「格差解消」テコに公教育の信頼回復を
教育政策をめぐってこの間、さまざまな動きがあった。文部科学省の「教育安心社会の実現に関する懇談会」発足(25日)、政府の教育再生懇談会第4次報告(28日)、文科省関係だけでも1兆3174億円という巨額な補正予算の成立(29日)などである。本社はそのいちいちに批判的な論評を加えようとも考えたが、ふと思い直した。いずれも教育格差の解消策が、まがりなりにも含まれているからである。むしろ格差解消策に教育界を挙げて取り組むことこそが、失墜してしまった公教育の信頼を回復する糸口になるのではないか。
100年に一度と言われる世界同時不況の下で、教育格差の解消が喫緊の課題であることは論をまたない。もとより公教育は、発達した社会にあって国民・市民の幸福追求に不可欠なものである。今の状況は、憲法で保障されている「教育を受ける権利」の危機であると言ってもいい。「選択と集中」を言うならば、何をおいても権利保障を最優先すべきだろう。
失墜した信頼と言っても、その中には理由のあること、理不尽なことが両方含まれている。相次ぐ教職員の不祥事はもちろん前者に入るが、学力低下批判は後者の部類に入ろう。総体としては過剰なほどの教員バッシング、教育界バッシングが行われたが故の、信頼失墜である。
だからこそ国民・市民に急速な不安が広がっている時に、社会のセーフティーネットとしての公教育がその役割を発揮することは、安心をもたらす第一歩になるだろう。公教育に対する不信感の多くがいわれのないものであるならば、逆に改めて公教育の底力と存在感を示すことこそが、信頼回復への近道になるのではないか。
これは何も、経済的に困難な家庭の教育費負担を軽減するだけにとどまるまい。いま受けている学校の教育で、将来的にも安心できる学力保障が行われることが第一である。教育現場でも、学力向上はもとより生徒指導面など、すべての子どもの成長を保障する教育実践に、いっそう意を用いるべきだ。
もはやテストの成績や進学実績を伸ばすことに、きゅうきゅうとしている場合ではない。それぐらいの危機感と緊急性を持って取り組めば、成果主義に走らなくても信頼は徐々に回復してくると信じたい。
もちろんここで言う公教育には、公の支配下にある私立学校の教育も含まれることは言うまでもない。学校バッシングが狭い意味での「公立学校教育」バッシングに利用された向きもあるが、公教育の一端を担うものとして私学の役割と責任は重い。個別の学校法人は受け入れた児童・生徒を安易に放り出さないような努力を尽くすべきだし、行政もそのための支援に力を入れるべきだろう。
その上であえて苦言を呈せば、いま国レベルで主張されている「教育安心社会の実現」が単なる教育費の焼け太りを目指すものであっては、それこそ信頼は得られない。本社は原則論としての教育費の増額に異論を唱えるものではないが、目下の財政難にあっては限界があることも認めなければなるまい。何が喫緊の課題で、そのためにはどこに集中的な投資を行うべきかを考えることこそが政策であり、政治というものであろう。
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