« 新政権に望む〈2〉 教育政策にも「国家戦略」を | トップページ | 新政権に望む〈4〉 更新制の「6年制」一体論議を歓迎する »

2009年9月17日 (木)

新政権に望む〈3〉 全国学テは「抽出」より「任意」に

 鳩山連立内閣が正式に発足し、川端達夫民主党副代表が文部科学相に就任した。新大臣はこれまで文教行政とのかかわりは薄かったようだが、首相官邸での就任会見を見る限り状況を正確に把握しているようであり、期待したい。さて、その会見では記者の質問に答えて、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)を従来の同党方針通り、現段階では抽出調査にすべきだとの考えを示している。ここで本社も従来通り、悉皆(しっかい)や抽出ではなく、やはり「任意参加」にすべきことを改めて訴えたい。

 川端文科相が指摘した通り、全国学力テストの本来の目的は「全国的な教育水準の確保」にある。ただし、その経緯や裏の意図がどこにあったのかは昨年2月の社説以来再三指摘してきたので、繰り返さない。自治体の参加問題や情報開示問題を通して弊害が無視できなくなっていることも、論じた通りである。

 しかし全国学テ自体を毎年継続することは、学校現場にとって大きな意義があることも確かだ。

 その一つが、具体的なテスト結果に基づいて授業改善を図るサイクルが根付きつつあることだ。今春の調査結果を見ると、質問紙調査では3年間の数値がほとんど変わらない項目が多かった一方で、全国学テの「結果を分析し、具体的な教育指導の改善に活用した学校」は、小学校で前年度比4.8ポイント増の92.7%、中学校でも5.8ポイント増の87.3%にまで広がった。これに「指導計画等に反映させた」「学校全体で活用した」などを加えた計5項目すべてで活用を図った学校は、それぞれ13.5ポイント増の50.1%、12.7ポイント増の40.8%と、目覚しい伸びを見せている。PDCAサイクルにより学力向上を図ろうという機運が盛り上がっているのは、全国学テが当初から意図したところであり、またそれ自身は結構なことである。

 また、全国学テにはもう一つ、国にとっても重要な側面がある。学習指導要領が求める学力や授業の在り方を、テスト問題という具体的な形を通して学校現場に示せることだ。例えば小学校国語B(活用)では、話し合いをしている様子を題材にして、話し合う力そのものを測ろうとしている。もちろんそれをペーパーテストで測定し切れるかどうかは別としても、とかく誤解されがちな指導要領の趣旨を正しく伝えたいという意気込みは、各問題からくみ取れる気がする。

 ただ、だからといって、それを悉皆という形で半強制すべきかどうかは別問題である。自治体ぐるみの参加による弊害が大きいことも、再三にわたって論じてきた。そもそも悉皆調査をうたうならば、公立の100%参加を強く求めながら私立の実施率が半数を割るまでに低下した状況をなぜ野放しにしているのか、説明がつかないであろう。

 国としても状況が把握でき、自治体や学校にとっても有益な方法。それが「任意参加」である。

 曲がりなりにも過去3回の実施により、全国的なテストは学校現場にもおおむね定着した。結果の活用についても、悉皆のため嫌々実施している学校もないことはないだろうが、やはり全国的な状況を基に授業改善ができること自体は現場にとってもメリットだ。何より日々の授業で子どもが「分かった」という実感が持てれば、授業改善にも力が入るのが現場教員というものである。たとえ任意に切り替えたとしても、相当数の学校が引き続き参加することは疑いない。

 その上で全国的、あるいは都道府県レベルのデータのための担保が欲しいのならば、抽出方式と組み合わせてもいい。抽出プラス任意で参加校が増えれば、統計的にはともかく世間の信頼度は増すだろう。

 その際には以前にも提案したように、有料化を検討してはどうだろうか。もちろん国も応分の負担をして安価な料金を設定することは、国が考えた指導要領の趣旨を正しく伝えるための投資として許されよう。そうすれば国の財政支出を抑えつつ、川端文科相も言及したような実施教科の拡大なども現実味を帯びてくる。

 そしてこれが一番大事なことだが、結果の活用はあくまで「任意」ということである。地方分権の時代、さらには政官癒着を問題視する民主党政権であればこそ、何でもかんでも国に責任を持たせるべきではない。国は国として、基準の設定や条件整備という、果たすべき責任を果たせばよい。教育の成果に直接責任を持つのは、あくまで個々の自治体や学校であるべきだ。授業改善のためにどのような手法を活用するかも、その自治体や学校の責任で「任意」に選択すればいい。有料化すれば、そうした責任の所在の意味合いも込められよう。

 国会の勢力図も変わった。本来なら個々の自治体や学校の責任で処理すべき問題を、無分別に国会で追及すれば役割を果たしたつもりになるような議員も、それに快哉(かいさい)を叫ぶような国民の姿勢も、政権交代を機会に見直したい。それこそが「55年体制」の下で、教育界に官僚主導による上意下達の無責任体質を生み出す源泉になってきたのである。全国学テの見直しは、その是正のための第一歩だ――と言ったら、過剰な期待であろうか。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

|

« 新政権に望む〈2〉 教育政策にも「国家戦略」を | トップページ | 新政権に望む〈4〉 更新制の「6年制」一体論議を歓迎する »

社説」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506419/46234917

この記事へのトラックバック一覧です: 新政権に望む〈3〉 全国学テは「抽出」より「任意」に:

« 新政権に望む〈2〉 教育政策にも「国家戦略」を | トップページ | 新政権に望む〈4〉 更新制の「6年制」一体論議を歓迎する »