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2012年7月

2012年7月28日 (土)

【池上鐘音】「英国」の五輪

▼批評家・翻訳家の茂木健氏によると、18世紀中ごろから19世紀の終わりにかけてイングランド農村部では伝統歌(民謡)が盛んに収集、改作された。工業化で疲弊した国民の統合シンボルとして担ぎ出されたもので、第2次世界大戦でも戦時歌謡として利用されたという(『バラッドの世界』春秋社)▼そんな「英国の伝統的な田園風景」がロンドン五輪の開会式会場に再現された。映画『スラムドッグ$ミリオネア』でヒンズーの現実を鋭くえぐったダニー・ボイル監督でさえ「メリー(楽しき)・イングランド」から歴史を語り始めなければならないところに「英国」らしさが表れている、と言ったら皮肉に過ぎようか▼英国はイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4地域で構成される「連合王国」であるが、イングランドが他の地域を併合したというのが実態だ。52年ぶりに参加した男子サッカーの英国統一チームにしても4協会の足並みがそろわず、スコットランドと北アイルランドからは代表入りしなかったというのも当然とさえ思える▼英国を“England”と訳してしまいがちな日本人にとっては、理解しにくいところだろう。学校評価や全国学力テストなど日本が2000年前後から教育改革のモデルとしてきた「英国」の学校監査制度にしてもイングランドやウェールズの話であり、スコットランドや北アイルランドにそんなものはない▼政治的な主張は本社の意図するところではないが、バラッド(「バラード」ではありません)とシングルモルトをこよなく愛する小子は心情的にスコットランド独立派を支持している。もっとも茂木氏によれば「ボニー(美しき)・ブリンス・チャーリー」(チャールズ・エドワード・スチュアート、1720-88)は歌われているほど有能ではなかったそうなので、王党派には賛同できないが。

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2012年7月20日 (金)

【社告】

 本日夕方、某民放キー局のニュース番組に本社論説委員のコメントが使われるとの噂があります。たまたまご覧になった方は、笑って無視していただければ幸いです。

【事後報告】フジテレビ『FNNスーパーニュース』早期卒業制度VTR出演

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2012年7月 8日 (日)

高校教育〈2〉 早期卒業制度は相当の「覚悟」が要る

 平野博文文部科学相が6月4日の国家戦略会議に提出した教育改革方針をめぐっては、高校の「早期卒業制度」創設案が事前に報道されるなど注目を集めている。その後に行われた中央教育審議会の高校教育部会では論点例も示された。しかし、導入にはさまざまな問題がある。

 もっとも、早期卒業の対象をどのレベルに設定するかによって話は変わってくる。現行では高校中退扱いとなっている「飛び入学」者に卒業資格を与えるというだけなら、あくまでレアケースにとどまろう。しかし国家戦略会議の直前にまとめられた「グローバル人材育成戦略」では海外留学の促進とともに「国際的に誇れる大学教育システムの確立」として提言され、平野方針ではカッコ書きとして「大学への早期入学促進」とある。海外では飛び級が当たり前なのだから、「国際標準」に合わせようという発想は分からなくもない。国際競争に耐えうる人材育成強化のため早期にエリートを選抜したいという考えも、成り立つことは成り立つ。

 ただその場合、2年ないし2年半で卒業できる「高校教育」とは一体何なのか、その存在意義が問われよう。現在は学校教育法および高校学習指導要領で定める目的や目標を実現するためには、3年間が必要だという建前がある。「国家及び社会の形成者として必要な資質」(学教法51条)には知的学力だけではなく、生活面や道徳面の指導も国民から期待されているのが諸外国との違いである。だからこそ高校部会では、「社会で生きていくために必要となる能力を共通して身に付けさせることのできる最後の教育機関」としての「コア」(課題の整理と検討の視点=案)を論議しようとしているのだろう。単に教科の成績だけで早期卒業を認めればいいという単純な話ではない。

 もっとも、技術的には不可能ではなかろう。中等教育学校であれば5年間のうちに高校分74単位まで修得させることはできようし、高校でも定通併修を全日制にも拡大するなどして、いずれも修業年限の規定だけ変えれば後は校長の権限で卒業認定をすればいいだけだ。

 しかし仮に国家戦略会議が高校早期卒業=大学早期入学を広く取ろうとするなら、事情は違ってくる。規制が緩和されれば、人はやすきに就くのが常だ。高校はさっさと終わらせて、受験に励みたいと思うのが人情であろう。高校生活が浮足立つのは必定だ。その結果、進学校ほど新たな生徒指導上の課題が生じるおそれも出てこよう。

 受け入れる大学側の責任も問われる。単に優秀な学生が早期に確保できると手放しで喜べまい。現行入試制度の下でさえ、受験偏重のため論理的思考力に欠ける学生が増えているとの嘆きがあちこちで聞かれる。平野方針および「大学改革実行プラン」で示された大学入試改革をセットにする必要があるし、入学後も場合によっては早期入学者に特化した初年次教育が求められよう。

 もちろん、そうでない割り切り方もある。制度は弾力化して、後は生徒や学生の選択に任せるという考え方である。たとえ高校生活が十分でなくとも、そしてその結果として大学で落ちこぼれたとしても、あくまで自己責任だ。機会の提供と結果の保障は別問題である――。ただそうなると、大学における不適応や中退の問題が今以上に深刻化する可能性がある、と言ったら心配のし過ぎであろうか。

 一方で中教審では大学や高校の質保証が論議されており、今後は教育も相当変わることが要請される。早期卒業・入学がさらなる教育コストを増大させることは容易に想像できよう。

 このように導入には、高校、大学、生徒・学生、行政、そして社会にも相当な「覚悟」が迫られる。それだけのリスクを負ってもなお日本の成長のために「国家戦略」として必要だという判断をするのなら、必ずしも反対はしない。ただ、それには「高校教育とは何か、何をするところか」の国民的論議と合意が不可欠だし、問題防止のための手厚い措置も講じなければならない。何より問題が起こったとしても、自らの選択の結果として引き受けるべきだろう。決して安易に考えられるものではない。

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【おことわり】記事中「定通併修制度を全日制にも拡大して」を「定通併修を全日制にも拡大するなどして」に修正しました。(7/11)

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2012年7月 1日 (日)

平野方針 初中教育の微修正は当然だ

 平野博文文部科学相が6月の国家戦略会議に示した教育改革方針が、早くも修正を余儀なくされている――。 といっても「大学改革実行プラン」ではなく、初等中等教育に関連してのことである。いずれも同会議の民間議員提案に対する言い訳のような提言だし、盛り込むこと自体に無理があった。「日本再生戦略」では微修正を望みたい。

 6月18日に開かれた中央教育審議会の高校教育部会に示された「課題の整理と検討の視点(案)」では、高校の「類型」化があっさり撤回された。例示としては残したものの、学校自体をその目標に特化するのではなく、各学校が決める人材像の要素という位置付けである。

 高校類型化については、先の社説で疑問を呈しておいた。しかし平野方針では「「高等学校の類型を念頭に置いた教育の改善・充実」と明記。文部科学省は類型化にひた走っているかのような印象を高校教育界に与えた。

 2週間で事実上の撤回となったのでは、結果的に戦略会議に対する方便だったと思われても仕方がない。ただ、元々が同部会委員から反発の大きかった提案である。撤回は当然だろう。

 もう一つの修正点は、「小中一貫教育制度(仮称)」だ。もっとも、こちらは何を持って修正と呼ぶかは評価が分かれるかもしれない。

 25日の中教審「学校段階館の連携・接続等に関する作業部会」では、小中一貫教育を実施する学校には設置者の判断で学校設定教科の開設など教育課程の基準の特例を認める一方で、「義務教育学校制度(仮称)」の創設は現段階で見送る意見整理案が示された。

 同作業部会のヒアリングでは東京都品川区などから義務教育学校制度の創設を求める意見が出された一方で、同じく小中一貫教育を実施する自治体の委員には「現行制度の下でも改革はできる」との主張が根強かった。中には「議論があったのか」(25日)という委員も少なくないようだが、会合の流れからいって見送りの整理案が出てきてもおかしくはない。

 教育課程の特例を設置者の判断に委ねるのだから、これは初中教育にとって相当に大きな改革だと言っていい。だからこれを「制度」の創設とも「六三三制の柔軟化」とも呼べよう。

 ただし小中一貫教育制度を、初中教育から高等教育までの一貫した流れに置いたままだったとしたら事情が違ってくる。「中高一貫教育の推進」や高校「早期卒業制度」創設の提言と併せれば、必然的に学年主義の弾力化まで導き出されるところであった。もっとも、あっさり義務教育学校制度の提案が見送られたところからすれば、やはりこれも方便の一種だったかと納得できる。

 一方、高校早期卒業制度は高校部会の検討課題に残された。18日には詳細な論点例も示されたところである。これについては別途論じたいが、本社は慎重な検討を求めたい。再生戦略でも平野方針通り「検討」にとどめるのが適当だ。

 ただ、たとえ微修正であっても、それに代わる「社会構造の変化に対応するための初等中等教育システム改革」には何が必要か、改めて問われる必要が出てこよう。それは決して「真のリーダー」育成(4月9日の国家戦略会議民間議員ペーパー)ではなく、「「分厚い中間層」復活(平野方針)のためである。とりわけ初中教育では質の「保証」より「保障」が日本再生にとっても今まで以上に重要であることを、重ねて強調しておきたい。 

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