« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

2009年4月21日 (火)

全国学力テスト 成績不振校から支援を

 再開3回目の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が、きょう行われた。本社はこれまで、しつこいくらいに全国学テを任意参加とすることを主張してきたので、繰り返さない。ここでは結果の返却に向けて、成績の振るわなかった学校から予算の傾斜配分や教職員加配などの支援措置を検討するよう、各自治体に求めたい。

 興味深いデータが先ごろ公表された。お茶の水女子大学の耳塚寛明教授らの研究グループが文科省の「新教育システム開発プログラム」の採択を受けて行った「教育格差の発生・解消に関する調査研究報告書」である。ベネッセ教育研究開発センターとの共同研究という形を取ったから、報告書全文が同センターのホームページからダウンロードできる。

 教育格差が家庭などの階層格差によって再生産されることは近年、教育社会学が注目し、実証してきたところである。しかし、それは一歩間違えれば学力「決定論」に陥りかねない。報告書ではそれにとどまらず、「解消」に向けた学校の在り方まで探ろうとしているところが注目される。

 それによれば、たとえ経済的・文化的条件に恵まれない家庭の児童・生徒が多くても、テストで一定の成果を上げている「効果のある学校」(エフェクティブ・スクール)が存在する。そこでは、子どもが教師や友達などと良好な人間関係を築き、より積極的な学習態度や学習習慣を形成することに成功しているというのだ。

 調査対象は東北から九州まで7県の小学校42校と少ないが、そのうち「首都圏」のある県では5校すべてが階層的に恵まれた学校背景に置かれていたにもかかわらず、「効果のある学校」に認定できるのは1校しかなかった。一方、「2007年度からの全国学力テストでトップクラスの成績を収めている県」(報告書)では8校中4校が「効果のある学校」であり、しかも、そのうち3校はかえって階層的には恵まれていなかったという。極めて象徴的な対照ではないか。

 階層差がストレートに現れるのは、先の首都圏の学校のような「大都市部の効果のない学校」(同)だ。そういう学校の成績が良好だったとしても、家庭環境や学習塾などが学力を担保しているに過ぎない。同じ学校に通う階層的に恵まれない家庭との格差は、残されたままになる。一方、全国学テでトップクラスだった県の「農村部の効果のある学校」(同)では、平日に家で勉強する時間を尋ねたところ、「1時間くらい」が70%近くを占めている。大都市部のように二極分化してはいないし、それほど勉強時間が長いわけでもない。

 もちろん、そうした農村部の学校では「小・中学校の成績は良くても、大学進学率は低いではないか」という批判はあろう。しかし問題は、公教育政策としてエリート選抜を重視するのか、それとも国民的な資質・能力の底上げを図るのか、である。そもそも大学進学率を云々するのも、「大学全入時代」以前の発想だろう。

 肝心なのは、「効果のある学校」をどう増やしていくかである。そのためには、家庭や地域に課題がある学校に手厚い支援を行うことが早道であることは、論をまたない。であれば、政策論としては単純だ。せっかく国が何十億もかけて全国学力テストをしてくれているのだから、学校の設置者である自治体はその結果に応じて“下から”傾斜配分を行えばいいのだ。

 こんなことを偽装マスコミが場末のブログで論陣を張ったところで、何ら影響力がないことは分かっている。しかし、市町村・学校別の成績を公表するよう圧力を掛けたり、成績が良好だった学校に予算増額や加配をちらつかせたりする一部の首長が、いかに問題の解決と逆行した主張をしているかが、何となくでも分かっていただけるのではないかと信じたい。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月19日 (日)

【池上鐘音】憂うつな4月

▼新年度に入ったというのに、この4月はどうにも憂うつだった。何も仕事が増えないためではない。移行措置の始まった新学習指導要領に関して、相変わらず「脱ゆとり」「ゆとり教育の見直し」という報道ぶりが続いたためである▼本社は以前にも、文部科学省が行ってきた教育課程行政を「ゆとり教育」と呼ぶことの不毛さを指摘した。用語上も、使用する場合は必ず「いわゆる『ゆとり教育』」という持って回った表記を使っている。本ブログを何度も訪問してくれるような好事家、いや真面目な読者は理解してくれるであろうが、所詮は場末のブログである。これだけ「脱ゆとり」がマスコミで連呼されると、一般の人たちはもとより、教員すら新指導要領がいわゆる「ゆとり教育」の是正を主眼として改訂されたものだと思い込んでしまうだろう▼今は移行措置や日常業務に追われてそれどころではないだろうが、新教育課程対応が今後、本格的に迫られるようになると、その“恐ろしさ”に気づくのではないか。どう恐ろしいかは先日ある教育専門誌の企画で取材したので、仁義として同誌発行後に論じたい▼もっとも今回は、「新学力観」指導要領(1989年改訂)の時のような混乱は起こらないかもしれない。いわゆる「脱ゆとり」と全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)への対応さえしていれば、保護者や地域が納得するのだから▼その時に起こるのは、「教育課程の基準」という指導要領の存在意義そのものの揺らぎである。指導要領に書いてあることでも不必要だと判断すれば従わなくてもいい、あるいは軽重がついても仕方がない、という考え方がまん延しかねない、というのは、うがった見方だろうか。高校未履修問題や「総合的な学習の時間」への消極的対応という、悪しき前例もある▼もっとも、それは悪いことではない、という立場もあろう。解釈をまったく現場に任せる、というのも一つの方法である。しかし一時期、指導要領の弾力性を説明していた文科省が、最近になってまたぞろ「最低基準」を強調しているのも気に掛かる▼世間とのギャップ、行政とのギャップの板挟みに遭うのは、いつも現場である。だからこそ、現場は教育行政で何が行われようとしているのか、冷静に把握していなければならないように思う。本社がチマチマと場末のブログで論じているのも、そのためである。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月10日 (金)

2人の校長に期待する〈下〉 今度こそ高校版“島小”の実現を

 新天地でスタートを切った校長に期待するシリーズの2人目は、私立開智高等学校(埼玉)の関根均氏(51)である。というより、こんなにも早く、かつ堂々と紹介できることを、うれしく思う。

 実は関根氏のことは以前、本社説でもこっそり取り上げた。前任の公立高校での取り組みについて興味のある方は、『月刊高校教育』(学事出版)の本社配信記事をぜひご覧いただきたい。同誌には4月号から、関根氏自身の連載も始まっている。

 振り返ってみれば高校教育界はこの間、世間のいわゆる「ゆとり教育」批判と「学力向上」の要請に勢いを得て、大学進学率を上げることに腐心してきた観がある。もちろん、そのこと自体は否定されるべきことではない。しかし、その裏にはどうしても「伝統校の復活」や「生徒確保」という本音が、透けて見えてしまう。たとえ「地域の期待に応える」「真のリーダーを育てる」などという建前を掲げていても、である。

 実は関根氏も、大学進学実績を否定しない。それどころか、自身の出身校である「東大」すら目標に掲げて隠さないほどである。しかし、それは原義通りの方便であろう。その過程で目指すのは、人のために努力して勉強できる「天才」を育てることである。しかも、そのための明確な方法論もある。それに従えば、誰でも「天才」になれる――。

 関根氏は、こう言っては大変失礼だが東大などとても口に出せそうにない前任校において、「東大」を看板にした自主講座を立ち上げていた。当時、取材でそのことに水を向けると「僕は本気なんだけどなあ」と半分真顔で笑っていたことを思い出す。続けて自身が東大に再入学すべく通勤途上で勉強を開始していると聞いた時は、さすがにのけぞってしまったが。

 本当ならばあと何年かその前任校にとどまって、ぜひとも結果を出してほしかった。しかし、関根氏を守り切れなかった某県教委の力不足である。その県の高校教育界にとっても、大変な損失であると言わざるを得まい。

 しかし、そのおかげで全国の教育界は、大きな可能性を得た。「学びのサプリ」を中心とする関根実践は、高校教育にとどまらず中等教育全体、さらには初等教育、高等教育、社会教育、ひいては生涯学習までにも応用可能であると信じる。何とかメソッドの比ではない。その実証が、これから始まるのだ。

 本社記者はかつて前任校の校長室で関根氏の話を聞きながら、なぜか川向こうの伝説的な校長のことをと思い浮かべていた。その学校が、現代の高校版「島小学校」になるのではないかと夢想したのである。その夢想は結局、実現しなかった。しかし関根氏のまいた種は、今も芽を出そうとしている。

 関根氏が今度こそ現任校を「島小」とすることを、そして関根氏の意思を継ぐ公立高の先生たちとも連携しながら、教育界全体にインパクトを与えるような実践を示してくれることを、願ってやまない。そのために本社は今後とも、関根氏の動向に注目しながら、文字通り微力ながらの取材活動を行っていくつもりである。ご期待いただければ幸いである。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月 7日 (火)

2人の校長に期待する〈上〉 混迷する教育界の打開役に

 新学期が始まった。本社は、新天地でスタートを切った2人の校長に注目している。1人目は、東京都品川区立大崎中学校校長の浅田和伸氏(47)である。

 浅田氏は、前内閣参事官の文部科学省キャリア官僚。経緯などは本社配信記事に譲るが、順調だった事務次官への道を投げ打っての“覚悟の転進”だ。

 浅田氏が校長を志した動機の通り、教育界には今、深い亀裂が走っている。学校現場は次々と降りかかってくる教育改革メニューに「改革疲れ」を起こし、判断停止にさえ陥っているように見える。

 文科省の方針も、現場には決して一致しているとは受け止められていない。それもそのはず、「行政の継続性」に腐心していることは本社のような教育行政マニアには理解できないこともないのだが、構造改革や「教育再生」路線と整合性を取ろうとして、かえってグランドデザインが描けていないと言わざるを得ない。しかも、かろうじて一致している部分すら「脱ゆとり教育」といった皮相的な見方によって誤解されたままである。

 教育再生会議に対する評価など、実際に担当者だった浅田氏と、本社の認識には自ずと違いがある。しかし、あえて困難な場に身を投じ、現場と苦労を共にしようとした浅田氏の決断には、掛け値なしにエールを送りたい。

 浅田氏は赴任前、まず自分の目で学校現場の実態を把握してからだと、具体的な抱負を述べることを慎重に控えていた。しかし若手官僚時代から柔軟な考えと、相手の話を聞く耳を持っていた氏のことである。本社の取材に語っていた「教職員の能力が最大限に発揮されるような環境づくりが校長の役割」という姿勢や、きょう行われた入学式で述べていた「教育を大切に思う気持ちは人後に落ちない」という言葉に、嘘はない。

 幸い赴任校は、地域的にも落ち着いた学校のようである。きっと教職員や保護者、住民にもその姿勢が理解され、安定した学校運営が行えるに違いない。そこから徐々に、地に足のついた新機軸を打ち出していくことだろう。その上で困難があれば、国に対しても現場の立場から、堂々と提言してほしい。

 何より「行政と現場の心をつなぐ」役割は、まさに浅田氏が志したところである。そこから発信される実践や提言は、必ずや混迷する教育界の課題を打開する糸口になるはずだ。

【更新のお知らせ】本社配信記事のリンク先を修正しました。(4月20日)

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »