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2009年6月14日 (日)

「教育も社会保障」 文科省の危うい新戦略

 文部科学省が最近、「教育も社会保障だ」と言い始めている。同省が主導権を握ったと目される教育再生懇談会は、「人生前半の社会保障」を前面に打ち出した。しかし、これは増大する社会保障費の安定財源を確保するために浮上した消費税増税に便乗しようとするものであり、一概に否定すべきものではないにせよ、危うい戦略だと評せざるを得ない。

 教育の社会保障論は、直接的には教育再生懇の委員である広井良典・千葉大学法経学部教授が打ち出した。4月17日の会合資料を見ると、日本の国内総生産(GDP)に占める社会保障給付の割合が欧州先進諸国に比べて低く済んでいるのは、子ども・家族関係の比重が小さいためであるという。それを支えたのは終身雇用制に基づく「インフォーマルな社会保障」の存在であるが、新制中学校の義務化に始まる強力な「機会の平等」化も大きく寄与した。しかし所得格差の世代間再生産が懸念される中にあっては、教育が「最大の社会保障」であり、「教育政策と社会保障政策の統合」が重要になっている――というわけだ。

 広井教授の指摘には、確かにうなずけるところが少なくない。そもそも日本で公教育政策が論じられる時、狭い「教育」の枠内にとどめられることが往々にしてある。もちろんそれは教育そのものに価値を見いだす東アジア的伝統の良さでもあるのだが、一方で欧米諸国で高等教育政策が雇用政策と一体化させているような、国家戦略としての政策化がしにくい弱点も併せ持つ。教育政策を広い観点から意義付けることは、時代の要請から言っても急務だろう。

 ただし文科省がそうした論に乗ったことは、また別の意味を持つ。

 前提にあるのは、教育振興計画の“失敗”だ。文科省は振興計画の策定によって、伸び悩む教育予算の拡充に根拠を持たせようとした。しかし昨年策定された初の計画では予算総額の数値目標が盛り込めず、これでは何のために教育基本法を策定したのか分からないことは、以前の社説でも指摘した。折衝過程では、財務省から再三「財源はどうするのか」と詰問されたという。

 9日に示された「骨太の方針2009」の素案では、近年にないほど教育に関する記述が充実している。しかし骨太09の素案が、12%とも試算される消費税増税を前提にしていることは明らかだ。文科省の「教育も社会保障」論は、要するにそれを当て込んで、増税分の一部でも教育予算として確保したい意向を示したものにほかならない。小泉純一郎政権下での「骨太06」で示された歳出削減に悩まされている文科省としては、ここで何とか転換を図りたいと考えていることも無理からぬところだ。

 しかし、その代償は国民にとって小さくない。 

 もちろん教育予算の安定財源が確保できること自体は、必ずしも悪いことではない。というより今までそれなしに済んできたこと自体が、今にして思えば不思議だったくらいだ。もちろんそれは東アジア的な教育重視の世論に支えられてきたものだが、いわゆる「ゆとり教育」批判に始まる公教育不信によって一変してしまった。批判自体はいわれのないものだったとしても、移ろいやすい世論が相手では、新たな支持を得られるような戦術も必要になろう。

 ただ、事は国家運営のあり方そのものを問う話である。「中福祉・中負担」のための消費税増税は、まさに総選挙の主要争点になるべき問題だ。その中で堂々と教育も「人生前半の社会保障」だと位置付けて、その上で安定財源を振り向けることが国民的合意となるならば、確かにそれも一つの民主主義的な判断である。

 逆に言えば、消費税増税が行き詰まれば同時に頓挫してしまう“のるかそるか”の戦略でもある。国民の負担増も考えると、手放しで賞賛するには保留を付けざるを得ないというのが、正直なところである。

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