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2011年11月21日 (月)

【池上鐘音】「空白」の高校教育

▼オウム真理教事件で最後に死刑が確定した遠藤誠一被告が高校の先輩だったことは、数年前に知った。生年からすると被告の卒業と小子の入学には1年のブランクがあるが、在学中に過去の資料を読んだり話を聞いた限りでは同時代を生きたと言ってよい▼全国的に学生運動の余波も去り、「三無主義」が指摘されていた時期だった。とりわけ高等女学校を前身とする母校はライバル校と違い、制帽自由化でさっさと矛を収めていた。多くの生徒の関心事といえば、大学進学だけだった。同級生が入学直後、口々に「北大に行きたい。学部はどこでもいい」と言うのを聞いて、北大だけは決して行くまいと心に決めたものだ。もっとも卒業時には出願したとしても足切り必至の成績であったが▼そんな雰囲気の中で、生き方に悩む進学エリートが満たされない気持ちを強めていったとしても違和感はない。世代的にもそうだ。北海道高等学校「倫理」「現代社会」研究会が35年にわたって行っている意識調査を見ると、神や仏を「信じる」との回答は1975年に28%だったが、80年には45%に跳ね上がっている。遠藤被告はその間に高校生活を送った▼小子は高校で新聞局(北海道では部活でなく生徒会の外局が一般的)、大学で自治会という時代遅れの青春を送ったため、幸いにもカルトにはまる素養は持ち得なかった。それだけに塀の内外はどちらに転ぶかの差でしかないこともよく知っている。地下鉄サリン事件が起こったのは会社員時代だったが、卒業後間もなく出身大学にオウム系サークルがはびこったことは後で知った▼中教審では先ごろ、高校教育部会が発足した。高校教育を真正面に据えて議論するのは、ほぼ20年ぶりだ。この間、「政策的エアポケットだった」という研究者もいる。しかし義務教育と高等教育のはざまにあって、教育の内実が「空白」だったのはそれ以前から多くの高校に共通する事態ではなかったか▼進学実績の向上を第一の「成果目標」とする昨今の風潮が、そうした空白を助長するような気がしてならない。先の意識調査では2001年以降、神や仏を信じる率が微増傾向にある。信心が広がるのは歓迎すべきことだが、それには深い内省が不可欠だ。まさに「倫理」の出番なのだが。

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