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2009年5月20日 (水)

キャリア教育 改訂の“目玉級”のはずが

 本来は改訂の目玉になっていいはずなのに、一部関係者を除けば驚くほど注目されていない――。高校で学習指導要領上はじめて明記された「キャリア教育」のことである。

 高校をめぐる状況については、先ごろ発行されたリクルート『キャリアガイダンス』5月号(No.26)の本社配信記事を参照されたい。しかし、小・中学校も決して例外ではない。そもそも改訂の基となった2008年1月の中央教育審議会答申にも、教科横断的な改善事項として情報教育、環境教育などと並んで、キャリア教育の充実が挙げられている。

 小・中学校の新指導要領にはキャリア教育という文言こそないものの、告示に当たっての文部科学事務次官通知(2008年3月)では「キャリア教育などを通じ、学習意欲を向上するとともに、学習習慣の確立を図るものとしたこと」と説明されている。高校の改訂通知(2009年3月)でも、まったく同じ文章だ。その上、2008年7月に策定された初の教育振興基本計画にも「小学校段階からのキャリア教育を推進する」と明記された。

 これを、「また文科省が○○教育を押しつけてきた」ととらえていいのだろうか。先の次官通知でも、学習意欲の向上や学習習慣の確立を図るための方策の一つとして、キャリア教育を位置付けている。

 その重要性を分かりやすく解説しているのが、国立教育政策研究所(国研)の生徒指導研究センターが3月に発行した「小学校におけるキャリア教育推進のために」と題するパンフレットだ。小学校での目標はもとより、低・中・高学年の各発達段階での課題や指導要領との関連、各教科・領域での教育活動例などが、カラーのイラスト付きでコンパクトにまとめられている。中、高校版も今年度中に順次発行される予定だ。

 パンフレットでは、各教科・領域の教育活動の中に組み入れられているキャリア教育の「断片」を、道徳の時間や学級活動、「総合的な学習の時間」を使って振り返ったり、つなげていったりすることが必要だとしている。各教科・領域をキャリア教育の「視点」で見直すことが不可欠になってくるのだ。

 これも、国研の勝手な解釈ではない。中教審答申を読んだ方は、各教科・領域で実社会・実生活との関連を図り、活用できるようにすることを強調していたのに気付いただろうか。あまつさえ増加させる教育内容は、「反復(スパイラル)することが効果的な知識・技能」と並んで「社会的な自立等の観点から子どもたちに指導することが必要な知識・技能」等に限って加える、としているではないか。前回の改訂で削った内容を復活させた、という単純な話ではない。指導要領の根幹にかかわる問題だとすら言っていい。

 新指導要領の改訂趣旨を「脱ゆとり教育」などととらえていては、こうした重要性はまったく見えてこないだろう。最近の授業研究では「活用」ばやりだが、活用型の授業が単に全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)のB問題で高得点を上げることを目指すものであっていいのか。そもそも、学力低下批判の根拠となった経済協力開発機構(OECD)の「生徒の学習到達度調査」(PISA)自体が、社会で活用できる能力を測ろうとしているものである。

 指導要領があくまで各学校が編成する教育課程の「基準」だととらえるならば、 その軽重も各学校の裁量範囲だ、ととらえることもできなくはないだろう。しかし世界同時不況に象徴される不透明な時代に、いつまでも大学全入時代以前の、知識注入型の教育を続けていていいのか。今は移行措置に向けて手いっぱいなのが現状だろうが、本格実施に向けて、キャリア教育を核とする新課程研究が急務である。

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