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2012年8月13日 (月)

全国学テ 市民性育てる理科教育を

 全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で初めて実施された理科の結果が発表された。国語や算数・数学と同様、活用の力に課題が多く見られたほか、理科好きや「理科の授業の内容はよく分かる」との回答が中学校で減少するなどの実態も改めて浮き彫りになっている。しかし、これらを「理科離れ」の一言で片付ける風潮には違和感がある。

 「理科の授業で学習したことは将来社会に出たときに役に立つ」と回答した割合は、小学生で73%、中学生では53%に落ち込み、いずれも国語や算数・数学より低い。だからこそ新学習指導要領では実社会や実生活との関連付けが重視されている。

 ただ、これは「理科のための理科」ではない。近年の日本の教育に大きな影響を与えているPISA(経済協力開発機構=OECD=の「生徒の学習到達度調査」)にしても、社会に出て役立つ能力を重視して「科学的リテラシー(活用能力)」の測定を行おうとしている。

 社会と科学の関係を深刻に考えさせたのが、東京電力福島第一原子力発電の事故だ。放射線量の安全性はもとより、がれき処理の拒否や避難者に対する偏見などの問題も引き起こした。何より原発の行く末について国論はいまだ定まらない。

 誰しもが放射能に関する科学的知識を完璧に持っておく、などということは現実的に無理だろう。しかし事故が発生したとき、たとえ知識ゼロからでも報道などから安全性の判断に必要な情報を取り出し、その放射線量で安全なのかを一人ひとり判断することが迫られた事態であったと言えまいか。さらに今後の原発をどうするかは、市民としての意思決定に委ねられている。 

 急務なのは、そうした市民の判断を支える科学的な見方や考え方だ。その基礎を培うのが理科教育であり、もっと言えば学校教育全体の目標でもあろう。思考力・判断力とともに表現力が重視されているのも、意思決定のための議論には不可欠である。

 学テでの理科の出題は初めてであり、問題文自体が妥当かどうか、児童・生徒の理解の実態を正確に測定できているのか、異論もあるだろう。ただ全体的な傾向として活用の力が弱いことは認めてよい。

 今回の結果は、小学校が本格実施1年、中学校はまだ先行実施の段階を測定したものである。新指導要領の成果をみるには、3年後に予定される再出題を待たねばならない。ただ、改善すべき課題が多くあることは確かだ。

 当面は学校現場の努力と奮闘に期待するしかないが、国や都道府県などの手厚い条件整備や支援も不可欠だ。担当教員が効果的な指導を十分行えるような環境を、具体的に整えることが求められる。精神論だけで学力が向上するわけはない。

 もっと言えば、指導要領自体も妥当かどうか本格的に検証すべきだ。今回の改訂では学力低下批判を受けて削減した内容を一部復活させるとともに標準授業時数を増やしたが、活用の力を育成する学習も含めてのことである。そもそも実施に無理はないのか。無理があるならば、何を精選すべきなのか。内容の足し引きだけでない、教科再編も含めた本格的な検討を早急に始めなければ10年後の改訂に間に合わないだろう。

 いずれにしても最優先されるべきは、科学的に思考・判断・表現し意思決定のできる市民の育成だ。教科や学問の論理ばかりが先に立ち、専門的知識の中でしか思考できない専門家と科学的判断のできない市民を育てる教育からは、一刻も早く脱しなければならない。

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