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2011年9月

2011年9月30日 (金)

【池上鐘音】ピストの常識

▼競輪ではゴール後も、選手がバンク(走路)を2周ほど回る。勝利者にはうれしいウィニングランだが、凡走すれば容赦ないヤジが待っている。それでも60㌔前後でゴール線を駆け抜けるため、ブレーキの付いていない自転車は止まってくれない▼ピスト用レーサー(短・中距離競技用自転車)で公道に出てはいけないということは、競輪ファンにとっても常識である。だからピスト自転車の交通事故が増えていると聞いた時には耳を疑った。選手がピストで街道練習をする場合も、もちろんブレーキ付きである。お笑い芸人が道路交通法違反で摘発されたというが、常識のない素人への警告としては大いに意味があろう▼「気を付けて乗っており、ちゃんと止まれる」と抗弁する者も少なくないようだが、チェーンがギアに直結するピストで減速・停止するにはバックを踏む(逆回転に力を掛ける)必要がある。すぐに止まれないだけでなく、急ブレーキは腰を痛める。腰痛は競輪選手の職業病でもある▼出走前の検車場では、自転車に塩を巻いて柏手を打つ選手が多い。死亡の危険性さえある落車事故を避けるためだ。自らの不注意走行はもとより他の選手に巻き込まれることさえ日常茶飯事だから、最後は神頼みしかない▼不届き者はそんな「凶器」で公道を走っている。ブレーキを付けずに乗るということは、選手ならプロボクサーが素手で、素人でも角材で殴り回るようなものだ▼歩道をわが物顔で通る自転車も少なくないが、自転車は立派な軽車両であり原則として車道を走らねばならない。経済産業省で自転車を所管するのが製造産業局車両課であることも、競輪ファンの常識である。

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2011年9月18日 (日)

第2期振興計画 やっと“まとも”になりそうだ

  第2期教育振興基本計画の骨格が、中央教育審議会の部会で固まってきた。第1期計画が「総花的」だったとの反省から、4つの基本的方向性に重点化して成果目標も具体化する方針である。

 検討されている基本的方向性は、①社会を生き抜く力の養成②未来への飛躍を支える人材の養成③学びのセーフティネットの構築④絆づくりとコミュニティの再構築、の4つで、それぞれ幼児教育から高等教育、成人一般・社会教育に至るまで横断的に論点を整理しようとしている。

 おおむね妥当なところだろう。特に最後の「絆づくりとコミュニティの再構築」は、先に本社も主張した趣旨に合致するものとして歓迎したい。また「学びのセーフティネットの構築」も、現下の経済格差と教育格差を考えれば急務である。

 4項目にわたる「基本的方向」は、第1期計画にもあった。しかし「社会全体で教育の向上に取り組む」だの「個性を尊重しつつ能力を伸ばし、個人として、社会の一員として生きる基盤を育てる」だのといった抽象的なものが並び、その内容も文部科学省各局が進めていた政策課題を総花的に並べただけだったことは、当時の社説でも批判した。しかも財政当局との「調整」で数値目標がほとんど盛り込めず、教育基本法を改正してまでもくろんだ教育投資の増額さえ打ち出せなかったことも、指摘した通りである。

 事実2009年度の文科省予算で、振興計画の策定がプラスに働いた形跡は全く見られなかった。いくら予算事項の説明に「振興計画」を計上の根拠に挙げていようと、結局は調査研究協力者会議の報告書と同レベルの理屈付けでしかなかった。10年度にようやく文科省予算はプラスに転じたが、それは政権交代の成果であって振興計画のためではない。11年度予算では小学校1年生だけとはいえ30年振りの学級編制標準引き下げが実現したが、そもそも第1期計画には「教職員配置の適正化」とあっただけで、定数改善のテの字もない。

 部会では第1期の反省を踏まえて「抽象的、文学的修辞」を避け、「施策を総花的に盛り込むのではなく、重点化すべきではないか」(8月の第8回会合・参考資料)との方針が確認された。当然だろう。というより、そうでなければ“まとも”な計画とは呼べない。

 成果目標についても、9月の部会では▽数値目標を明示▽定性的な目標+測定指標(数値入り)の例示▽定性的な目標+測定指標(数値は無し)の例示――という3パターンが示されている。第1期計画がまさに「抽象的、文学的修辞」に終始して成果を評価しようもないものだったことから比べると、はるかに実効性あるものになることが期待されよう。

 今後の問題は、どれだけ教育現場の実態を踏まえ、現状の打開に有効な目標を盛り込めるかである。幸い、教育投資の拡充に積極的な民主党政権はかろうじて続いている。12年度以降の予算は東日本大震災の復旧・復興対策等で苦しい編成が余儀なくされるだろうが、だからこそ震災を踏まえた13年度以降の第2期計画では、将来への明るい希望が持て、国・地方がそろって計画に沿った行政を5年間推進できるようなものになることを望みたい。

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2011年9月10日 (土)

新政務三役は更新制検証の指示を

 野田佳彦内閣の文部科学省政務三役がそろった。就任会見の限りでは、慎重な出だしのようである。そこで、簡単にできることを手始めとしてお勧めしたい。第1グループがほぼ終了した教員免許更新制の成果を検証するよう、官僚に指示を出すことである。

 更新制は現在、中央教育審議会で検討している教員資質能力向上策の中で発展的に解消される見通しだ。しかしそれでは本社が再三批判しているように、廃止が10年先になってしまう。効果が怪しく、学校現場の負担になるだけの制度を放置するのは責任政党として許されまい。

 それでも「ねじれ国会」の中、自民・公明の前政権が鳴り物入りで導入した制度をいきなり廃止しようとしても不可能であると判断するのは理解できる。だからといって鈴木寛・前副大臣のように「ねじれがなければ更新制の議論は進んだ」(1日の退任会見)と言って済ませるのは、あまりに無責任だ。

 原点に返ってみよう。始めたばかりの制度は、想定通りの効果を上げているか検証されるのが普通である。更新制の目的が「教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ること」であるならば、所定の更新講習を修了した教員に「自信と誇り」が生まれたか、その教員が保護者などから見て「尊敬と信頼」の度合いが増したか、聞いてみればいい。

 本来なら失効者や失効前に退職した者に追跡調査をかけるべきだし、ペーパーティーチャーにもアンケートを行いたいところだが、やりようがないのも理解できる。ただ、需要が増す一方の非常勤講師の確保には既に支障が出ているはずで、教育委員会の状況なら調べられよう。

 現在調査しているのは、各大学の講習が妥当かどうか、満足いくものになっているかどうかだけである。しかしそれはあくまで制度の一環としての調査であり、制度そのものの検証には代わり得ない。

 何も廃止を前提にする必要はない。調査してみて問題があるなら、効果が上がるように手直しすればいいだけだ。それなら野党も反対する理由はなかろう。

 少なくとも鈴木前副大臣も指摘するように10年経験者研修との重複など、すぐに整理できる問題はある。最善の策が難しければ次善、次々善の策を追求するのが「政治」判断というものだろう。

 たとえ調査という行政事務であっても、常に永田町の顔色をうかがう官僚には発案しづらい。他省庁に比べてもその傾向が強い文科官僚にはなおさらだ。だからこそ、ここで政務三役が「政治主導」を発揮すべきである。 

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2011年9月 6日 (火)

“通産体質”に終始した鈴木寛副大臣

 野田佳彦内閣の発足に伴い、政権交代以来2年間にわたって文部科学副大臣を務めた「スズカン」こと鈴木寛氏が文科省を去った。川端達夫、高木義明の両氏という必ずしも教育分野に明るくない文科相の下で、常に文教行政のキーパーソンとして君臨してきた。

 スズカン文教行政をどう評価すべきか。マニフェスト(政権公約)通りに高校無償化を実現した。30年ぶりに学級編制標準の引き下げに着手した。大学予算を拡充した――。近年の自民党政権ではなし得なかった大きな前進があったことは確かだ。鈴木氏の発案だという「コンクリートから人へ」の政権キャッチフレーズを、まさに体現した。それだけをもっても、高く評価すべきなのかもしれない。

 しかし、教員免許更新制の即時廃止ができなかったことは去年の社説で批判した通りだ。その理由を退任会見で説明したように、ねじれ国会のせいにして済むのだろうか。本社も一昨年、教員養成の6年制化(修士レベル化)との一体論議を歓迎する社説を掲げたが、それが結果的には改革を遅らせた側面は否定できない。

 難癖だろうか。いや、スズカン文教行政は万事そうだった。

 鈴木氏は、極めて壮大な構想の下に文教行政を進めてきた。氏によればポストモダンの時代においては産業構造はもとより、市民社会も変わらざるを得ない。教育、医療、雇用など多様な分野で従来の「ガバメント・ソリューション」(政府による問題解決)や「マーケット・ソリューション」(市場による問題解決)に代わって「コミュニティ・ソリューション」(コミュニティーによる解決)が求められる。そうした「新しい公共」づくりの起爆剤としてコミュニティ・スクールを推進してきたのだし、具体的な手法として「熟議」を開発し実践を広げてきた。産業社会と市民社会の変容に対応すべく、コミュニケーション教育も予算化し推進した。教員の資質能力向上や情報教育も、すべてそうした構想の一環に位置付けられている。

 「新しい公共」は鳩山由紀夫内閣以来、政権全体の課題として推進されてきたのも確かだ。しかし2009年夏の衆院選マニフェストに、その文言はなかった。マニフェストの背景にある考え方だという説明はできても、果たして選挙民がそこまで納得して民主党に投票したのだろうか。

 鈴木氏はすべて自明のこととして、ひたすら自身の構想に基づいて文教行政を進めてきた。それが政権全体の方針に合致するという確信によるものであったとしても、結局は個人的な好みによって行政を差配してきただけだった、と言っては中傷に過ぎようか。少なくとも鈴木氏に直接かかわったり意識的にウォッチしたりしてきた者以外には、その壮大な構想を理解することはできなかったろう。ましてや全国の教職員にまで認識の共有を求めることなど、とんでもない。

 学級編制標準引き下げにしても「着手」であって、小学校1年生の35人学級実現と引き換えに加配定数が削減されたため、小規模校では逆に教職員数が減るというデメリットさえ生じている。コミュニケーション教育などもあくまで構想の中の一部分に過ぎないし、コミュニティ・スクールさえ協力者会議提言が尻つぼみに終わったことは以前の社説で指摘した。鈴木氏の構想力には舌を巻くが、更新制も含め実行力には疑問符を付けざるを得ない。

 構想だけ示して実現可能なものだけに手を付け、行き詰まったら撤退する――。スズカン文教行政の2年間は、やはり去年の社説で懸念した通りの通産官僚体質に終始したというのが本社の評価である。もっとも、それでも近年の自民党よりはずっとましだった。党に戻った鈴木氏には、政策調査会で引き続き責任ある対応を求めたい。別に本社に言われるまでもないことであろうが。

〔2013.7.4編注〕こちらもご覧ください。

http://ejwatanabe.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-f2eb.html

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2011年9月 4日 (日)

【池上鐘音】「鎌倉」のない鎌倉

▼武士道といえば欧州の騎士道にも匹敵する倫理だと思われている向きがあるが、そうしたイメージは新渡戸稲造らによって形作られた「明治国家の『近代市民』の思想」(菅野覚明『武士道の逆襲』講談社現代新書)なのだそうである。「本来の武士道」にしても太平の世が続いた江戸中期までは儒教的な道徳とまったく関係のない、殺すか殺されるかの実力闘争の中で生み出された精神だったという▼とりわけ東国武士のそれは、徴発された奥州征討での蝦夷との激烈な戦闘体験が基になっていた。そんな武士たちが初めて築いた都が今、「武家の古都・鎌倉」として世界遺産に推薦される方向が国内で固まった▼文化審議会の特別委員会に提出された準備状況報告書によると、「三方を山に囲まれ、一方を海に開く」要害的地形と一体になった「世界的に稀有な政権所在地」なのだという。しかし国内に類似するものが存在しないということは、その後の武家政権にとってモデルにならなかったことの証しでもあろう▼「固有の社寺景観」にしても、構成資産リストに加わっている永福寺跡は攻め滅ぼした奥州藤原氏の都・平泉を模して造られたものであった。都の造営プラン自体も実は平安京の大内裏を鶴岡八幡宮に置き換えたもので、比叡山延暦寺に当たる位置の山はわざわざ「天台山」と名付けている▼血気盛んな武士同士の夜討ち朝駆けと新田義貞の鎌倉攻め、その後の天変地異などによって「鎌倉時代の建築物は一つとして残っていない」(河野眞知郎『中世都市鎌倉』講談社選書メチエ)。ちなみに寺社には「伝運慶」の仏像が多々あるが、真作と認められたものは横須賀など周辺にあるあるものばかりだ。もっとも構成資産には、4年前に運慶作と判明した大威徳明王のある金沢文庫の称名寺が含まれてはいるが▼小子は学生時代の6年間を場所だけは一等地の鎌倉で過ごし、寺巡りを趣味とする現在もしばしば訪れる第二の故郷である。それでも駅舎の「世界遺産をめざすまち」という看板を見るたびに「それは無理だろう」と独りごちている。現在の隆盛もまた近世中期以降の観光ブームによるものだが(加藤理『〈古都〉鎌倉案内』洋泉社)、世界遺産は「観光遺産」とイコールではない。

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