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2010年1月30日 (土)

学習費の抑制 冷静になる好機だ

 2008年度に家庭が支出した「子どもの学習費」が、公立では中学校を除いて減少に転じたことが、文部科学省の調査で分かった。もちろん主な要因は、不況で収入が減り、教育費さえ抑制せざるを得なくなったことにあるだろう。近年注目されているように、経済格差に連動した教育格差は解消すべき課題である。しかしこの間、行き過ぎた“教育熱”もなかっただろうか。各家庭で今一度、自分の子どもと教育の状況を冷静に見つめ直す好機ととらえることもできるのではないか。

 こう主張するのも、いわゆる「ゆとり教育」批判を契機にして、首都圏を中心に過剰なほどの公立学校不信と学習塾依存、そして私学志向が進んだと見るからだ。

 2006年度の学習塾費は、公立の小学校で2000年度に比べ約1万8000円増の6万1622円、中学校で約3万4000円増の19万6130円に達していた。それが08年度は、それぞれ約8700円減、約1万1000円増と明暗が分かれた。中学受験は諦めても、せめて高校受験には、という「選択と集中」が働いたことによるものだろう。

 人口規模別のデータからは、いっそう興味深い結果が見えてくる。指定都市・特別区の場合、公立の小学校が06年度比約2万8000円減の8万2093円、中学校が同約3万1000円減の22万6925円と、いずれも大幅な下落となっている。

 この状況をどう見るかは、家庭によっても事情は違っていよう。しかし、これまでの風潮として「塾に通わせなければ、(受験)学力はつかない」「私立に進ませなければ、いい大学にはいけない」という強迫観念のようなものが、とりわけ都市部にまん延していなかっただろうか。そして何より、通わせた塾や志望する私学が、そもそも自分の子どもに合っているか、子どもの力を伸ばしてくれるところかを、十分に考慮したろうか。

 本社は、単に公立礼賛・私学批判をしているのではない。建学の精神に基づいた独自教育を行うのが私学の特色だし、そこに魅力を感じて私学を選ぶなら、保護者の選択として当然である。しかし、本音のところでは大学進学に有利かどうかが最優先になってはいなかったか。

 いわゆる「ゆとり教育」批判以前の公立学校に問題がなかったとは言わないが、それを期に巻き起こった公立学校・教員バッシングが必ずしも当を得ていたとは思えない。何より公立学校の多くではそれ以来、学力向上への努力が続けられている。

 もちろん学習費を削減した家庭には、泣く泣く私学受験や学習塾通いを諦めさせたところもあろう。それが子どもの可能性を摘み取ることになっては、残念である。しかし、過剰に膨らんだ塾依存や私学志向を割り引いて考えずに、「これでますます進学格差が広がる」と評するわけにはいかない。“無駄”な支出を切り捨てる、いい機会かもしれないのである。

 いま教育政策として第一に力を入れるべきは、社会のセーフティーネットとしての公立学校の充実だ。どの子に対してもその能力を引き出し、伸ばせるような環境をつくり出す戦略を立てなければならない。そしてその実現には、家庭との連携が不可欠になる。

 教育費の切り詰めを嘆き、現状に不満を募らせることはたやすい。しかし、この間のいわゆる「ゆとり教育」批判や公立学校・教員バッシングにあおられた過剰な不安についても、本当にそれが妥当なものであったのか、検証する必要があるのではないか。何より考えなければならないのは自分の子どもがどうしたら伸びるかであり、そのためにも、自分の子どもだけでなく「どの子」も伸ばせるような学校教育のあり方を追求することが、賢い保護者としても、共生社会を生きる市民としても、求められるのではないか。

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