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2009年12月

2009年12月29日 (火)

文科省予算案〈2〉 次こそ教職員定数改善計画を

 本論に入る前に、2つのデータを見ておこう。

 一つは政府予算案閣議決定の同日に発表された、公立学校教育職員の懲戒処分状況調査である。精神疾患による病気休職者は年々増加を続け、2008年度は8578人で、在職者に占める割合も0.59%に上っている。前年9月に月1回の学校週五日制が始まった1993年度には1113人、0.11%に過ぎなかったことから比べると、構造的な悪化と言ってよかろう。しかも数字は診断を受けて休職に至ったケースに限ったものであり、あくまで氷山の一角だ。

 文部科学省は増加の理由として、生徒指導や教育内容の変化に対応できていないことだけでなく、多忙化や保護者対応の困難化、教員同士のコミュニケーション不足などを挙げている。これらも今後、深刻化こそすれ、軽減される要因は見当たらない。教職員をめぐるメンタルヘルス(心の健康)は危機的な状況にあると言わざるを得ず、それが子どもの教育に悪影響を及ぼすことも、また必至だ。

 もう一つは、特別支援学校や小・中学校の特別支援学級の増加である。09年度は05年度に比べて9895学級増えており、小・中の通常学級の減少分(8529学級)をはるかに上回っている。つまり通常学校で過剰になった教職員数を全部回しても、まだ足りない状況にあったのだ。データは「事業仕分け」に際して文科省が提示したものだが、なぜもっと早くそうした問題点を訴えなかったのかと残念に思うとともに、そこに気付かなかった教育行政マニアとしての不明を恥じるばかりである。

 そうした特別支援学校・学級にあっても、各地では希望者の増加に対して整備が追いつかない状況にある。また、近年では通常学級における特別支援教育の必要性が認識され出してきており、学校現場では具体的な対応も模索され始めている。しかし、そのための条件整備が十分だとは、とても言えない。

 そのような中で教職員定数改善計画は、2005年度の義務制第7次の完成以来、策定されていない。少なくとも4年間、職場環境の悪化が放置されてきたわけだ。その間に進んだことと言えば、学校・教員バッシングや目標管理の徹底による教員の自信喪失と意欲低下だけだった。その上、今年度は新学習指導要領の移行措置に伴って授業時数の漸増も始まった。もはや「既に十分な教職員数が確保されている」「現状のままで教員数を増やすことは、効率的な税金の使い道として妥当か」(事業仕分けの際の財務省「論点等説明シート」)などと悠長な論議をしている場合ではない。

 さて、ようやく文科省予算案である。概算要求段階で新たな定数改善計画が盛り込めなかったことについては、に論じた通り致し方ない面がある。5500人の増員要求に対して査定で認められたのは4200人であるが、「理数教科の少人数指導の充実」2052人は丸ごと盛り込まれ、特別支援教育関係(1778人)も削られたのは養護教諭分だけだ。主幹教諭(概算448人)のゼロ査定をはじめ、栄養教諭や事務職員、外国人児童生徒の日本語指導分などの削減も、税収減の中での困難な「マニフェスト予算」編成を考えれば、これもまた仕方あるまい。

 それよりもに論じた通り、これが次期定数改善計画への「足がかり」になることは評価してよい。逆に言えば、民主連立政権が編成する2年目の予算では、改善計画を盛り込まないことは許されまい。

 政府・与党内では義務教育費国庫負担金自体を「教育一括交付金」化する構想もあるようだが、上に見た2つのデータだけ取っても現行の定数が不十分であることは明らかだ。以前の社説でも指摘したように非常勤講師の問題ひとつ取っても、地方の自由度を高めることが教職員の職場環境改善につながらない現状が、残念ながらある。こと教職員定数に関しては、裁量拡大よりも「最低基準」の引き上げが急務なのだ。

 文科省には年が明けたら、すぐにでも行政改革推進法の見直しも含めた定数改善の論議を「政治主導」で始めてほしい。政府全体の一括交付金論議など、待ってはいられない。2010年度予算は仕方ないにしても、いつまでも「政権移行期」を寛容に見守れないほど、現場の実態は深刻なのである。

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2009年12月27日 (日)

文科省予算案〈1〉 実質無償化を期に高校の“準義務化”進めよ

 2010年度文部科学省予算案では、高校授業料を実質無償化するとした民主党マニフェスト(政権公約)に沿って「高等学校等就学支援資金等」が盛り込まれた。高校教育は既に進学率がほぼ98%に達し、実質的には準義務教育機関化しているにもかかわらず、「義務教育ではない」という建前もあって、さまざまな矛盾が放置されたままだ。これを期に、名実共に「準義務教育機関」とすべく、指導面も含めた体制整備に力を入れるべきである。

 まず、今回の予算案の評価である。一律支給とする民主党マニフェストに対しては、「所得制限をつけるべきだ」という意見も根強かった。しかし文科省政務三役が繰り返し強調していたように、所得制限では単なる授業料減免の拡大に過ぎない。

 公私間格差を疑問視する向きもあった。確かに公立は全額無料、私立は公立同等額から世帯収入によって倍額までという制限がある。しかし考えてみれば、私立小・中学校では授業料が徴収されている。公私の差はあって当然だ。確かに私立では授業料はもとより、それ以外の納付金負担も大きい。しかし、それはあくまで「無償化」ではなく、あくまで教育費負担の軽減策として論議されるべきである。

 問題がないわけではない。概算要求にあった入学料や教科書費の給付型奨学金は、認められなかった。公立高校の授業料が無償化されても既に減免措置を受けていた低所得層に新たなメリットはなく、それ以上の所得層との教育費格差が拡大しかねない問題は、指摘されている通りである。自民連立政権下での8月概算要求にあったように、学用品費や修学旅行費も含めた“高校版就学援助”の一刻も早い実現が必要だ。

 ともあれ、ここで「実質」とはいえ無償化に一歩踏み込めた意義は大きい。国際人権A規約は中等教育に関して「無償教育の漸進的な導入」を規定しているが、この条文を留保していたのは締結国160カ国中、日本とマダガスカルだけだった。単なる予算措置にとどめず、法的根拠も含めた恒久的制度化も検討されるべきである。

 その上で、強調しておきたいことがある。高校が「国民的な教育機関」(財務省資料に対する文科省見解)であるならば、実質無償化に伴って、その教育責任も重くなることである。

 もちろん、ここで高校の義務教育化まで主張するつもりはない。しかし中学校卒業生のほとんどが進学する一方で高卒就職難が深刻化する現状にあっては、一時期より減少したとはいえ6万6千人を超える高校中退の問題を放置してはなるまい。卒業者も含め、教育成果の「質の保証」が社会的責任として求められていることを、関係者は再認識すべきだ。

 そのためには、まず条件整備の拡充が不可欠になる。とりわけ教育困難校に対する支援策の充実が急務だ。もう「義務教育ではない」と言って、生徒の自己責任を建前にしてはいけない。もちろん中退や進路変更は最終的に生徒や保護者の判断に任されるべきものだが、社会に有為な人材として送り出すためにも、学校現場が最後までギリギリの指導に打ち込めるような予算、人事両面での措置が求められる。

 教育行政はもとより、高校現場の意識も変わらなければならない。いわゆる「ゆとり教育」批判と学力向上の要請に威を借りて、進学実績を上げることに傾倒してきたのが、この間の高校教育の大勢ではなかったか。そうした中で必履修科目の未履修問題さえ起こしたことを、忘れてはなるまい。実質無償化を契機に、いま一度“準義務化”された高校教育の在り方を検証する必要がある。それだけの重みを持つ予算案であるはずだ。

 ただし、政権与党となった民主党にそれだけの自覚があったかは疑問が残る。実質無償化にしても「子ども手当」と同様、公共事業や補助金による国民への還元を「直接給付」に変えるという発想の方が大きかったろう。実質無償化の「意味」は、依然として未整理のままと言わざるを得ない。

 政権発足後4カ月という短期間で、理念まで十分に煮詰められなかったことは仕方がない面もある。だからこそ予算編成の山を超えた来年は、落ち着いた教育論を「国民目線」で展開することを期待したい。

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