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2010年2月

2010年2月17日 (水)

民主政権の教育政策 「熟議」もいいが軸足固めよ

 文部科学省は先ごろ、「『熟議』に基づく教育政策形成の在り方に関する懇談会」を発足させた。教育の当事者が議論を積み重ねる中で、解決の方向性を探っていくのだという。それはそれで結構なことである。新たな民主主義の模索としても、大いにやってほしい。しかし、そうした民意を受けて政治主導で政策決定を下すべき民主連立政権自体が、ぶれている。まずは政策の軸足を確固たるものにするよう努力することが先決ではないか。

 こう苦言を呈するのは、実は教育政策がきっかけではない。「子ども手当」をめぐる鳩山首相発言の迷走だ。14日に行った国民との直接対話「リアル鳩カフェ」では財源の無駄を省いた範囲内で支給する仕組みにする意向を打ち明けながら、翌朝には予定通り2011年度からの満額支給方針を強調した。しかし、政府・与党内にはいまだに満額の見直し論がくすぶっている。

 これを問題視するのは、何もマニフェスト(政権公約)の実現を迫るからではない。そもそも子ども手当は、どういう性質のものだったのか。最近では「社会全体で子どもを育てる」などと説明されているし、マニフェストや首相の施政方針演説では「応援する」となっていた。しかし、そもそもの発想は、これまで公共事業や補助金などの形で還流されてきた予算の恩恵を、国民への直接給付という形に代える、というものであったろう。

 もし民主連立政権が本気で「社会全体で子どもを育てる」ことを目指すのならば、子ども手当の支給だけで完結する話ではないはずだ。子育て支援のための投資に予算を重点化することこそが、重要な国家戦略の一つとして据えられてしかるべきであろう。それが満額支給の財源確保ごときで揺れているようでは、いったい何を目指して政策を進めようとしているのか、疑問符が付いても仕方あるまい。

 先に「教育政策がきっかけではない」と書いた。念頭にあったのは、高校授業料無償化のことである。子ども手当と並ぶマニフェストの目玉政策であり、その発想はやはり国民への直接給付にあった。それが論議を経て、公立高校は授業料の「不徴収」、私立高校は「修学支援金」の代理受領による授業料の減額という形に落ち着いた。

 子ども手当の「社会全体で―」に当たる高校無償化の大義名分は、中等教育に関しても「無償教育の漸進的な導入」を掲げた国際人権A規約の留保の撤回だろう。以前に論じたように、本社はそれを支持する。そのための位置付けの変節なら、むしろ歓迎されるべきことである。

 しかし、あいまいな方針も「熟議」によって熟成されていくと期待しているのなら、国民の負託を受けた政権党とはいったい何なのか。本来、確固たる位置付けや戦略、実現可能性を考慮した上で国民に問うのが、マニフェストだったのではないか。

 もちろん、民主連立政権が模索する「熟議」がそれほど単純なものでないことは、重々承知している。鈴木寛副大臣は、当事者コミュニティーによる議論の深まりの中で解決策が形成されるだけでなく、実施のための役割分担にも自ずと合意ができていく、という姿を想定しているようだ。確かに教育政策は、学校、地域社会、家庭の各関係者、ないし教育界(学校)の中でも管理職・一般教員、教委、研究者など、さまざまな当事者が議論して合意形成していくのにふさわしい分野である。

 そうした熟議の先べんをつけようとしているのが、教員養成制度の抜本的な見直しであろう。現在、文科省内での論点整理と並行して、関係団体や大学など当事者からの意見聴取を始めており、インターネットを活用した一般国民からも意見募集も行うという。

 しかし「熟議」のためには「教員養成課程を6年制にしたい」といった確固たる問題提起が、最初になければいけないのではないか。その上で熟議によって修正するなり原案通りとするなりの意思決定をすればいいわけで、最初から方針をあいまいにして動向を探るというのなら、前政権下で横行していた政策の「アドバルーン(観測気球)」が可視化されたというだけのことではないか。

 繰り返しになるが、教育における熟議そのものは大いに結構である。学校週5日制や「学力」向上など、掛けるべき議題はたくさんある。しかし、その熟議を推進する側の軸足の定まらなさが、どうしても心配になるのだ。

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2010年2月 9日 (火)

私立高の「無償化」 自治体の“支援競争”を歓迎する

 国の「高等学校等修学支援金」(私学版高校無償化措置)に上乗せする形で、低所得世帯を中心に私立高校の授業料を実質無償化しようとする自治体が相次いでいる。経済的な困窮で子どもの教育機会が危ぶまれる中、こうした動きを基本的には大歓迎したい。

 私学にも無償化措置を拡大することは既に昨年11月、大阪府の橋下徹知事が年収350万円以下の世帯を対象に、府内私立高校の平均授業料である55万円を限度に府が負担する方針を明らかにし、それを超える額についても各校が給付型奨学金を創設して実質全額を無償化するよう合意を取り付けていた。

 一方、京都府の山田啓二知事は1月末、都道府県のトップを切る形で2010年度当初予算案に「京都式高校生あんしん修学支援制度」と銘打った事業を計上。年収350万円未満世帯に対して平均授業料の64万円まで実質無償化するとともに、市町村民税が非課税となる母子・父子・障害者世帯等には学用品費や入学支度金を対象にした給付型奨学金を創設する。

 その直後、橋下大阪府知事は11年度から無償化の対象を年収680万円以下の世帯にまで拡大する方針を表明。ほかにも愛知県、広島県などが無償化措置を検討していることが明らかになっている。新年度当初予算案が出そろえば、おそらく相当数の自治体に上ろう。

 こうした支援策の競争なら、大いにやってほしい。とにかく今は、低所得世帯の高校生にとって教育機会が奪われるか否かの瀬戸際にあると言っても過言ではない。当初予算に間に合わなければ、年度途中からでも補正予算による積極的な対応が期待される。

 高校進学には授業料以外にも、さまざまな費用が掛かることは言うまでもない。しかし文部科学省が概算要求していた入学料と教科書費の給付型奨学金事業(高校版就学援助)は、年末の予算折衝でゼロ査定となった。京都府の措置はこれを一部カバーするものだし、広島県も全額免除の対象を施設整備費などを含めた「実質授業料相当分」に拡大するという。こうした点も、ぜひ競い合って充実してもらいたい。

 ところで、冒頭に「基本的には大歓迎」と書いた。あえて限定を付けたのは、公立と私立の支援策にはおのずと格差があってしかるべきだからだ。私学を選択するということは、その学校の建学の精神に賛同し、自由意思によって特色ある教育を選ぶ、ということが「基本」のはずである。義務教育である小・中学校でも、私学では授業料が徴収されている。高校でも私学の方が高額になることには、合理的理由がある。

 そうは言っても、各都道府県では公私間協定によって入学定員の比率が決められている例がほとんどであり、私学選択が必ずしも「自由意思」とは言えないところも少なくない。私学の比重がどれくらいかは地域によって事情が違うので、全国一律に論じられない。国の措置にどれだけ上乗せするかは、まさに地方の役割であり、責務である。

 気になるのは、橋下知事の“戦略”だ。公私の授業料格差を5万円程度に縮めることで、公立と私立を対等な形で競争させる狙いが込められている。ターゲットはむしろ公立にあり、競争によって志願者の減った高校は廃止を検討するなどのルールづくりも進める意向だという。発想が逆ではないか。

 重要なのは、いま誰に、どのような支援を行えば、教育機会を保障できるかを考えることである。そのためには私学もそうだが、公立高校に通う生徒に対する更なる支援策も忘れてはならない。ひいては、小・中学校や大学を含めた教育費の拡充が、将来に向けた“成長戦略”として展望されなければならないだろう。

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