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2009年6月 7日 (日)

【池上鐘音】印度の日本人

▼今年アカデミー賞を受賞した『スラムドッグ$ミリオネア』(英、ダニー・ボイル監督)は、ヒンズー教徒によるスラムのイスラム教徒襲撃から物語が始まる。インドと言えばマハトマ・ガンジーの非暴力主義が有名だが、今も彼の国に暴力が渦巻いていることは日々のニュースでも明らかだ。しかし、そのガンジーすら生ぬるいと批判したインド人が仏教に改宗し、その衣鉢を日本人が継いでいるということを、どれだけの人が知っているだろう▼ガンジーを批判したのは、初代法相B・R・アンベードカル(1891-1956)。日本人、いや既にインドに帰化したから正確には元日本人が、佐々井秀嶺師(73)である。44年振りに一時帰国(これも正確には来日)し、1カ月半にわたり全国を巡った果てに7日、東京・大塚の護国寺で「最終公演」を行った▼インドのカースト制は、アンベードカルが起草した憲法で公式には廃止されたにもかかわらず、現実には厳然として存在する。かつて不可触民と呼ばれたアウトカーストをガンジーはハリジャン(神の子)と呼んだが、それを敢然と拒否したのがアウトカースト出身のアンベードカルだ。のみならずガンジーも信じたヒンズー教こそが差別の根源だとして56年、50万人ものアウトカーストを引き連れて仏教に集団改宗した▼よく知られているように、仏教は発祥の地であるインドでは13世紀初頭に壊滅した。それを復興したのがアンベードカルであり、その死から11年後に何の知識もなくタイから徒手空拳で飛び込んだ佐々井師が、現在1億人以上と言われるインド仏教徒の指導者となっているのは、まさに仏縁と言うほかない▼現在のインド仏教は系譜上、南伝仏教(上座部仏教、小乗仏教)に属する。一方、佐々井師はもともと東京・八王子の高尾山薬王院で得度した大乗仏教・真言宗の僧だった。護国寺講演でも佐々井師が小乗なのか大乗なのか問う質問があったが、師は断言した。「アンベードカルの思想と行動は、“超大乗”だ」▼20代半ばに学生浪曲師をやっていたダミ声の魅力もあって演説は人を引き付けるが、70年余の思いがあふれてか一回の講演や師の半生を描いた『破天―インド仏教徒の頂点に立つ日本人』(山際素男著、光文社新書)を読んだだけでは趣旨をつかみづらいのも確かだろう。しかし京都・種智院大学と横浜・総持寺に続く3回目の聴聞を経て、ある確信に至った。アンベードカルや佐々井師はまさに、ブッダや大乗仏教の確立者竜樹(150-250ころ)と同じことをしているのだと▼ブッダにしても竜樹にしても、当時のインド社会で苦しむ民衆に分け入り、その苦悩を共有する中で新しい宗教を生み出していったに相違ない。それが後世に語られる過程で、神秘性や超越性を帯びていったのだろう。佐々井師は、「『どん底のどん底のどん底』を見ずして、本当のインドを見たことにはならない」と再三繰り返す。日本のいわゆる鎌倉新仏教も、そうして生み出されたのだと推測させるものがある▼竜樹に呼ばれる夢を見てインド滞在を決意したという佐々井師が「帰国」で見せてくれたのは、「生きた」仏教、今まさに創造されようとしている仏教の姿である。ひるがえって考えれば現代の日本で現実の民衆の苦悩に応え得る仏教とはどうあるべきか、現実の課題として突き付けられた思いがする。師はこう呼び掛けた。「闘う仏教徒になってください」▼『スラムドッグ―』の襲撃場面では幼い主人公兄弟が逃げ惑う途中、子どもの姿をしたヒンズーの神を幻視する。それが物語の複線になっているのだが、映画の展開以上のメタファー(暗喩)を秘めているように思えてならない。憎しみの連鎖を断ち切ることを教えるのも、また仏教である。

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