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2009年5月 2日 (土)

最高裁の「体罰」判決 現場の参考にはならない 

 最高裁第3小法廷は4月28日、2002年に熊本県本渡市(現天草市)の市立小学校で男性臨時教員から体罰を受けて心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したとして男児側が市に賠償を求めた訴訟の上告審で、教員の行為を体罰と認定した1、2審判決を破棄し、請求を棄却する逆転判決を言い渡した。体罰に関して最高裁が判断を示すのは民事訴訟で初ということで注目され、新聞各紙もさまざまなトーンで報道・論評している。しかし残念ながらこの判決は、体罰問題に限って言えば、指導に悩む教育現場の具体的な参考になるような判例になるとは言えそうにない。

 訴えの基となったのは、お互いに面識のなかった教員と児童とが、しかも別の教員が別の児童を指導中という、たまたま遭遇した場面での行き違いから起こった行為である。しかも主な争点は、慎重167㌢の教員が同130㌢の児童の胸元をつかんで壁に押し上げて叱責(しっせき)した行為が体罰に当たるかどうかという、極めて具体的な行為をめぐるものだ。

 もちろん、どのような行為が体罰に当たるかどうかというのは、それこそ現場が目を皿のようにして知りたい判例だ。しかし、判決は「その目的、態様、継続時間等から判断して…許される教育的指導の範囲を逸脱するものではな」い、としているに過ぎない。

 文部科学省は2007年2月の初等中等局長通知で、懲戒行為が体罰に当たるかどうかは「当該児童生徒の年齢、健康、心身の発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要がある」としている。今回の判決は、これを超える判断基準を示してはいない。

 学校現場は今、昔に比べて対応が難しい児童・生徒の指導に悩んでいる。一方で、若手教員の増加や多忙化によるストレス増大により、きめ細かな指導を行う余裕がなくなりつつある現状も存在する。保護者対応も含め、体罰問題はますます具体的かつ日常的な悩みの種になってこよう。「拡大解釈許されず」「毅然たる指導こそ必要」といった論評をしたところで、現場には何も響かないだろう。

 判決で一つ、気になることがある。原告側の対応に関して、「長期にわたって…本件行為について極めて激しい抗議行動を続けた」とあるくだりがそれだ。実はこれが、本件のみならず体罰問題の本質にかかわるような気がする。

 下級審判決を参照しても、事案の発覚当初から、あるいはそれ以前から、学校と保護者の関係が良好なものではなかったことが推測できる。もちろん判決文からすべてを判断することはできないし、ましてや保護者をいわゆる「モンスターペアレント」呼ばわりすることは、厳に慎まなければならない。保護者を「モンスター」と規定する風潮自体が学校と保護者との良好な関係づくりを阻むものであることは、以前の社説でも論じたところである。

 「体罰を加えることはできない」というのは、学校教育法に定められた絶対条件だ。しかし、個々の指導場面においては、教員と児童・生徒の間に信頼関係が成立していなければ、効果はない。また、学校側と保護者側とに信頼関係が成立していなければ、いかなる厳しい指導も行いにくく、かえって指導を萎縮させてしまうことにもなりかねない。

 結局は本社説も、「日頃から教員等、児童生徒、保護者間での信頼関係を築いておくことが大切」という、文科省通知から一歩も出ず、従って現場には何の参考にもならない主張に落ちそうである。しかし、たとえ最高裁であれ、一片の判決から体罰問題自体を云々できるような単純な状況に学校現場はない、ということを言いたかっただけのことである。

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社説」カテゴリの記事

コメント

毎回興味を持って読んでおります。
しかし、今回、この記事については本当にまったく現場の参考にならない記事だと思います。

投稿: 通りすがり | 2009年5月 2日 (土) 18時56分

まったくご指摘の通りだと思います。

投稿: 本社論説 | 2009年5月 2日 (土) 20時50分

 しょうです。こんにちは。

このたびは私も一審と最高裁の判決文を読ませていただきました。
一審判決
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080215101517.pdf
最高裁判決
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090428113912.pdf

 事実認定そのものが両者の間でズレていますね。そして、判断は180度ひっくり返っています。

 私が気がかりだったのは、このたびの最高裁判決に関するマスコミ報道だけでは教職員を含む多くの人が適切に判断するのは難しいのではないか、という点です。
(実際、ネット上でも最高裁判決を支持し保護者を「モンスター扱い」する意見が多いですね。)

 きちんと判断するためには一審の事実認定と判決も読む必要があると思いました。両方読んだ限りでは第一審の判決のほうが妥当であると考えます。

 また、事実認定も丁寧に行われており、学校現場にとっても参考になるのはむしろ「一審の判決の方ではないか」、と感じました。

投稿: しょう | 2009年5月 4日 (月) 13時08分

しょうさん、いつもありがとうございます。
ご指摘の通り、一審判決であればケーススタディーとして学校現場の参考になるのではないかと思います。ただし、それはむしろ保護者対応ないしは児童・生徒対応の事例としてではないかと思うのですが、いかがでしょう。
また一審の事実認定が正しいと仮定すれば、本件の教員や管理職の対応が妥当だったのか否か、あるいは、どうすればよかったのか、専門家としてのご意見をうかがいたいところです。

投稿: 本社論説 | 2009年5月 4日 (月) 19時23分

 コメントの返信が遅くなってすみませんでした。

>一審判決であればケーススタディーとして学校現場の参考になるのではないかと思います。
>ただし、それはむしろ保護者対応ないしは児童・生徒対応の事例としてではないかと思うのですが、いかがでしょう。

 わたしが参考になると考えたのは、教職員それぞれが子どもたちに向き合う姿勢について考えたり問い直していく機会とすべき事例ではないか、という意味です。

>一審の事実認定が正しいと仮定すれば、本件の教員や管理職の対応が妥当だったのか否か、あるいは、どうすればよかったのか、専門家としてのご意見をうかがいたいところです。

 まず、問題となった場面での本件の教員の「指導」は不適切でしょう。
 彼は、原告の児童に蹴られた瞬間「許せない」という気持ちが先にたち、「むなぐらをつかんで壁に押しつけて凄む(手を離した時点で子どもは倒れる)」という行為に及んだとみられます。

 しかし、直前の本件教員の指導(女の子をふざけて蹴ったことに対する「説教」)は原告の児童ではなく別の児童に向けられていたわけです。そうすると「なぜ〈君が〉わたしのおしりを蹴ったのか」と問いかけ「直前の指導がどのように見えたのか」について話をさせることを出発点にすべきでしょう。

 それをめぐるやりとりをきちんとした上で「どう見えたにしても蹴って逃げるというのはどうだったのか?」という話をすれば充分「指導として成り立っていた」と考えます。

 さて、上記の「事件」が起こった後の管理職等による保護者対応についてですが、これも適切だったとはいえないでしょう。確かに「居直る」ようなことはせず、教員の対応が不適切であったことは認めています。しかし、母親の厳しい抗議に対して「なんとか早く事を収めよう」という対応になっているように見えます。

 確かに、母親の抗議は一見「常軌を逸した」ものに思えます。しかし、抗議がそのような激しいものになって継続した重要な背景としては「子どもが泣きながら暴力をふるわれた、と訴えてきたこと」、この時以降、家の中で、「夜中に泣き叫ぶ、食欲低下、笑顔の消失、母親がいないと不安、1人で寝られなかったり入浴できない、睡眠時の中途覚醒、悪夢を見る、朝体が動かない、さらには円形脱毛症」といった症状を現すようになった事実があります。

 学校としては、問題となった「指導」以降の児童の状態をていねいに聴き取り、「それを“回復”させるためにはどのように対処し、周囲の大人が本人に対してどのように接していくことがいいのか」ということについて母親と真剣に話し合うことが大切であったと考えます。

 教職員と保護者との信頼関係というのは、「子どもを中心に手を結ぶ」ことによって築いていくものでしょう。「困った保護者にどう対応するか」ではなく、「子どものためにどのように手を結ぶか」を大切にしながら連携していく必要がある、ということをあらためて感じました。

 その点においては、「一審の事実認定と判決」には考えさせられるものが大いにあったと考えています。

投稿: しょう | 2009年5月 6日 (水) 09時22分

しょうさん、詳細なご返信まことにありがとうございます。
ご意見を拝読し、改めて教師の指導の複雑さに思いを致しました。
ご指摘のような教員の不適切な指導も、経験の浅さゆえになされたことでしょう。それだけに、本件が「体罰」として最高裁まで係争される事態に発展したことが不幸に思えてなりません(情緒的に過ぎますが)。
「子どもを中心に手を結ぶ」ことは今、学校バッシングの中で公教育の本質にもかかわる課題だという気もしています。
今後とも現場感覚でのご指摘を頂けると幸いです。宜しくお願い申し上げます。

投稿: 本社論説 | 2009年5月 6日 (水) 15時52分

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