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2009年8月

2009年8月29日 (土)

政権公約〈3〉 免許更新制 信じていいのか「廃止」方針

 それが本当なら、ぜひ実現してもらいたい。教育政策に限って言えば、それだけで政権交代の価値はある。民主党が方針を固めたとされる、教員免許更新制の廃止のことである。

 同党のマニフェストや政策集では「抜本的に見直す」と抽象的な表現にとどめているが、7月に行った政府政策の「事業仕分け」では廃止すべきと判断していた。

 そもそも更新制は「教育再生」を掲げた安倍晋三元首相が、前回の「郵政選挙」で圧勝した小泉純一郎元首相の禅譲と個人的人気(当時)を背景に、半ば強引に導入したものである。当初もくろんでいた「ダメ教員には辞めていただく」のではなく、定期的に最新の知識・技能を身につけさせる「リニューアル」を目的とした制度設計になったにもかかわらず、世間ではいまだに問題教員の排除策だと誤解されている面が少なくない。

 それでも学校現場や、教育を受ける側にとって有益な制度ならば、改善してでも存続する価値はあろう。しかし本格実施1年目から、受講日程の調整が大変、ニーズに合った講座がないなどのほころびが出始めている。教員免許はあくまで個人の資格であるから、内容が経験者研修と重複しても避けることはできない。費用対効果を考えるならば、明らかにムダだ。

 本社は過去の社説で、たとえ10数年かけてでも更新制を廃止するよう主張した。10年で1サイクルの更新が終わるわけだから、普通なら一巡を待たないと制度の根幹にかかわる見直しはできるものではない。実際、自民党は「教員免許更新制の着実な実施」(政策BANK)を掲げている。抜本的見直しができるとしたら政治の力をおいてほかになく、まさに政権交代がその役割を担う。

 しかし民主党にも、不安要素がぬぐえないのも事実だ。同党は2007年4月、与党の教育関連3法案に対抗する形で提出した「学校教育力の向上3法案」の中で、更新制に関しては100時間の講習を義務付けるという、与党案(30時間)よりも厳しい条件を盛り込んでいた。日教組の支持を受けているからといって、旧自民党竹下派出身者から旧社会党左派まで一枚岩ではないことも周知の事実だろう。

 昨年の話であるが、若手教育学者の武石典史氏は『月刊高校教育』2008年8月号で、そうした更新制の導入過程を例に、小選挙区制の下での政策論争が教育改革にどのような影響を与えるかを論じていた。そこでは民主党が、政府案よりも良さそうなもの、より良さそうなものを提出しようとして、逆に「熟慮を欠いた教員免許更新制導入を後押しする勢力の一つ」になってしまった、と評していた。そのような「チキンレース(度胸試し)のような『改革論合戦』」(武石氏)が、マニフェスト選挙の弊害でもある。

 そこまで考慮に入れた上で、かつ、選挙結果によって現実の政治がどう動くかをも予測しながら、明日は慎重に一票を投じたいものである。それでも圧勝が予測される民主党に求められるのは、政権与党としてふさわしい、ぶれない政策決定と実現の覚悟だろう。

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2009年8月27日 (木)

政権公約〈2〉 食い足りない教職員定数改善

 総選挙では、各党がマニフェストなどで少人数学級の実現などを掲げている。もちろん一般有権者向けの公約であるから具体性に欠けるのは仕方ないのかもしれないが、この間、教職員定数改善計画が据え置かれたことを考え合わせれば、その実現可能性も含めて食い足りなさは否めない。

 自民党は「教員が子供と向き合う環境を作るため、4年以内に少人数学級を実現する」(政策BANK)と期日まで明記しているのに、肝心の配置基準に触れていない。連立を組む公明党も「教職員等の増員や資質の向上に取り組みます」「少人数学級やチームティーチングの導入など学校の実情にあった学級編成ができるようにします」(マニフェスト中長期ビジョン)とするばかりで、具体性に欠ける。

 一方、政権交代が現実のものとなりそうな民主党は「経済協力開発機構(OECD)加盟の先進国平均水準並みの教員配置(教員一人あたり生徒16.2人)を目指し、少人数学級を推進します」(政策集INDEX2009)としているものの、あくまで「目指」す目標にとどめている。新政権で連立を組むことが有力視される社民党は「行革推進法における、教職員数の純減を止め、定数を増やします。学級生徒数は20人を目指し、当面は、30人以下学級の早期完全達成をはかります」「義務教育費国庫負担制度を堅持し、2006年に3分の1に引き下げられた国庫の負担率を2分の1に引き上げます」(政権公約2009)と具体的だが、あくまで少数派としての意見になろう。

 共産党も「教員を増員・正規化し、『教員の多忙化』を解消し、『30人以下学級』をすすめます」(総選挙政策)として定数内非常勤講師の問題にも言及しているが、こちらはあくまで“建設的野党”としての主張だろう。このほか新党日本や「みんなの党」も少人数教育や少人数学級を掲げてはいるが、政権与党入り自体が今のところ不透明だ。

 各党がこぞって何らかの定数改善に前向きな姿勢を示しているのだから、何も難癖をつける必要はないのかもしれない。しかし、政権が替われば定数改善も進む、という状況にあるとは、どうしても思えないのだ。

 気になるのは、自公両党にせよ民主党にせよ、「教員が子どもと向き合う」ためという枕詞を付けていることだ。これは現行教育振興基本計画にも同様の文言が盛り込まれており、それが「定員増の前にまず取り組むべき改革」(2008年11月財政制度等審議会建議)があるとする財政当局への有力な反論にはなり得ないことは、この間の推移を見ても明らかである。

 そうでなくても財源確保が争点となる中では、定数改善も結局は大枠が固まらないと次期計画の策定可能性が見えてこない、という従来の構図は変わらないだろう。少なくとも各党のマニフェストだけでは、明るい展望をうかがうことはできない。日教組の支持を受けた民主党が政権を取れば実現する、という単純な話でも、もちろんあるまい。もっとも、教育に対する公財政支出が本当に国内総生産(GDP)の5%に引き上げられれば、容易に実現する課題なのではあるが。

〔8/28編注〕「健全な野党」を「建設的野党」に修正しました。

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2009年8月22日 (土)

政権公約〈1〉 信用できるのか“奇妙な一致”

 選挙戦たけなわである。今回は政権選択をめぐって激しい戦いが繰り広げられ、「幼児教育の無償化」か「高校の実質無償化」かといった教育政策も焦点の一つとなっている。しかし主要政党のマニフェストなどをよく見ると、奇妙な一致点がある。公財政教育支出の国内総生産(GDP)比の引き上げだ。

 「OECD諸国並みの公財政教育支出の確保を目指す」(自民党・政策BANK)、「先進国中、著しく低いわが国の教育への公財政支出(GDP〔国内総生産〕比3.4%)を、先進国の平均的水準以上を目標(同5.0%以上)として引き上げていきます」(民主党・政策集INDEX2009)、「GDPに対する教育の公費負担率を現在の3.5%から先進国並みへの引き上げを目指します」(公明党・マニフェスト中長期ビジョン)、「OECD加盟国で最下位の教育予算を、早期に平均にまで引き上げます」(共産党・総選挙政策)、「対GDP比3%半ばという他の先進国と比べて低い水準の教育予算を、『世界標準』といえるGDP5%水準(OECD平均)に引き上げるため着実な教育予算の拡充をはかります」(社民党・衆議院選挙公約2009)――。長々と原文を引用したが、要するに言っていることは同じである。

 GDP比をめぐっては、昨年の教育振興基本計画策定論議で文部科学省が経済協力開発機構(OECD)加盟国平均までに引き上げることを主張し、財政当局の猛反対に遭って数値目標を断念し、「OECD諸国など諸外国における公財政支出など教育投資の状況を参考の一つとしつつ、必要な予算について財源を措置し、教育投資を確保していくことが必要である」との抽象的表現にとどめた経緯がある。

 主要政党の公約通りなら、たとえどのような政党の組み合わせになろうとも、新政権の下ではGDP比5%が目指されるはずである。少なくとも2013年からの第2期教育振興基本計画には、明確な数値目標として掲げられることになろう。当然その時の野党にも、異論があるはずはあるまい。

 そう指摘しておきながら、にわかに信じられない思いがぬぐえない。昨年時点のデータだが、GDP比3.5%(17.3兆円)を5.0%(24.8兆円)に引き上げるためには、消費税率3%程度分に当たる7.4兆円が必要になる(2008年6月、財政制度等審議会答申)。本当にそうであれば、幼児教育無償化7900億円や高校実質無償化9000億円の両方とも簡単に吸収できそうな話である。しかし実際にはお互いを「バラマキ」だと批判し合っている始末である。

 だいたい、ほかの政策も含めた財源論で空中戦を繰り広げている各党が、教育予算の大幅引き上げを主要政策としてアピールしている形跡もない。無償化するのは幼児教育か高校教育かという選択の“目玉”はあっても、肝心の“芯”がないのだ。それとも、いずれかを盛り込めば着実にGDP比を引き上げることになるから、それをもって「目指」したことにしようとでも言うのか。そもそも各党が無償化を打ち出したのは、私立幼稚園団体や教職員組合を支持母体としているからというだけではないか、と皮肉の一つも言いたくなる。 

 教育予算の拡充を支持する本社としては、せっかく各党が一致していることに難癖をつける必要はないかもしれない。しかし、それだけに今回の政権選択が本当に教育政策の充実に向かうものなのかどうか、まずは疑問を呈しておきたいのである。

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2009年8月 8日 (土)

【池上鐘音】注意が必要

▼全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)と保護者の年収などの関係を探った研究調査が、文部科学省の専門家会議に報告された。結果の重要性にかんがみて本社説でも取り上げようと考えたのだが、同じ研究グループによる調査に関して論じた以前の社説で尽きているように思うので、あえて繰り返さない▼しかし、これほどきれいに世帯収入と「学力」の関係が現れてしまうのは、見事と言うしかない。それだけに、調査結果を読むには注意が必要であろう。そこに介在しているのは家庭の文化や振る舞い、すなわちピエール・ブルデューの言う「文化資本」「ハビトゥス」の問題である▼研究グループ代表の耳塚寛明お茶の水女子大学教授が指摘するように、この種の調査に国がかかわった意義は大きい(『月刊高校教育』9月号「時の眼」)。だからこそ今後、研究の深まりと共に広がりをも期待したいし、「効果のある学校」(エフェクティブ・スクール)の在り方とその支援方策が教育政策の重要な課題としても追求されなければならない。「圧倒的にポジティブ」な学校の秘訣(ひけつ)は何かが、大いに気になるところである▼その上で注意を促したいのは、これはあくまで全国学力テストという限定された問題で測られる「学力」との関係だということである。「美術館や美術の展覧会へ行く」の解釈などは、その代表例だろう▼一つだけ難癖をつければ、保護者の行動の選択肢として「パチンコ・競馬・競輪に行く」という項目を設定していることである。競輪の推理は極めて論理的なものであり、膨大なデータの集積である予想紙(専門紙)を読むには高度なリテラシーが要求される。競馬はともかく、パチンコと一緒にされるのは合点がいかない――いや、これは全くの難癖である。

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2009年8月 1日 (土)

キャリア・職業教育 中教審報告への賛同と疑問

 中央教育審議会のキャリア教育・職業教育特別部会が、審議経過報告をまとめた。それ自体は半月も前の話だが、7月30日の親審議会(総会)で正式に「報告」されたのだから、ここで取り上げることも許されたい。さて、本社はもとより「社会的・職業的自立に必要な能力等を、義務教育から高等教育に至るまで体系的に身に付けさせていくこと」を訴える報告の趣旨に異論を唱えるものではない。むしろ各学校段階で大いに教育内容の積極的な組み換えが求められよう。しかし、具体論では踏み込み不足の感や疑問も、多々ぬぐえない。

 「キャリア教育」という言葉自体は1999年の中教審答申から使われ、学校現場にも定着しているが、いまだに一部教員を除いて進路指導や職業教育と混同する向きも見られる。答申などによって揺れ動く定義を明確にしようとしたのも、今回の審議経過報告の重要なポイントだ。そして何より、学校教育そのものを社会・職業との関連から見直すよう求めた意義は大きい。これまで「国家・社会の形成者として必要な資質を備えた国民を育成する」という目標を掲げながら、実際には個々の教科等に分断された知識・技能を教えることに力点を置き過ぎ、社会との関連を図ることが希薄だったのは、経済協力開発機構(OECD)の「生徒の学習到達度調査」(PISA)の結果からも明らかだ。

 以前の社説で論じたように、キャリア教育は本来、今回の学習指導要領改訂の目玉になっていいほどの話である。各学校での新教育課程の検討では、国立教育政策研究所のパンフレットが示すように、キャリア教育の視点で教育活動全体を見直すことが要請されている。

 一歩進めて考えれば、「普通教育中心・座学中心の教育には、職業的自立を促す観点から限界がある」(審議経過報告)というのだから当然、次の指導要領改訂ではこの視点が重要なポイントにならなければならない。場合によっては教科再編も含めた大胆な教育内容の組み直しや指導改善が求められよう。

 審議経過報告では、とりわけ進学校を含めた普通科高校でキャリア教育を充実させる必要性を指摘したことが重要だ。「産業社会と人間」(総合学科の原則履修科目)のような時間を高校の教育課程に位置付けるかどうかは先送りしたが、最初の打ち出しとしては仕方なかろう。答申に向けて、ぜひ前向きな検討を期待したい。

 さて、そうした賛同の意を表しておいた後は、審議経過報告への疑問点である。

 審議経過報告は、高等教育に関して「『職業実践的な教育に特化した枠組み』の整備を検討する必要がある」と提言している。持って回った物言いで一読しても何のことやら分からないだろうが、要するに諮問時の理由説明にあった「新たな高等教育機関の創設」のことである。それが専門学校の学校教育法1条校化を含めた格上げを意味していたことは、諮問時点から関係者には自明のことだった。

 新たな「枠組み」について審議経過報告では、①大学制度の枠組みの中における検討②大学・短期大学等と別の学校としての検討――という2つの考え方を示し、②が適当だとしつつも結論は今後の検討に委ねた。しかし、いずれにしても新たな学校種を高等教育機関として1条校化し、既存の専門学校から移行しやすいように制度設計していこう、という意図が透けて見える。

 だが今、本当に新しい学校種の制度化が不可欠なのか。報告が大学や短大に職業教育の充実を求めるまでもなく、各大学などでは生き残りを懸けて指導の充実に取り組んでいるところだ。報告が言うような大学・短大の「学術性」が、本当に職業実践的な人材育成の障害になるのか。たとえそうであったとしても、大学や短大の設置基準を緩和すればいいだけの話だろう。

 事は高等教育機関の教育そのものにかかわる話だ。だからこそ、その対応は各校に任せてもいいのではないか。職業教育やキャリア教育に十分対応できず、社会に有意な人材を送り出せない大学等は、淘汰(とうた)されていけばいいだけである。

 一部専門学校を新たな学校種として1条校化すれば、国庫補助も出せるようになる。それが真の狙いだろう。しかし、それも高等教育予算の拡充が前提である。幼児教育の無償化もそうであるが、消費税増税を当て込んだ論議は、勇み足に過ぎよう。

 繰り返しになるが、本社は学校教育におけるキャリア教育や職業教育の意義を強調した審議経過報告の趣旨に強く賛同する。高等教育においても、例外ではない。それだけに、各論の中に怪しげな提言がたくし込まれていることが、残念でならないのだ。 

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