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2012年11月

2012年11月23日 (金)

いじめ「対策」はいじめ以外で

 奇をてらったような見出しで恐縮だが、いたって本気である。もちろん起こってしまったいじめや、起こりつつあるいじめは早期発見、早期対応が不可欠なのは言うまでもない。しかし、それでは「これから起こる」いじめに対応できない。

 今月4日、国立教育政策研究所が教育研究公開シンポジウムを開催した。タイトルは「いじめについて、わかっていること、できること」。滋賀県大津市などの事件が契機とはいえ、いじめが社会問題化して約30年がたち、研究や経験の蓄積がなされてきたはずにもかかわらず「知識や知見が消えてしまい、混乱している」(滝充・総括研究官)ことへの危機感が強くにじみ出ていた。

 文部科学省は、学校がアンケート調査や個別面談などを定期的に行うことで、いじめの実態把握に努めるよう求めている。これに関して滝研究官は「アンケートでいじめを早期に発見したり、予見したりする必要はない」とさえ言い切った。早期発見・早期対応よりも、未然防止のために活用すべきだという。

 いじめが単に「いじめっ子・いじめられっ子」という常に固定化した関係の中で行われるのではなく、「加害者」と「被害者」が簡単に入れ替わり、かつ周囲の「観衆」や「傍観者」も関わった4層構造の中で起こることが明らかになっている。 「深刻ないじめは、どの学校にも、どのクラスにも、どの子にも起こりうる」という文部大臣名の緊急アピールが出されてからも、15年以上がたつ。しかし依然としていじめが起こってはならないことだという捉え方から、世間はもとより教育関係者ですら抜け切っていない。

 滝研究官によると、いじめが社会問題化するのは今回が4回目である。そのつど報告件数が増え、その後は急速に減る「沈静化」を見せてきた。しかし、報告された発生件数が実態を正確に示しているとは限らない。発生件数もいじめ自殺の件数も、常に変わらなかったというのが滝研究官の見方だ。単に注目されるか、社会問題化されるかの違いである。22日に発表された文科省の緊急調査でも半年で14万4千件という結果が出たが、数字そのものに意味はない。教師が見過ごしている間に、いじめが爆発的に増えたわけではないのだ。 

 シンポでも滝研究官は、いじめには「ストレス」「ストレッサー」「価値観」「社会的支援」という複雑な要因が絡み合っていることを説明していた。その上で子どもに自己有用感を持たせるとともに、「居場所づくり」「絆づくり」を行うことが未然防止につながると訴えた。考えてみれば、そうした未然防止策はいじめ「対策」に限らない。

 授業を成立させるためには、安定したクラスの存在が前提である。学習意欲を持たせるためにも自己有用感、自己肯定感が必要だ。ましてや「活用」の授業を展開し、思考力・判断力・表現力を育むためには話し合いや発表といった学習活動を多く採りいれなければならない。知識・理解の習得にしても、習熟度別学習より「学び合い」が有効だという実践も多い。「居場所づくり」「絆づくり」は、学力向上にとっても不可欠なのだ。

 学校は、教育活動全体で子どもを育てるところである。その原点に立ち返り、常にそれを大事にすべきではないか。「これは学力向上対策、これはいじめ対策、これは○○教育」というふうに求められるまま細分化していては多忙化が進むばかりではなく、かえって機能不全に陥って個々の課題にも対応できなくなる。

 重要なのは、トータルで子どもの成長を促す体制を学校で構築することだ。行政にはそのための人事面・予算面・指導面での支援が、家庭や地域社会には学校との連携や応援が求められる。学校の尻を叩き、対応不足を責め立てたところで問題の解決にならないばかりか逆効果を生みかねないことを認識すべきだろう。

 学校側にも「対策」に追われて思考停止したり、被害者意識を持ったりする傾向はないだろうか。今こそ専門性を発揮して、学力も人間性も伸ばすような教育活動、授業づくり・集団づくりの実践研究を深めるべきである。そのために足りないこと、改善してもらわなければならないことは、行政や社会に向かって果敢に訴えていい。

 いつまでも誰かの責任にしていては深刻ないじめを防ぐことはできないし、「第5の社会問題化」を食い止めることはできない。ましてや精神論的な法律や条例をいくら作ったところで、何の足しにもなるまい。社会を挙げての冷静な対応が必要だ。 

【参考=本社配信記事】

「未然防止こそ重要―国研がいじめに関する公開シンポ」内外教育2012年11月16日付

いじめ対策、本当に必要なのは『未然防止』 」ベネッセ教育情報サイト・教育動向2012/11/22

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2012年11月22日 (木)

【池上鐘音】真紀子検討会

▼「大学設置認可の在り方に関する検討会」が21日に始まった。1カ月をめどに提言をまとめるというのは異例の早さだ。座長の浦野光人ニチレイ会長は来年3月の申請に不安を与えないためだと説明したが、田中真紀子文部科学相の在任中を意味することは誰の目にも明らかだろう▼自らの肝煎りとはいえ、大臣が最初から最後まで出席していたのも珍しいことだった。冒頭のあいさつでは、大学経営について以前から問題視していたと述べた上で「二十年来チャンスを見ていた。着任してからの思いつきではない」と強調した▼しかし各委員の発言では、当初3大学にストップをかけた主な理由を間接的に批判するような内容が相次いでいた。熱心に資料を眺め、メモを取りながら議論に耳を傾けていた文科相は天を仰ぎながら何を考えていたのか▼ともに一致したのは、小泉構造改革以来の規制緩和に問題があるという認識だったろう。「競争原理で質を高めるというのは教育になじまない」(林文子・横浜市長)、「厳格な事前規制が必要だ」(全私学連合代表の清家篤・慶応義塾長)という発言も、大臣を満足させたに違いない▼しかし大臣はそもそも、大学同士で審査していたため大学の数が増え過ぎたと見ていたはずだ。実際には大学設置・学校法人審議会会長の佐藤東洋士・桜美林学園理事長をはじめ大学関係者が多数参加している▼もっとも田中文科相は終了後、事務方に「お疲れさま~。大変いい会だったわ」と声を掛けていたから、総じて満足したようだ。発案者の思惑は別として、教育の市場原理に転換を促す提言が出せれば検討会の役割としては十分だ。それなら1カ月もあれば足りる。ある意味で人選の妙味と言っていい。

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2012年11月17日 (土)

大学の数 高等教育計画の策定再開を

 衆院解散を控えた16日午前、田中真紀子文部科学相は大学設置認可の在り方を見直す検討会を21日に設置すると表明した。3大学の不認可を撤回したまではよかったが、問題を設置認可の在り方に矮小化する姿勢を貫くことには賛同できない。期せずして招集された検討会の委員には、「高等教育計画」の策定を再開るべく議論の端緒を開くことを提案したい。

 国として入学定員の全体規模などを定める高等教育の中長期的な将来計画は、2000~04年度を最後に策定されていない。設置認可の弾力化と軌を一にして、市場原理に任されたからだ。

 そこには、自由競争に任せれば問題のある大学は自然に淘汰(とうた)され、需要と供給のバランスが取れるという極めて楽観的な見通しがあった。しかし実態はどうか。私立大学の46%が定員割れに陥りながら、01年度以降に統廃合や募集停止になった大学は、学校法人に解散命令が出された創造学園大学も含め、わずか16校にとどまる。

 本気で大学の数を減らしたいのなら、再び高等教育計画を策定し、積極的な統廃合を打ち出すべきだ。大学の数が20年で1.5倍になるまで増加したのは審査が甘かったからでは断じてなく、市場原理に任せた制度設計の必然だ。それも文部科学官僚のせいではなく、小泉構造改革の責任である。

 逆に、大学の数をもっと増やすべきだとの考えもあり得る。文科省は「大学の数が多過ぎるという立場を採らない」「日本の高等教育進学率は諸外国に比べて低い」という見解を繰り返しながら、「事前規制から事後チェックへ」の設置認可方針の下では増やすための政策誘導もできなかった。高等教育計画の策定再開で量的規模の拡大を打ち出せば、弾みになるはずだ。

 認可した大学すべてを等しく支援する必要はない。現在でも10校に1校程度は私学助成を不交付とするなど運営状況に応じてメリハリのある配分を行っていると文科省は説明しているが、これを厳しくして問題のある大学の退場を促進する手もある。痛みは伴うが、「痛みに耐える」というのはかつて国民が熱烈に支持した小泉純一郎元首相の決まり文句であった。民主主義のツケは、残念ながら国民がどこかで払わなければならない。

 全国的な規模だけではなく、地域間格差の解消も課題になろう。その時にこそ積極的な「メリハリのある配分」が求められる。大卒需要の高まりが期待される地域の大学には、定員割れを起こしても私学助成の対象から外さないなどの誘導策を採ってはどうか。限りある財源の下では、学生が集中する大都市圏で逆に配分基準を厳しくして統廃合を促すことも許されよう。 

 いずれにせよ大卒人材にどういった能力を求め、将来的にどれだけの者が必要なのかという国家戦略が不可欠だ。それが定まってはじめて、高等教育の量的規模に見通しがつこう。18歳人口の急増期ならいざ知らず、実質的な大学全入時代が到来した以上、国家戦略なき高等教育計画は無意味だ。

 大学間の競争を否定はしない。それが研究のみならず教育の質を高める面も確かにある。しかし教育分に関しては何から何まで競争原理、市場原理に任せていても機能しないことは、昨今の大学事情だけを見ても明らかだ。新自由主義のフィクションから、今こそ脱却しなければならない。

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2012年11月12日 (月)

【社告】

 きょう発売の『AERA』 2012年11月19日号の記事中に、本社論説委員のコメントが引用されております。ご一読ください。

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2012年11月 5日 (月)

【社告】

首都圏ネットFMラジオJ-WAVE(81.3mhz)につきまして、本日夜『JAM THE WORLD』20時20分ごろの「CUTTING EDGE」、および明朝『TOKYO MORNING RADIO』7時40分ごろの「MORNING VISION」の各コーナーに、本社論説委員が電話出演を予定しています。直近の社説で書いたことを喋るだけですので、たまたま聴取された方はお許しください。業界関係者の方々は、そっとしておいていただければ幸いです。

【事後報告】今朝の『やじうまテレビ!』(テレビ朝日系列)7時前に本社論説委員のコメント及びツラ写真がボードに引用されました。

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2012年11月 3日 (土)

設置認可見送り 手順飛ばした暴挙だ

 本社は先にコラムで、就任直後の田中真紀子文部科学相に対して「乱暴とも思えるような大胆な判断」をするよう期待を表明した。しかしこれは乱暴というより、暴挙と言わざるを得ない。大学設置・学校法人審議会が答申した3大学の設置認可を見送ったことである。

 その理由を田中文科相は、「設置認可のありようを抜本的に見直す」ためだとしている。見直し自体は悪いことではない。しかし現行の審査基準で進行していた設置認可をひっくり返すのは、筋違いだ。

 今回の判断には、政治家としての鋭いカンが働いたのであろう。群馬県で創造学園大学などを運営する学校法人堀越学園が、解散命令を出さざるを得ないほどの混乱に陥った。経営破たんに至らなくても、類似の例はあちこちに散見される。何とかしなければと思っても、無理からぬことではない。むしろ評価したいところだ――手順さえ間違えなければ。 

 判断の誤りは、3大学へのとばっちりだけではない。これまでの文教行政の慣例を飛ばして、設置認可の在り方そのものに修正を迫ったことにも大きな問題がある。

 設置認可の規制緩和は確かに1990年代からの流れであるが、決定的だったのは2002年の中央教育審議会答申「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」(質保証答申)である。これにより国としての高等教育計画による設置抑制方針は撤廃され、大学の質保証も「事前規制から事後チェックへ」の原則が確定した。

 もちろん、これが小泉構造改革の下での規制緩和・自由競争路線に基づいたものであることは注意を要しよう。群馬・堀越学園のような事例は、その弊害と言ってもいいかもしれない。くしくも当時の小泉純一郎首相から外相を罷免され、民主党に転じた田中文科相である。見直しを打ち出すのは理解できるし、むしろ必要なことであろう。規制緩和の行き過ぎは是正されなければならない。

 しかし、事は10年間続いた設置認可行政に関わることである。文字通り1日でひっくり返して許されるものではない。何より問題は、関係者の努力を無視したことだ。

 たとえ現在の方針が小泉構造改革に影響されたものだとしても、大学関係者の自主性・自律性に基づくという原則は維持されてきた。設置審に大学人が多く加わっているのも、認証評価制度が導入されたのも、ピアレビュー(専門家仲間による検討)を尊重したものだ。

 田中文科相がひっくり返そうとしているのは、高等教育におけるピアレビューの原則だけではない。関係者の英知を集めて方針を決めるという、審議会行政の在り方にもダメ出しをしたに等しい。確かに文部科学省のみならず、審議会行政には課題も多々あろう。しかし、だからといって文教行政にストレートな政治主導を持ち込んでいいとは思えない。

 これまで民主連立内閣の政務三役は、鈴木寛・元副大臣をはじめ行政の継続性を尊重してきた。弊害の多い教員免許更新制が即刻廃止できないなど不満はあるが、政権交代時代には好ましい姿勢でもあったろう。そうした継続性を田中文科相は、政治家個人の判断として曲げようとしている。暴挙と言わずして何と言おう。

 今からでも遅くない。まずは3大学の設置認可を改めて認めるべきだ。その上で中教審に高等教育計画と設置認可の在り方を諮問するなら、真っ当な手順として支持したい。たとえ自らの手で改革ができなくても、それが政権交代時代の文教行政というものである。拙速を貫こうとするなら、安倍教育再生路線より無体と言わざるを得ない。

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