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2011年7月

2011年7月17日 (日)

「地域の中の学校・教職員」を次期振興計画の核に

 第2期教育振興基本計画の策定に向けた中央教育審議会の審議が始まっている。そこでは当然、第1期の反省や社会の要請だけでなく、東日本大震災の教訓を踏まえた教育の在り方が課題になってこよう。そこで、ぜひ初等中等教育の分野の中心に据えてほしいテーマがある。「地域の中の学校・教職員」ということである。

 繰り返し指摘してきたように、今回の震災は改めて「学校」という存在の重要性を再認識させた。学校が単なる施設ではなく、地域コミュニティーにとっての象徴的存在であり、しかもそこには基本的に優秀で真面目な教職員が配置されていることも欠かせない。

 今月初めに相次いでまとめられた文部科学省有識者会議の提言類も、そうした点を強調したものと言っていい。「全国で地域社会を支えるインフラとなっている、世界でも画期的なシステム」(学校運営改善協力者会議)、「学校は地域の絆であり、被災地の復興の鍵は学校の復興にある」(東日本大震災学校施設検討会)という言葉を、改めてかみしめる必要がある。 しかも「避難住民のために昼夜を問わず勤務を続けていた」(同検討会)のが他ならぬ学校の教職員であったことを、平時でも忘れないようにしたい。

 学校とはもともと、そういう存在だったのだ。発達途上にある生身の子どもを相手にする以上、単に知識を教える場、教育だけの場にはとどまっていられない。家庭の経済格差や児童虐待、就職難が深刻化する今、福祉・雇用分野との連携の必要性もますます高まっている。

 地域の中でのさまざまな安心・安全を担う存在である学校と教職員を、どう確保するか。それこそが「ポスト3・11」後の初等中等教育における喫緊の課題となるべきであろう。「全て先生方の献身的な善意に甘えている」(同検討会第2回会合での片田敏孝群馬大学大学院教授の発言)というのは、今回の震災対応だけの話ではないだろう。

 そのためには物的・人的の両面に集中的な予算投入を行うことはもちろん、その存在に見合った働き方ができるような環境整備も進める必要がある。もはや「子どもと向き合う時間の確保」などという言葉では生ぬるい。学校と教職員の自由度を抜本的に拡大し、さまざまな子どもと地域の課題にフリーハンドで動いてもらえるような学校運営と勤務形態の保障が不可欠である。

 それを「コミュニティ・スクール」と呼ぼうと「新しい公共型学校」と呼ぼうと「地域とともにある学校」と呼ぼうと一向に構わないのだが、地域コミュニティーの核を担う学校・教職員という視点を教育改革の核に据えることが、すなわち新学習指導要領への対応や多忙化解消、信頼される学校づくりなど直面する教育課題の解決にもつながることは言うまでもない。裏を返せば、第1期計画のような「総花」では何の改善にもつながらないばかりか、課題をますます深刻化させるだけである。

 

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2011年7月 9日 (土)

コミュニティ・スクール提言 何のための議論だったか

 鈴木寛文部科学副大臣が広げた皮の大風呂敷に骨と肉を付けるはずが、骨はスカスカ、筋肉も貧弱――。先日まとまった「学校運営の改善の在り方等に関する調査研究協力者会議」の提言を厳しく評せば、こうなろうか。

 初等中等教育局長決定で設置された同会議には当然とはいえ鈴木副大臣は一度も出席しておらず、全く別個のところで有識者委員が議論を積み重ねてきた。にもかかわらず、鈴木副大臣の構想を一歩も出ていない。それどころか、スズカン構想にあった「コミュニティ・スクールのバージョンアップ」さえうかがえない。

 めぼしい成果といえば、「地域とともにある学校」という名称を掲げたことと、コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)の数値目標を盛り込んだことぐらいであろうか。しかし、事務局から提案された「地域とともにある学校」は委員に不評だったにもかかわらず、そのまま残ったものだ。数値目標にしても「全公立小中学校の1割」は最終回に提案されたもので、しかも事務局の説明によると「切りのいいところ」という根拠薄弱なものでしかない。

 逆に、当初の事務局案にあった「狭義/広義のコミュニティ・スクール」という文言は、委員から「『広義』の方が良いもので、『狭義』というと矮小化された感じがする」との異論が出され、提言から消えた。もともと狭義/広義とは鈴木副大臣の表現で、それに異を唱えた格好になったのは会議の独立性を示したものでもあったが、むしろ原案の方が分かりやすかった気がする。

 提言の成果として、東日本大震災を踏まえた「地域コミュニティの核」としての学校を位置付けたことを加えるべきなのかもしれない。しかし、議論としては前後して緊急提言をまとめた「東日本大震災の被害を踏まえた学校施設の整備に関する検討会」の方が、よほど充実していた印象がある。

 しかも、提言で紹介している避難所運営や学校再開での「協働」例は、学校支援地域本部事業であって学校運営協議会制度ではない。それなのに、どうして学校運営協議会制度だけ数値目標が掲げられるのか。むしろ「広義」のコミュニティ・スクールである地域本部事業や放課後子ども教室などの推進方策こそ打ち出すべきではなかったか。

 そもそも、協力者会議には「教職員の勤務負担軽減に関すること」も調査研究事項に入っていたはずである。議論を予定していた3月23日の会合が、東日本大震災の影響で流会したという事情はあろう。それでも提言に実効性ある負担軽減策が盛り込まれなかったのには、失望せざるを得ない。もう一つの調査研究事項である「学校評価の在り方に関すること」は「専門家の視点」まで言及されているのに、である。

 むしろ一部委員から指摘があったように、「中長期的課題」の方が議論されるべきであった。しかし教育委員会制度にかかわる議論は、早々にしないことになった模様である。実はこの時点で、何のための会議なのか疑問符を付けざるを得なかった。

 既にコミュニティ・スクールに熱心に取り組んでいる地域を別にすれば、この提言を読んだ教委や学校は「また文科省が方針をコロコロ変えた」「またナントカ教育が降ってくるのか」と思うであろう。委員が懸念したにもかかわらず、である。しかしそれは、決して文章表現が悪いからではない。落としどころをあいまいにすることを許した、政策決定者の責任である。 

 

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