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2010年11月25日 (木)

高大接続テスト 先送りでも済まない「全入時代」の入学者選抜

 おそらく文部科学省のホームページを毎日チェックしている人でも、多くが見過ごしているのではないか。「高大接続テスト(仮称)」をめぐって北海道大学に委託した「高等学校段階の学力を客観的に把握・活用できる新たな仕組みに関する調査研究」の報告書が、ひっそりとアップされている。テスト創設の必要性を訴えながらも、結論的には高校・大学関係者による今後の検討に委ねている。国も含めて、具体化への機運はいまだ見られない。しかし報告書の指摘は、もっと深刻に受け止められてしかるべきだ。

 報告書は高大接続テストについて「学習指導要領の改訂に振り回されない出題教科・科目設定が望ましい」「1点刻みの素点評価から離れることが必要」「目標準拠型の達成度テストであることが求められる」など注目される提言を行い、創設されれば「学力入試の在り方、さらにセンター試験の在り方も検討が必要となる」とまで言及しながらも、一方では大学入試センター試験の存続も前提とし、「高校卒業資格試験や悉皆テストとして位置付けられるべきではない」「テストですべてが解決するわけではない」などと歯切れが悪い。関係団体代表が集まって利害を調整した結果の文言であるから、仕方ない面はあろう。

 だが、そこに示された問題意識は重大だ。既に実質的な「大学全入時代」に突入する中、関係者がこぞって目をそむけている現実を直視した上で、覚悟の提言を行っていると見るべきだろう。

 中央教育審議会のワーキンググループで提言されて以来、高大接続テストが実態として「学力不問入試」になっている推薦・AO入試の学力担保策だと受け止められているふしがある。だが、そうではない。どのような「入試」を行おうと大学教育を受けるのに求められる「学力」が担保されないところに、全入問題の根深さがある。

 報告書が指摘するように、高校教育から大学教育への接続は戦後一貫して「選抜性の高い大学入試」を通してなされてきた。それも定員に対する受験者数が過剰だったからこそ、機能してきたことだ。そこでは中堅以下の大学でも序列化と偏差値輪切りによって、ある程度の学生層の均一化を図ることができ、教育上の対応もしやすかった。

 報告書の指摘を待つまでもなく、そうした選抜機能はいまや低下している。たとえ上位・有名大学であっても18歳人口減に比例した大幅な定員削減でも行わない限り、競争選抜によって優秀な学生を確保することはできない。たとえ入試科目数を増やしたところで、生き残りに必死な高校側が徹底した受験対策をするだけである。出題からはみ出た部分にこそ大学教育に不可欠な学習意欲・関心、調査・リポート力、コミュニケーション能力などが存在するのだが、そうした能力がやせ細ったまま受験校から大学に進学していくという皮肉な結果を招きつつある。受け入れ後の教育が昔に比べて困難になるのは、必然と言っていい。

 中堅以下の大学は、もっと深刻である。学生数を確保するためには、逆に入試科目を減らすなど入り口を軟化させなければ文字通り存続が危うくなる。ますます全入状態に近づき、学生の質はいっそう多様化する。上位大学以上に手厚い教育が必要になることは言うまでもない。

 報告書は、高大接続テストを「教育ツール」と「選抜ツール」の2側面を持つものだと位置付けている。多くは選抜ツールの側面ばかりに目が向いているだろうが、むしろ「選抜ツールではない教育ツール」の側面に着目すべきだろう。学力の低い者を落とすためにではなく、低くても受け入れざるを得ない学生を教育するためのツールとしてだ。

 奇異に聞こえるかもしれないが、全入時代の「入学者選抜」は、「入学試験」だけでは自校にふさわしい学生を確保できない。受験学力だけではない、多様な物差しが不可欠になる。高大接続テストも、そうした文脈の中で提言されたものである。そこを見誤ってはいけない。

 たとえ高大接続テストが実現しなかったとしても、それに替わる「選抜」方法を一刻も早く見つけなければならない。報告書がテストの具体化について「可能な限り準備期間を短縮することが望ましい」と指摘しているのは、そうした問題意識が背景にあると読むべきだ。知的基盤社会に対応した高度な人材を養成する必要性に迫られる中、悠長に構えてはいられない。

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コメント

高大接続テストの協議・研究について貴重なご意見有難うございます。
歯切れが悪かった部分は、協議・研究に課せられた課題の関係で、委員会の中では明確だったことをお伝えします。また、現行センター試験の継続を前提にしていないことは、報告をお読みいただければ理解していただけると存じます。問題は、テストの導入を前提に入学者選抜制度改革に関係者が進むことだと考えております。
渡辺様のご活躍をお祈りしております。

投稿: 佐々木隆生 | 2010年11月29日 (月) 09時15分

佐々木先生、このような場末のブログ(?)にまで丁寧なご指摘を頂き、誠に痛み入ります。報告書を拝読して、まとめる際のご苦労が行間ににじみ出ている思いがしておりました。それでも全入時代の高大接続問題がまだ一般にはそれほど深刻に受け止められていないように感じていたものですから、あえて報告書をだしに論じた次第です。
本職の方では報告書の意図や問題意識を分かりやすく伝えるべく、解説を加えていきたいと思っております(既に出稿しているものもあります)。今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

投稿: 本社論説 | 2010年12月 2日 (木) 10時41分

私立大学は今どこでもAO入試や推薦入試で半分くらい学生を無試験で入学させています。早稲田の政経でも半分はAO、推薦という名の無試験で入学しており、まともに入試を経て入学した子と圧倒的な学力の差があります。これが日本中の私立大学で行われ、若者の数は減っているのに、反対に大学生の数は、1985年は185万人。2010年には288万人と15年間で100万人も増殖しています。猫も杓子も大学進学。そんなに都会で大卒の仕事が正社員であるわけないのです。しかし彼らはプライドだけは高いのです。大学4年になってから就活をやりたいこと探しと勘違いし、大企業、有名企業、人気業界を70社も80社も受け、そして全滅し、社会のせいにします。人気企業では最近難しい筆記試験を選考過程に復活させています。バカ学生を筆記でばっさり落とすためです。客商売企業ほど、就活学生の逆恨みが怖いのです。学生さんは試験で落ちると逆恨み企業攻撃しにくいものなので、筆記試験は重宝しています。助かります。このようにAO入試で入学すると大学4年になってどうせ就活で困るのです。

投稿: やまだ | 2010年12月25日 (土) 15時47分

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「高大接続テスト」(仮称)について、文部科学省の研究委託を受けて北海道大学の最終報告書の内容が分からない方が多いので、先に私大連のサイトをリンク先として紹介しましたが、研究委託元である文科省のサイトにも載っていることを同業者から教えてもらいしまた。ここです。... [続きを読む]

受信: 2010年12月 2日 (木) 01時03分

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