いじめ「対策」はいじめ以外で
奇をてらったような見出しで恐縮だが、いたって本気である。もちろん起こってしまったいじめや、起こりつつあるいじめは早期発見、早期対応が不可欠なのは言うまでもない。しかし、それでは「これから起こる」いじめに対応できない。
今月4日、国立教育政策研究所が教育研究公開シンポジウムを開催した。タイトルは「いじめについて、わかっていること、できること」。滋賀県大津市などの事件が契機とはいえ、いじめが社会問題化して約30年がたち、研究や経験の蓄積がなされてきたはずにもかかわらず「知識や知見が消えてしまい、混乱している」(滝充・総括研究官)ことへの危機感が強くにじみ出ていた。
文部科学省は、学校がアンケート調査や個別面談などを定期的に行うことで、いじめの実態把握に努めるよう求めている。これに関して滝研究官は「アンケートでいじめを早期に発見したり、予見したりする必要はない」とさえ言い切った。早期発見・早期対応よりも、未然防止のために活用すべきだという。
いじめが単に「いじめっ子・いじめられっ子」という常に固定化した関係の中で行われるのではなく、「加害者」と「被害者」が簡単に入れ替わり、かつ周囲の「観衆」や「傍観者」も関わった4層構造の中で起こることが明らかになっている。 「深刻ないじめは、どの学校にも、どのクラスにも、どの子にも起こりうる」という文部大臣名の緊急アピールが出されてからも、15年以上がたつ。しかし依然としていじめが起こってはならないことだという捉え方から、世間はもとより教育関係者ですら抜け切っていない。
滝研究官によると、いじめが社会問題化するのは今回が4回目である。そのつど報告件数が増え、その後は急速に減る「沈静化」を見せてきた。しかし、報告された発生件数が実態を正確に示しているとは限らない。発生件数もいじめ自殺の件数も、常に変わらなかったというのが滝研究官の見方だ。単に注目されるか、社会問題化されるかの違いである。22日に発表された文科省の緊急調査でも半年で14万4千件という結果が出たが、数字そのものに意味はない。教師が見過ごしている間に、いじめが爆発的に増えたわけではないのだ。
シンポでも滝研究官は、いじめには「ストレス」「ストレッサー」「価値観」「社会的支援」という複雑な要因が絡み合っていることを説明していた。その上で子どもに自己有用感を持たせるとともに、「居場所づくり」「絆づくり」を行うことが未然防止につながると訴えた。考えてみれば、そうした未然防止策はいじめ「対策」に限らない。
授業を成立させるためには、安定したクラスの存在が前提である。学習意欲を持たせるためにも自己有用感、自己肯定感が必要だ。ましてや「活用」の授業を展開し、思考力・判断力・表現力を育むためには話し合いや発表といった学習活動を多く採りいれなければならない。知識・理解の習得にしても、習熟度別学習より「学び合い」が有効だという実践も多い。「居場所づくり」「絆づくり」は、学力向上にとっても不可欠なのだ。
学校は、教育活動全体で子どもを育てるところである。その原点に立ち返り、常にそれを大事にすべきではないか。「これは学力向上対策、これはいじめ対策、これは○○教育」というふうに求められるまま細分化していては多忙化が進むばかりではなく、かえって機能不全に陥って個々の課題にも対応できなくなる。
重要なのは、トータルで子どもの成長を促す体制を学校で構築することだ。行政にはそのための人事面・予算面・指導面での支援が、家庭や地域社会には学校との連携や応援が求められる。学校の尻を叩き、対応不足を責め立てたところで問題の解決にならないばかりか逆効果を生みかねないことを認識すべきだろう。
学校側にも「対策」に追われて思考停止したり、被害者意識を持ったりする傾向はないだろうか。今こそ専門性を発揮して、学力も人間性も伸ばすような教育活動、授業づくり・集団づくりの実践研究を深めるべきである。そのために足りないこと、改善してもらわなければならないことは、行政や社会に向かって果敢に訴えていい。
いつまでも誰かの責任にしていては深刻ないじめを防ぐことはできないし、「第5の社会問題化」を食い止めることはできない。ましてや精神論的な法律や条例をいくら作ったところで、何の足しにもなるまい。社会を挙げての冷静な対応が必要だ。
【参考=本社配信記事】
「未然防止こそ重要―国研がいじめに関する公開シンポ」内外教育2012年11月16日付
「いじめ対策、本当に必要なのは『未然防止』 」ベネッセ教育情報サイト・教育動向2012/11/22
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