« 2人の校長に期待する〈下〉 今度こそ高校版“島小”の実現を | トップページ | 全国学力テスト 成績不振校から支援を »

2009年4月19日 (日)

【池上鐘音】憂うつな4月

▼新年度に入ったというのに、この4月はどうにも憂うつだった。何も仕事が増えないためではない。移行措置の始まった新学習指導要領に関して、相変わらず「脱ゆとり」「ゆとり教育の見直し」という報道ぶりが続いたためである▼本社は以前にも、文部科学省が行ってきた教育課程行政を「ゆとり教育」と呼ぶことの不毛さを指摘した。用語上も、使用する場合は必ず「いわゆる『ゆとり教育』」という持って回った表記を使っている。本ブログを何度も訪問してくれるような好事家、いや真面目な読者は理解してくれるであろうが、所詮は場末のブログである。これだけ「脱ゆとり」がマスコミで連呼されると、一般の人たちはもとより、教員すら新指導要領がいわゆる「ゆとり教育」の是正を主眼として改訂されたものだと思い込んでしまうだろう▼今は移行措置や日常業務に追われてそれどころではないだろうが、新教育課程対応が今後、本格的に迫られるようになると、その“恐ろしさ”に気づくのではないか。どう恐ろしいかは先日ある教育専門誌の企画で取材したので、仁義として同誌発行後に論じたい▼もっとも今回は、「新学力観」指導要領(1989年改訂)の時のような混乱は起こらないかもしれない。いわゆる「脱ゆとり」と全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)への対応さえしていれば、保護者や地域が納得するのだから▼その時に起こるのは、「教育課程の基準」という指導要領の存在意義そのものの揺らぎである。指導要領に書いてあることでも不必要だと判断すれば従わなくてもいい、あるいは軽重がついても仕方がない、という考え方がまん延しかねない、というのは、うがった見方だろうか。高校未履修問題や「総合的な学習の時間」への消極的対応という、悪しき前例もある▼もっとも、それは悪いことではない、という立場もあろう。解釈をまったく現場に任せる、というのも一つの方法である。しかし一時期、指導要領の弾力性を説明していた文科省が、最近になってまたぞろ「最低基準」を強調しているのも気に掛かる▼世間とのギャップ、行政とのギャップの板挟みに遭うのは、いつも現場である。だからこそ、現場は教育行政で何が行われようとしているのか、冷静に把握していなければならないように思う。本社がチマチマと場末のブログで論じているのも、そのためである。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

|

« 2人の校長に期待する〈下〉 今度こそ高校版“島小”の実現を | トップページ | 全国学力テスト 成績不振校から支援を »

コラム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506419/44717341

この記事へのトラックバック一覧です: 【池上鐘音】憂うつな4月:

« 2人の校長に期待する〈下〉 今度こそ高校版“島小”の実現を | トップページ | 全国学力テスト 成績不振校から支援を »