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2011年7月 9日 (土)

コミュニティ・スクール提言 何のための議論だったか

 鈴木寛文部科学副大臣が広げた皮の大風呂敷に骨と肉を付けるはずが、骨はスカスカ、筋肉も貧弱――。先日まとまった「学校運営の改善の在り方等に関する調査研究協力者会議」の提言を厳しく評せば、こうなろうか。

 初等中等教育局長決定で設置された同会議には当然とはいえ鈴木副大臣は一度も出席しておらず、全く別個のところで有識者委員が議論を積み重ねてきた。にもかかわらず、鈴木副大臣の構想を一歩も出ていない。それどころか、スズカン構想にあった「コミュニティ・スクールのバージョンアップ」さえうかがえない。

 めぼしい成果といえば、「地域とともにある学校」という名称を掲げたことと、コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)の数値目標を盛り込んだことぐらいであろうか。しかし、事務局から提案された「地域とともにある学校」は委員に不評だったにもかかわらず、そのまま残ったものだ。数値目標にしても「全公立小中学校の1割」は最終回に提案されたもので、しかも事務局の説明によると「切りのいいところ」という根拠薄弱なものでしかない。

 逆に、当初の事務局案にあった「狭義/広義のコミュニティ・スクール」という文言は、委員から「『広義』の方が良いもので、『狭義』というと矮小化された感じがする」との異論が出され、提言から消えた。もともと狭義/広義とは鈴木副大臣の表現で、それに異を唱えた格好になったのは会議の独立性を示したものでもあったが、むしろ原案の方が分かりやすかった気がする。

 提言の成果として、東日本大震災を踏まえた「地域コミュニティの核」としての学校を位置付けたことを加えるべきなのかもしれない。しかし、議論としては前後して緊急提言をまとめた「東日本大震災の被害を踏まえた学校施設の整備に関する検討会」の方が、よほど充実していた印象がある。

 しかも、提言で紹介している避難所運営や学校再開での「協働」例は、学校支援地域本部事業であって学校運営協議会制度ではない。それなのに、どうして学校運営協議会制度だけ数値目標が掲げられるのか。むしろ「広義」のコミュニティ・スクールである地域本部事業や放課後子ども教室などの推進方策こそ打ち出すべきではなかったか。

 そもそも、協力者会議には「教職員の勤務負担軽減に関すること」も調査研究事項に入っていたはずである。議論を予定していた3月23日の会合が、東日本大震災の影響で流会したという事情はあろう。それでも提言に実効性ある負担軽減策が盛り込まれなかったのには、失望せざるを得ない。もう一つの調査研究事項である「学校評価の在り方に関すること」は「専門家の視点」まで言及されているのに、である。

 むしろ一部委員から指摘があったように、「中長期的課題」の方が議論されるべきであった。しかし教育委員会制度にかかわる議論は、早々にしないことになった模様である。実はこの時点で、何のための会議なのか疑問符を付けざるを得なかった。

 既にコミュニティ・スクールに熱心に取り組んでいる地域を別にすれば、この提言を読んだ教委や学校は「また文科省が方針をコロコロ変えた」「またナントカ教育が降ってくるのか」と思うであろう。委員が懸念したにもかかわらず、である。しかしそれは、決して文章表現が悪いからではない。落としどころをあいまいにすることを許した、政策決定者の責任である。 

 

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