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2012年6月

2012年6月 8日 (金)

大学改革実行プラン 「衝撃」は軽視できない

 平野博文文部科学相が4日の国家戦略会議に「社会の期待に応える教育改革の推進」の方針を提示し、翌5日には高井美穂副大臣らが「大学改革実行プラン」として詳細を発表した。事前の報道でも高校2年卒業や国立大学の「集約」案が大きく取り上げられたが、正式公表後は内閣改造や元オウム信者逮捕などの重大ニュースに隠れて一般には十分着目されなかったように思う。しかし、プランの「衝撃」は想像以上に大きい。

 衝撃にカギカッコを付けたのは、さまざまな意味合いがあるからだ。まず、教育関係者への衝撃である。内容もさることながら、何より中央教育審議会で第2期教育振興基本計画に向けたさまざまな改革が議論されているさなかの突然の提案だった。7日に行われた中教審大学教育部会では当然、委員から「我々が一度も議論しないうちに決まったのか」と非難の声が相次ぎ、文科省事務当局は「プレゼン用なので表現は適切さを欠いたかも」「検討したい・すべきだということを書かせてもらった」など弁明に追われた。

 同プランは、副大臣(発足当時は森ゆうこ氏)の下に置かれた「大学改革タスクフォース(TF)」で、省内関係者により検討された。昨年11月の政策提言仕分けや年末の財務省との折衝で大学改革が論議になったことを受けたもので、今年4月には戦略会議民間議員から提言があり、野田首相からも「宿題」が出されている。今回のプランはその答えとして急きょまとめられた。だから同省の「方針」として必ずしもオーソライズされたものではない。今後、個別の案件が中教審や協力者会議などに諮られていくことになる。

 民主党政権下の教育政策は、自民党時代とは比べものにならないくらい政治主導で行われている。それは世間で言われるような日教組主導などという単純なものでは決してないものの、政務三役の発言力が格段に高まったことは確かだ。もちろん事務当局との協調と緊張の関係の中で進められていることだし、プランの端々には慎重な事務当局を押し切った政務三役の意向が行間ににじみ出ている。

 ただ以前なら鈴木寛副大臣(当時)の頭の中にとどまっていたようなものが、政権のグランドデザイン(全体構想)として明文化された意義は大きい。それも一つの衝撃である。

 それよりも大きい衝撃は、同プランが決して空理空論から出されたものではなく、現状に対する危機感から構想されていることだ。「大学入試の改革」がいい例だろう。1点刻みではないセンター試験の資格試験的活用だの「クリティカル・シンキング」の共通テストだの、事情を知らない人にとっては何をばかなことをと思うかもしれないが、実は前から論議のあったことだし、本社説や本社配信記事を読んでくれるような好事家なら喫緊の課題でさえあることが理解いただけよう。 

 先の中教審部会でも、異論を唱える委員からさえ「よくできている」との評が漏れた。本社も同感である。新規の国家戦略を打ち出したい内閣、財政削減をしたい財務省、統廃合を含めた大胆な大学改革を求めたい戦略会議民間議員などとの緊張関係にあって、政務三役と事務当局が総力を挙げた解答試案としては、たとえ生煮えであっても十分たたき台として通用しよう。

 もちろん、細部には異論や疑問がある。高校早期卒業制度は高校教育とは何かの根本理念を揺るがすものであり、中退扱いとなる飛び入学制度とは決定的に違う。これについては別途論じたい。高校類型化への疑問は、既に論じた通りである。大学の入学・卒業時期の弾力化も、各大学の判断と責任で行えば済む話ではないかと思わなくもない。

 それでも「スピード感を持って」(TF説明資料)検討と提言が行われたことの衝撃を過小評価してはならない。大げさに言えば、文教行政史上の転換点になるかもしれない。中教審などで個別の検討が始まれば、仮に次の政権交代があったとしても審議課題としては残ることになる。何よりそれらが、いかなる政権であっても解決すべき課題であることを否定すべきではない。政権末期のたわ言と軽視せず、大いに着目して国民的議論に付すべきだ。 それだけの「衝撃」的な提言である。

 

【過去の社説】

「終焉」した大学入試に対応が急務だ

大学入試の抜本改革はセンター試験の廃止から

高大接続テスト 先送りでも済まない「全入時代」の入学者選抜

【関連本社配信記事】

入試に依存した高校教育は衰退する―「高大接続テスト」提唱者・佐々木隆生氏に聞く―

いずれはセンター試験の存廃も課題に!?

1点刻みの「入試」は不要に? 全入時代の大学入学

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2012年6月 3日 (日)

高校教育〈1〉 文科省の「質保証」方針に疑問を呈す

 中央教育審議会初等中等教育分科会の高等学校教育部会で、課題整理の論議が大詰めを迎えている。しかし、事務局である文部科学省の誘導の仕方には疑問を抱かざるを得ない。あまりにも高校の類型化と質保証にこだわりすぎているのだ。

 文科省の布村幸彦・初等中等教育局長は5月に開かれた全国高等学校長協会(全高長)の総会・研究協議会で行った講話で同部会の論議について、大学進学者の多い高校、職業系高校、課題の多い高校など幾つかの機能別グループに類型化し、それぞれ質保証を考えていくことが「大きな流れになっている」と説明した。

 待ってほしい。確かにこれまでの論議では、質保証の必要性自体に対して大きな異論は出なかったように思う。しかし類型化については、4月に開かれた第7回部会で委員から違和感が示されたはずだ。にもかかわらず5月の第8回部会でも事務局は「類型の例」を「例」に変えただけで例示内容は変えず、むしろ類型化の必要性を補強するような案を出してきた。委員から改めて異論が出されたのも当然だろう。

 その上で、先のような説明である。文科省はひたすら類型化による質保証を既定路線化しようとしているとしか見えない。

 確かに高校の状況を見れば、ある程度の類型化は可能なようにも思える。しかし、それはあくまで現象面であって、ひとたび類型化と具体的な質保証の仕組みが導入されれば、現状の高校間格差を固定化する役割しか果たさないだろう。たとえ「各学校を序列化したり、国が各学校の役割・機能を決定したりすることのないように留意すべき」(第8回部会提出「課題の整理と検討の視点」案)と提言したところで、何の効力もない。

 課題整理案では例として「社会経済活動の基盤を担う人材に必要な資質・能力の育成を目指す学校」や「社会におけるリーダー層やグローバル社会において国際的に活躍できる人材に必要な資質・能力の育成を目指す学校」といった類型も挙げている。国としてそうした人材の育成が必要だと考えることまで否定はしない。しかし、それを高校の「類型」と認めることは容認できない。現実には「社会のリーダー育成」を口実に有名大学の合格実績を上げることに躍起になっている進学校の多くに、お墨付きを与えるだけだ。それで本当に大学に入ってから伸びるリーダー層が育てられるのか、逆に疑問である。

 そもそも類型化=機能別分化や質保証というのは、大学改革論議の発想である。それを学校評価=大学評価の時と同様、そのまま高校に持ってくるのは安直過ぎはしまいか。大学は進学率が50%を超えるユニバーサル段階に達し、実質的な全入時代に突入する一方で、国境を越えた教育・研究の流動化とそれに伴う国際通用性の要請や国際間競争の激化から、機能別分化や質保証が喫緊の課題になっている。しかし高校は既に進学率が98%に達しており、この20年間は文科省も認めるように多様化路線をひた走ってきた。今さら質保証と言われても、ピンと来ない。

 昨年10月の全国普通科高等学校長会(全普高)の総会・研究協議会で行われたシンポジウムで文科省の前川喜平・官房総括審議官(当時、現官房長)は私見としながらも、高校では質の「保証」よりも「保障」を重視すべきだとの考えを示した。本社も大いに賛同する。前川氏も引用したように、小・中学校のみならず準義務教育化した高校でも教育を「保障=侵されたり損なわれたりしないように守ること」(広辞苑)が先決だろう。 

 もちろん本社も、高校が今のままでいいとは思っていない。高校部会の出発点だった、授業料無償化時代における高校教育はどうあるべきか。今後、シリーズで論じていきたい。

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