問題である。しかし現下の深刻な経済危機により、家庭の基盤そのものが揺らいでいる。

 家庭環境の格差によって、生活習慣にも格差が生じ、それが学力のみならず、体力・運動能力にも格差を生じさせるとすれば、どうなるか。教育の機会均等に重大な影響を及ぼすばかりか、ひいては将来の国力にも不安要因を増大させることになる。

 もちろん、これは教育政策のみで解決できるものではない。まずは雇用不安の解消をはじめとした、家庭の経済格差を縮小させるような施策が求められる。

 その上で、公立学校がこうした“格差”家庭にとって最低限の安全弁となっていることも、改めて認識しなければなるまい。低所得層の家庭では、学校給食が子どもの最低限の栄養バランスを支えているとの指摘さえ聞かれる。近年の給食費滞納問題でその機会すら奪われてしまっては、さらに深刻な事態を生じさせる恐れすらあろう。

 今こそ学校教育が子どもの成長・発達にとって、最低限のセーフティーネットとなる必要がある。言うまでもなく、学力や体力・運動能力の向上策を講じることは当然だ。その上で、家庭との連携・協力や、その支援にもいっそう力を入れることが求められよう。これは設置者を問わずすべての学校の役割であるが、とりわけ公立学校に期待される機能だろう。

 そのためには、教員の尻をたたくだけではなく、予算面、勤務面等で手厚い支援を行うことはもとより、地域・家庭で学校を支え、一致協力して子どもを育てる態勢を構築していくことが不可欠になる。

 行政には、中央・地方とも財政が厳しい中でも、学校教育に特段の配慮をすることを求めたい。本社はただ教育業界マスコミの末端として、予算を増やせと主張するものではない。先に指摘したように、国家戦略としても喫緊の課題であると考えるからだ。

 保護者や住民も、公立学校バッシングなどしている場合ではなかろう。公立学校教育に不安や不満があるとすれば、単なる批判や公立回避の前に、まず地域の学校をどうしたら良くできるか、真剣に考える時だ。

 国に対しても、家庭支援について、経済施策のみならず教育施策をも充実させるべきことを強調したい。改正教育基本法10条1項に保護者の第一義的責任を規定したからといって、家庭の教育力が向上するものではない。同2項にある「必要な施策」の具体化こそが、教育格差の解消に有効な作用を及ぼすものになろう。

 公教育を塾などと同列の教育サービスととらえる昨今の風潮は、いっそう格差の拡大を助長するものになるのではないかと危ぶむ。とりわけ公立学校教育は、ますます格差社会の防波堤としての機能が求められようし、そのための支援策をこそ行政、地域に望みたい。

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コメント

渡辺様 はじめまして まったく貴兄のご意見に同感でございます。

>とりわけ公立学校教育は、ますます格差社会の防波堤としての機能が求められようし、

しかし現実は何か邪悪ともいえるような圧力で、搾取社会を深化しているように思えます。

とりわけ、税金で食べさせていただいている者が、増税者の上にまたがり、政治家に至っては亡国2世議員ばかりというありさま。

いわゆる“美味しい職業”の世襲と同時に、底辺の階級の世襲も深化しているのが現状かと思います。

また、学校の先生が一番、子どもを私学に入れたがる傾向もあるのでは? 私事ながら、近所の教師がいちばん自分からあいさつをしないですね。

教育界とは全く門外漢のわたくしですが、防波堤としての公立学校は、すでに決壊していると考えるのは、あまりにネガティブでしょうか?

でも公立学校しかない、というのは実感であります。失礼しました。

投稿: 3-5-10 | 2009年3月 4日 (水) 00時02分

訂正
増税者→納税者、の誤りでした。

投稿: 3-5-10 | 2009年3月 4日 (水) 00時08分

3-5-10 さん、コメントありがとうございました。また、再三のご訪問にもかかわらず、返信(および記事更新)が遅くなりまして大変申し訳ありませんでした。
公教育(私学教育も含んでの意味ですが)がさまざまな矛盾をはらみ、近年ますます混迷を深めていることは確かです。しかもその解決策が単なる教員バッシング、公務員バッシングで導かれるわけはありません。公立学校が「決壊」しているとしても、その原因は何なのか、どうすれば再び「防波堤」を築くことができるのか。本社では今後とも、現実に即したマニアックな視点で考えていきたいと存じます。今後ともご意見、ご批判をいただければ幸いです。

〔追伸〕
ご指摘のように「学校の先生が一番、子どもを私学に入れたがる傾向」は、確かにありました。文科省の職員からして、かつてはそうでした。ただ、最近ではちょっと違う動きもあるように感じます。その一端に関しても今後、具体的に論じていく予定ですので、ご期待ください。

投稿: 本社論説 | 2009年3月25日 (水) 21時23分

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