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2012年6月 3日 (日)

高校教育〈1〉 文科省の「質保証」方針に疑問を呈す

 中央教育審議会初等中等教育分科会の高等学校教育部会で、課題整理の論議が大詰めを迎えている。しかし、事務局である文部科学省の誘導の仕方には疑問を抱かざるを得ない。あまりにも高校の類型化と質保証にこだわりすぎているのだ。

 文科省の布村幸彦・初等中等教育局長は5月に開かれた全国高等学校長協会(全高長)の総会・研究協議会で行った講話で同部会の論議について、大学進学者の多い高校、職業系高校、課題の多い高校など幾つかの機能別グループに類型化し、それぞれ質保証を考えていくことが「大きな流れになっている」と説明した。

 待ってほしい。確かにこれまでの論議では、質保証の必要性自体に対して大きな異論は出なかったように思う。しかし類型化については、4月に開かれた第7回部会で委員から違和感が示されたはずだ。にもかかわらず5月の第8回部会でも事務局は「類型の例」を「例」に変えただけで例示内容は変えず、むしろ類型化の必要性を補強するような案を出してきた。委員から改めて異論が出されたのも当然だろう。

 その上で、先のような説明である。文科省はひたすら類型化による質保証を既定路線化しようとしているとしか見えない。

 確かに高校の状況を見れば、ある程度の類型化は可能なようにも思える。しかし、それはあくまで現象面であって、ひとたび類型化と具体的な質保証の仕組みが導入されれば、現状の高校間格差を固定化する役割しか果たさないだろう。たとえ「各学校を序列化したり、国が各学校の役割・機能を決定したりすることのないように留意すべき」(第8回部会提出「課題の整理と検討の視点」案)と提言したところで、何の効力もない。

 課題整理案では例として「社会経済活動の基盤を担う人材に必要な資質・能力の育成を目指す学校」や「社会におけるリーダー層やグローバル社会において国際的に活躍できる人材に必要な資質・能力の育成を目指す学校」といった類型も挙げている。国としてそうした人材の育成が必要だと考えることまで否定はしない。しかし、それを高校の「類型」と認めることは容認できない。現実には「社会のリーダー育成」を口実に有名大学の合格実績を上げることに躍起になっている進学校の多くに、お墨付きを与えるだけだ。それで本当に大学に入ってから伸びるリーダー層が育てられるのか、逆に疑問である。

 そもそも類型化=機能別分化や質保証というのは、大学改革論議の発想である。それを学校評価=大学評価の時と同様、そのまま高校に持ってくるのは安直過ぎはしまいか。大学は進学率が50%を超えるユニバーサル段階に達し、実質的な全入時代に突入する一方で、国境を越えた教育・研究の流動化とそれに伴う国際通用性の要請や国際間競争の激化から、機能別分化や質保証が喫緊の課題になっている。しかし高校は既に進学率が98%に達しており、この20年間は文科省も認めるように多様化路線をひた走ってきた。今さら質保証と言われても、ピンと来ない。

 昨年10月の全国普通科高等学校長会(全普高)の総会・研究協議会で行われたシンポジウムで文科省の前川喜平・官房総括審議官(当時、現官房長)は私見としながらも、高校では質の「保証」よりも「保障」を重視すべきだとの考えを示した。本社も大いに賛同する。前川氏も引用したように、小・中学校のみならず準義務教育化した高校でも教育を「保障=侵されたり損なわれたりしないように守ること」(広辞苑)が先決だろう。 

 もちろん本社も、高校が今のままでいいとは思っていない。高校部会の出発点だった、授業料無償化時代における高校教育はどうあるべきか。今後、シリーズで論じていきたい。

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