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2011年10月

2011年10月30日 (日)

12年度概算〈2〉 今度こそ「高校版就学援助」を

 2012年度文部科学省概算要求のうち、教職員定数改善に負けず劣らず実現すべきものがある。「高校生に対する給付型奨学金事業」、いわゆる高校版就学援助だ。

 高校版就学援助は、自公連立政権下の10年度概算要求で初めて計上された。直後の政権交代による組み換え概算要求では事業規模を縮小しながら、高校授業料無償化の財源確保を優先するためゼロ査定に。11年度も引き続き要求されながら、「政策コンテスト」でC判定(一定の評価はできるが、問題が大きい)を受け、やはり実現しなかった。「3度目の正直」にしなければならない。

 今回は、実現しなければならない決定的な理由がある。東日本大震災だ。被災により困窮した家庭は少なくない。将来的な復興のためにも人材育成が不可欠であり、経済的理由で進学や在学を断念する生徒が出てくるようなことがあってはならない。貸与制では、将来の返済に不安を感じて二の足を踏む恐れがある。大学等就学支援奨学金と併せて、是非とも実現する必要がある。 もし要求通りの計上が難しい場合でも、被災地に限定した人員だけは認めるべきである。

 そもそも今回の要求は、前年度に引き続き教科書等図書費相当額というささやかなものである。学用品費や修学旅行費など対象を広く取った前政権時はもとより、入学料を含めていた10年度概算より後退している。それでも、ないよりましである。せめてこれぐらいの要求は通してもらいたい。

 経済協力開発機構(OECD)の統計を見ても、日本は依然として教育への公財政支出が対国内総生産(GDP)比で最下位だ。経済が上向きだった時期には家庭も重い教育費負担に耐えられたが、今や格差社会の進行は隠し切れない。人材育成に対する国の投資が経済発展に直結する、という国際的な常識を今こそ思い起こすべきである。

 引用するまでもなく、周知の通り憲法26条は「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と規定している。その権利が保障されない事態が制定後65年を経た21世紀の現在に到来しつつあるというのは、恥ずべきことではないか。

 新自由主義を掲げる者も、競争のスタートラインにさえ立てない子どもたちがいる問題を直視すべきだろう。たとえ財政が苦しい時期であっても、与野党一致して実現に努力すべき事業である。

 家計負担が重い日本の教育費負担をどうすべきか。検討が進んでいる第2期教育振興基本計画の課題でもある。将来予測も含め、政府を挙げた対策が求められる。

過去記事:

http://ejwatanabe.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f230.html

http://ejwatanabe.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-37f3.html

 

関連配信記事:

来年こそできる?「高校版」就学援助

「高校版」就学援助、やはり実現せず!?

 

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2011年10月15日 (土)

教育基本条例案 教委制度を問う場は「地方」ではない

 「大阪維新の会」が提案している教育基本条例案について、先の社説では派生的な問題点を指摘するにとどめた。しかし同会を率いる橋下徹大阪府知事の求めに応じて府教育委員が対案を作成する姿勢を示したとあっては、本社としても正面から論じなければなるまい。

 個々の条文の問題点について、挙げればきりはない。しかし条例案の「キモ」は橋下知事自身が強調しているように、教育委員会制度を根底から覆すことだ。「民意」を反映させるという御旗の下、「政治の関与」によって教委を名実共に知事の下位に置くことを目指している。

 現行の教委制度が妥当かどうかは、さまざまな議論があろう。教育委員の任命制にしても、公選制の修正という歴史的経緯があってのことである。地方の立場として制度に根本的な疑問を呈することは、むしろ積極的にあっていい。

 しかし一地方議会の条例によって「覆す」ことができるかどうかは、別である。教委制度は、あくまで国の法律によって定められたものだ。その制度を改める場は国会であって、地方議会ではない。

 条例案は地方教育行政法の規定を根拠として、条例を定めれば政治が教育行政に「関与」できることが「明らかに予定されている」と主張する。しかし教育法令の第一人者である元文部官僚の菱村幸彦氏が指摘するように、条例は「法令に反しない限りにおいて」(地方自治法第14条)制定できるものだ(時事通信『内外教育』9月30日付)。条例案のキモ自体、無効になる恐れがある。

 「維新の会」が多数を占める府議会では条例案が成立する可能性が高いから、対案によって少しでも問題点を解消したいという気持ちは分からなくもない。知事から任命され、政治的中立を保たなければならない教育委員や、府政の一端を担う事務局職員の立場も理解できる。しかし、それこそ橋下知事や「維新の会」の思うツボだ。条例案の修正に手を貸すことは、違法な条例の成立に加担することになる。

 妥当性や影響力を無視して最も過激な方針を示し、反応を見ながら押したり引いたりするのは橋下知事の常とう手段である。そのようなケンカ政治に、まともに付き合う必要はない。

 府民にも冷静な対応を呼び掛けたい。橋下知事は公立学校や教育行政に対する不信感をあおるだけあおって、府民への共感と支持を訴えている。しかしそれは、自らの不信を「民意」に置き換えているだけだ。橋下知事を当選させたのが「民意」であることは確かだが、知事に全て白紙委任したわけではなかろう。間違っても、橋下知事の好き嫌いで決めてはいけない。

 公教育への不信感をテコに改革を迫る橋下知事の手法は、小泉構造改革路線や安倍教育再生路線と同じだ。しかし小泉・安倍改革で、いったい公教育がどう良くなったというのか。明らかにマイナスの方が大きかった、と断じざるを得ない。そのようにして進められる橋下教育改革が教育現場にどう作用するかは、言うまでもない。

 国が定めた制度を変えようとするなら、国政に打って出るのが筋だろう。それなのに、「大阪都構想」があるからといって大阪市長に「降りる」というのは、何とも解せない。万事がそのような橋下手法のおかしさに、府民も気付くべきだろう。

 

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2011年10月 3日 (月)

12年度概算〈1〉 定数改善に満額回答を

 文部科学省は2012年度概算要求に、小学校2年生の35人以下学級など7000人の教職員定数増を盛り込んだ。東日本大震災への対応分1000人を含め、最小限とも言うべき控えめな要求だ。復旧・復興予算確保のための絞り込みが必要なのは重々承知しているが、最終的には野田内閣の政治主導で満額回答を求めたい。

 全国連合小学校長会の抽出調査によると、これまでも半数以上の学校では低学年でクラス替えを行っていない。これには学年1クラスという小規模校なども含まれているが、複数ある場合でも低学年では安定した学級集団で学習・生活指導が行われることが望ましいからだ。もし小2が40人学級に据え置かれれば、都市部も含めてクラス替えを余儀なくされる学校が続出しよう。たとえ今後、小3以上を見送ったとしても小2だけは何としても実現しなければならない。

 震災対応以外の加配増2000人も不可欠だ。というのも前年度、小1の35人以下学級を実現するために少人数加配1700人分を振り替えていたからだ。既に1クラス35人を下回っていた学校にとってはメリットがないばかりか加配教員が取り上げられてしまい、各地で悲鳴が上がっている。積算根拠は別として、この分の回復は何としても実現しなければ全国的な指導充実は望めない。

 文科省の検討会議では中学校1年生の35人学級化にも強い要望が出されたが、報告書では小2を最優先する観点から「できるだけ速やかに」と指摘するにとどめた。目下の財政事情に遠慮してのことだ。加配要求のうち800人を中学校の指導充実に充てているのは、せめてもの代替措置だろう。 

 概算要求の直前にまとめた検討会議の報告書は、実によくできている。少人数学級の効果について、多角的なデータを踏まえているからだ。財政当局との折衝でも、エビデンスベース(証拠に基づいた)の論議が期待できよう。

 定数増7000人のうち1000人分は「復旧・復興対策」枠、6000人分は「日本再生重点化措置」枠での要望だ。最終的には内閣の政治判断に委ねられる。昨年末に小1プロブレム解消の必要性を認めたのは、他ならぬ当時の野田佳彦財務相である。

 それにつけても惜しまれるのは、前年度に立てた定数改善計画案の甘さである。自民党政権時代と差別化するため威勢よく「新」と銘打ったものの、初年度からつまずいた。少人数加配の削減も、文科省内にさえ「財務省の方が正しかった」という声がある。既に県単独の活用で35人以下学級を実現しているのに、なぜその分を振り替えてはいけないのかという「理論武装」ができていなかったのだ。中学校の35人学級化を14年度からとしていることも、現下の「中1ギャップ」解消の必要性に対する認識が不十分だったと言わざるを得ない。

 新・定数改善計画には、マニフェスト(政権公約)を振りかざして高校無償化を実現した勢いそのままに「行け行けドンドン」で進めようとした政治主導の悪弊が表れてしまったとも言えよう。昨年、本社が危惧した通りである。改めてエビデンスがそろった今、年次計画だけでも修正する必要がある。検討会議には今後とも前向きな論議を期待したい。

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