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2012年4月

2012年4月14日 (土)

新教育課程 中学校でも「遅れ」に注意を

 中学校でも新教育課程が全面実施となった。新しい教科書が配られ、驚いたのは生徒より教員の方かもしれない。生徒は既に小学校で昨年度「厚くなった教科書」を経験済みなのに対して、多くの中学校教員にとっては初めてだからだ。

 中学校教科書のページ数は全教科平均で前年度に比べ26%増加しており、小学校の23%増をも上回っている。とりわけ理科は補助教材分が吸収されたとはいえ、45%増にもなる。数学も34%増だ。

 もちろん、学習内容が26%増えたということではない。全面実施に際して文部科学省が6日付で出した通知でも「時数の増加の程度ほどに指導内容は増加していない」と断言している。授業時数が増えたのは、知識・技能の習得だけでなく「活用」の学習活動を充実させるためでもある。教科書が厚くなったのは、その反映だ。

 ただ、そのことを軽視してはいけない。

 一足先に全面実施を迎えた小学校がいい例だ。ベネッセ教育研究開発センターの調査によると、昨年1学期の段階で国語で4割、理科で3割近い学校に授業進度の遅れがあった。主な理由は「学習内容や教科書の分量が多い」とともに「児童間の学力差が大きい」だった。にもかかわらず、遅れへの対応としては「全体的に授業の進度を速める」が両教科で約7割を占めた。とりわけ若手教員は単元に重点を置くことができず、進度を速めることに頼りがちになっている。

 初年度が終了した段階で、最終的にはつじつまが合ったことも考えられる。国語などでは新しい教材が取り入れられた教科書もあり、教材研究の時間が十分でなかったという事情もある。ただ試行錯誤の結果、児童にとって十分な理解に至らなかった可能性は大いにある。同センターのヒアリングによると、2学期以降も遅れが取り戻せなかった学校があったという。この点、17日に行われる全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果が注目される。

 小学校から得られる教訓は、2つある。一つは、同じように進度の遅れを生じさせないことだ。厚くなった教科書をページごと丁寧に扱おうとしては、とても時間が間に合わない。文科省も先の通知で「まとめ方などを工夫したり、内容の重要度や生徒の学習の実態に応じてその取扱いに軽重を加えたり」することを求めている。特に若手教員は軽重の付け方が分からないだろうから、教科・学年間で授業の進め方を念入りに調整・相談しておく必要がある。

 一段落ついたら今一度、言語活動も含めた授業の在り方について教科ないしは学校全体で校内研修を実施すべきだろう。こう言っては失礼だが、新指導要領に対応した授業改善に関しては中学校以上に熱心だった小学校でさえ、このような混乱ぶりである。本当に中学校は大丈夫なのか、改めて検証しなければなるまい。

 もう一つの教訓は、実はもっと深刻かもしれない。消化不良のまま小学校を卒業してくる生徒の学力向上に、今から備えなければならないことだ。

 小学校での進度の遅れは、必ずしも初年度の特殊事情とは限らない。小学校では2学年持ち上がりであることが多く、一つ上の学年でも教員にとっては依然「新しい教科書」であるため、混乱は今年度にも引き継がれる。ヒアリングでも「担任が一通りの学年を経験し終わるまで落ち着かないかもしれない」との声があったという。また、社会での遅れが生じているは全体の2割だが、3校に1校では5年生に遅れがみられた。同センターでは歴史分野が6年生にずれ込むことで、公民分野にしわ寄せが来ることに懸念を示していた。社会に限った話ではないことは、言うまでもない。

 新指導要領は学習内容の着実な定着を目指すため、前の学年や学校の内容を「スパイラル(反復)」で学習させることも求めている。しかし早過ぎる授業で定着が不十分なまま中学校に入った生徒に、さらに早過ぎる授業を課しては「落ちこぼれ」をますます増やすだけだ。いわゆる「ゆとり教育」の見直しで小学校卒業生の学力は向上するだろうと高をくくっていては、大変なことになる。 

 こうした混乱は、必ずしも教員や学校のせいばかりとは言えないだろう。これも後で論じよう。ただ、愚痴を言っても授業は待ってくれない。健康に留意しつつも、何とか可能な限り理想的な授業を追求していただきたい。

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2012年4月 7日 (土)

日本の教育、やはり「間違っていなかった」

 本社は先ごろ、ベネッセ教育情報サイトに「日本の学校教育は間違っていなかった!?」を配信した。MSN産経ニュースなどにも同時配信されているから、ご覧になった方も多いだろう。これに対する反応は、賛否相半ばといったところだろうか。いちいちツイッターにかみつくのはマスコミ人の端くれとしてはしたないが、「信じられない」は仕方ないにしても「都合のよい解釈」「詭弁だ」といった反応は残念と言わざるを得ない。「ゆとり教育」「脱ゆとり」政策が存在したと信じて疑わない人にはいくら説明しても分かってもらえないと思うが、新年度を迎えて本社は大いに「日本の学校教育は間違っていなかった」と主張したい。

 先の記事で根拠としたPISA(経済協力開発機構=OECD=の「生徒の学習到達度調査」)は、まさに各国の教育政策をエビデンス(証拠)ベースで検証するための基礎資料だ。もちろんOECDは経済発展に資するための教育を追求しているのだし、主な調査対象として日本政府=文部科学省を相手にしている、という制約はあろう。しかし、その分析には日本の教育の「強み」や「弱み」が客観的に表わされていると見ていい。少なくとも「ゆとり世代はダメだ」といったような印象論より、はるかに信頼できる。

 厚い本だが、『PISAから見る、できる国・頑張る国2―未来志向の教育を目指す:日本』(明石書店刊)をぜひ一読いただきたい。そこでは文科省の「生きる力」を、OECD=PISAが重視するキー・コンピテンシーなどと軌を一にするものとして肯定的に記述している。「ゆとり教育」についても「教育の質がこの時期に低下したという主張とは裏腹に、PISA2009年調査の結果にはそうした低下の証拠が認められない」とさえ断言している。

 こうした指摘には、必ず「塾通いによって学力が向上した結果だ」という反論が返ってこよう。しかし塾通いの過熱化は「ゆとり」学習指導要領が本格実施となる2002年度以前に始まっていたのだから、塾が学力を押し上げたとするならPISA2003や2006の「成績」も上がっていたはずだ。それなのに見掛け上の国際順位が下がったことをもって短絡的に「ゆとり教育」による「学力低下」が裏付けられたと主張するのは、矛盾してはいまいか。

 もっと言えば、第1回のPISA2000で日本は数学的リテラシーで国際順位が1位、科学的リテラシーで2位だったのは、1989年告示の「新学力観」指導要領の成果ではないか。「ゆとり教育」の起源を1977~78年告示の「ゆとりと充実」指導要領にまでさかのぼらせる議論も見受けられるし、今回の改訂でも是正のターゲットとなったのはむしろ新学力観だったのだが、PISAで測定される「学力」に限っては必ずしも指導要領のせいで「低下」したとは決して言えない。

 世間とは裏腹に、PISAから得られた日本の課題については文科省の方が「正確」に把握していたと言っていい。その代表例がPISA2003の結果を受けて言語力育成に力を入れたことで、07年度から全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)に「活用」のB問題を入れたのも、今回の新指導要領に「言語活動の充実」を盛り込んだのも、その一環だ。そうした努力はPISA2009の結果に表れ始めていると言ってよかろう。

 ここで改めて注意しておきたい。PISAが測定しようとしているのは学校教育の国際ランキングなどではなく「社会に出て役立つ力」であり、「これからの社会に必要とされる力」だ。そして各国はPISAの結果を参考にして自国の教育政策を見直さなければ、今後の変化する国際社会に対応していけないだろう。

 新指導要領にまったく問題がないわけではない。それは後の社説で展開しよう。しかし、あるべき教育の基本線を、文科省が外しているとは思えない。だからこそOECDは日本を「未来志向の教育を目指す」国だと評したのだ。

 問題はむしろOECDが指摘するように、日本の教育に格差が拡大していることだ。これにはPISAの対象である15歳が日本では学校間格差の大きい高校生であるという特性も影響しているのだが、シュライヒャー教育局次長が3月に行った「東京政策フォーラム」で自治体間格差の拡大に懸念を示したことに、もっと注目していいだろう。「上海に学べ」というのも、そうした文脈でのことである。

 だから公立学校はダメだ、塾に通わせなければならない、私学の方がまともな教育をしている……という短絡的な発想では、問題の本質を見失う。何より「ゆとり教育批判」は、根拠なき公立学校不信を増幅させた。それにより公立学校の教育が困難さを増しただけでなく、私立学校でも過剰な「教育サービス」要求が強まったことも、弊害の一端と言えよう。

 いま第一に考えるべきことは、未来につながる学力格差を解消し、全体の底上げを図ることだ。教育条件整備も急務だが、教室レベルでの具体的な実践が欠かせない。そのためにこそ指導要領が改訂されたのだ、と学校現場は受け止めるべきだろう。

 いま進めている教育の基本線に、確信を持とう。細かな問題点は、実践で乗り越えよう。どうしても乗り越えられない壁が出てきた時には、堂々と改善を主張しよう。場合によっては「裁量」を使ったっていい。ただそれは、決して旧来型の学力のためであってはならない。あくまで「未来志向」の教育のために、である。そうした教育を担う専門職としての教員の責任は重いし、だからこそ本社は今後も学校現場にエールを送りたい。

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