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2010年5月30日 (日)

障害児教育 「証拠」論議の契機に

 政府の「障がい者制度改革推進会議」が、障害児と健常児を分けない「インクルーシブ教育」の実現を求める第1次意見書の素案をまとめた。福島瑞穂担当相の罷免で今後の動向は不透明であるが、このまま閣議決定されれば教育界にも大きな影響は避けられない。しかしインクルーシブ教育どころか、現行の特別支援教育にも課題は山積している。ここは「特別支援教育かインクルーシブ教育か」といった二者択一を急ぐのではなく、特別な支援を必要とする子どもの教育についての具体的な政策論議の契機とすべきである。

 素案では、福祉や医療のみならず教育分野でも「分離や排除の傾向を限りなく取り除くことが求められる」とした上で、教育基本法4条1項の教育上差別されないものの例示として「障害」を加えることを求めるとともに、障害の有無にかかわらず全ての小・中学生を通常の学級に在籍させ、本人や保護者が望む場合に特別支援学級や特別支援学校への就学ができる制度に改めるとしている。事実上、漸進的に特別支援教育をインクルーシブ教育に転換させる方向性を打ち出したものと言える。

 確かに現行制度では素案が指摘するように、就学先の決定に当たっては本人や保護者の同意を必ずしも前提せず、選択権が十分に確保されているとは言えない。長距離の通学が困難な子どもであっても遠くにある特別支援学校に通わなければならない矛盾があることも、指摘の通りだ。

 だからといって、一足飛びに「インクルーシブ教育」に移行すれば、すべて問題が解決するわけではない。何より、さまざまな障害を抱える子どもの最大限の発達を保障する教育が確保できるのか、その見通しさえ十分に検討された形跡はない。

 象徴的なのが、4月の会合で行われた文部科学省ヒアリングだ。同省が、義務教育を全面的にインクルーシブ教育に移行する場合は12兆1485億円、漸進的に移行する場合でも1兆2380億円が掛かるとの試算を提出すると、その非現実的な数字に出席者から非難の声が上がった。一方、団体や保護者からは「特別支援教育はどんな形であれ止めていただきた」などと、現行の障害児教育をめぐる問題点をすべて特別支援教育に帰する立場からの主張がなされており、それが素案の基調にもなっている。

 しかし、特別支援教育のどこが問題で、改めるべき点は理念なのか、条件整備なのか、何なのか。そうした点が十分に検討されず、単に抽象的な「自己選択・自己決定」「共生社会」というだけで、教育政策の方向性を決めるのは拙速に過ぎる。

 だからといって、現行制度を手放しで支持するわけではない。むしろ特殊教育から特別支援教育への移行自体が、試算はおろか十分な条件整備さえ論議されないまま、理念先行で行われたのではないか。小泉構造改革路線の下で「第8次」教職員定数改善計画が幻に終わって以来、単年度で改善された特別支援教育関係の定数は2009年度までの3年間で864人にしか過ぎない。ようやく約2000人の要求が通ったのは、政権交代後の10年度予算を待たねばならなかった。個別指導計画や個別教育支援計画、特別支援教育コーディネーターなどにしても、ほとんど現場の「努力」に委ねられている。

 もっと言えば、これまで障害児教育自体に十分な体制整備があったのだろうか。言うまでもなく子どもの抱える障害は、その種類や程度、重複の有無など一人一人によって違い、その発達を促すにも高度な専門性が要求される。しかし、特殊教育や特別支援教育が小・中・高校などに「準じる教育」であるという建前の下に、専門性が二の次にされることが果たして全くなかったと言えるのか。

 免許制度にしても、特別支援学校の教員は今も「当分の間」基礎免許である小・中・高校などの免許を保有していればいいことになっている。通常の学校から異動になれば、特別支援教育の免許取得や専門性の向上は、基本的に個々の教員に任されている。もちろん、多忙化の中でそうした努力をしている教員には、頭が下がる思いである。しかし、そもそも現場で要求される専門性の高さに比べて本当に適切な人事が行われているか、疑問が残るケースも依然ないとは言えまい。

 試算のほかにもう一つ、注目すべきデータがある。やはり特別支援教育移行後の07~09年度に、公立小・中学校の通常学級が8529学級減となったのに対して、特別支援学校小・中学部と特別支援学級は計9895学級増になったというのだ。これは、児童・生徒減に伴って余剰が出る通常学級の教員を特別支援教育に回しても、なお1366人の補充が必要だったことを意味する。逆に言えば次期定数改善計画の実施などを急がない限り、障害児の教育はおろか健常児の教育にさえ支障が生じかねないということを示している。

 上記データは単年度の学校基本調査を調べれば分かることとはいえ、文科省が資料として提出したのは、ようやく昨年11月の「事業仕分け」においてであった。遅きに失した感があるが、ようやく「エビデンスベース」(証拠に基づいた)の論議を行うための資料が公表され始めたと評価できよう。先の試算も、その一つだ。

 抽象論をいくら重ねたところで、個々の子どもや学校の教育が劇的に改善するわけではない。実態に即して、かつ財政面もタブー視せず、障害児の教育に関する根本的な論議に、今からでも取り掛かるべきだ。そうしている間にも全国の特別支援学校では、急増する児童・生徒数への対応に追われている。

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コメント

参考にしています。特別支援教育の充実に定数増は不可欠。お金がないのにインクルーシブ教育を持ち出すのは現場の負担を増すだけで、効果は期待できない。これからも編集長よろしくお願いします。

投稿: okachimachi | 2010年6月 4日 (金) 14時45分

okachimachiさん、コメントありがとうございます。特別支援教育につきましては、逆にいろいろ教えていただければ幸いです。今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿: 本社論説 | 2010年6月 6日 (日) 07時58分

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