学校評価 現場の英知で再検討を
文部科学省の調査研究協力者会議が先月末、第三者評価の在り方に関する報告をまとめた。同省は早ければ5月中にも学校評価ガイドラインを改定する方針である。「監査機関」的な色彩が後退したことは歓迎すべきであろう。しかし、他律的な学校評価が学校現場の多忙化に拍車を掛けている現状は放置されたままだ。潮目が変わったのを契機に、学校評価そのものにも再検討が求められる。
報告は、第三者評価の実施者を「学校とその設置者」と位置付け、実施するかどうかを実施者の判断に委ねた。カッコ書きで「法令上、実施義務や実施の努力義務を課すものではない」という注釈すら付けている。実施体制の例示では専門家を中心とした特別な評価チームだけでなく、学校関係者評価の中に専門家を加える方式や、複数の学校による相互評価も容認した。
報告の示した判断は、極めて現実的と言ってよかろう。協力者会議委員の議論のたまものではあるが、そもそも当初の構想自体に無理があったと言わなければなるまい。
振り返れば第三者評価の構想が浮上したのは、規制緩和・自由競争を掲げる小泉純一郎政権の構造改革路線の下で、義務教育費国庫負担制度の廃止が論議された時であった。高まる学力低下批判と公立学校不信の中、文科省は同制度堅持のための理論武装と、教育の質を保証する新たなシステムづくりが必要になった。そうして打ち出されたのが、いわゆる「義務教育の構造改革」答申(2005年10月、中央教育審議会)の「インプット―プロセス―アウトカム」論だ。
そこでは、教育の目標設定とその実現のための基盤整備(インプット)だけでなく、教育の結果(アウトカム)の検証をも「国の責任」に位置付けた。その検証の手法の一つが中山成彬文科相(当時)が言い出した全国学力テストであり、もう一つが「第三者機関による全国的な外部評価の仕組み」だった。
当時の文科省が第三者評価のモデルとして頭に描いていたのは、英国イングランドの「教育・児童サービス・技能水準局」(Ofsted)だった。これを念頭に「学校評価の推進に関する調査研究協力者会議」は第1次報告(07年8月)は「チェックリスト型監査」を、政府の「教育再生会議」も第3次報告(同12月)で数値化による「成果指標」を求めた。実際にも06年から3年間、全国の小・中学校での試行を交えた実践研究が行われている。
しかし今回の報告からは、協力者会議の発足時に示された検討事項にあった「評価機関」という表現が消えた。「監査的な要素も盛り込みつつ」評価を行うという提案も、「監査的な評価」より学校運営改善のための体制や妥当性のチェックに重点が置かれることになった。
報告に先立つ昨秋の政権交代に伴い、第三者評価検討の関連予算も概算要求段階から削除されている。今回の報告は「日本版Ofsted構想」が事実上破綻(はたん)したことを象徴するものと言えよう。公立学校・教育委員会バッシングを後ろ盾にした「教育再生」路線の下で「評価のための評価」に屋上屋を重ねることになりかねない危険性もあったことから比べれば、まずは安心だ。
しかし02年の同省令による努力義務化以来、学校評価が本当の意味で体系的に整理されたとは言い難い。報告が指摘するように学校評価が「それ自体が目的ではない」のであるならば、評価の過程がそのまま指導や学校運営の改善につながるような「指導と評価の一体」をここでも目指すべきだ。
本社は学校評価自体を、また第三者評価をも否定するものではない。外部の専門家による指摘や指導は、むしろ多くの学校が求めているところである。学校関係者評価にしても、保護者や地域住民を「当事者」として巻き込むというコンセプトには大いに賛同したい。だからこそ今一度地に足をつけ、無理なく、かつ評価活動がそのまま教育活動の具体的な改善に反映するような新たな発想によるシステムを、現場の英知を集めて模索したいものだ。
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