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2012年12月

2012年12月28日 (金)

下村文教行政 警戒しつつも期待したい

 いい意味で予想を裏切られた。下村博文・文部科学相の就任会見である。

 安倍首相が表明した教育の「危機的状況」について下村文科相は、民主党政権下だけの話ではなく戦後以来の問題であったとの見方を示した。それもタカ派お決まりの占領政策や日教組への批判などではない。日本青少年研究所の国際比較調査を例に挙げながら日本の子どもたちが自分に自信を持てない「自己否定型の教育」を問題視し、そうした在り方をつくってきた戦後自民党に対する反省さえ述べたのだ。

 具体的な政策面でも、むしろ継続性を尊重しているように思える。前政権の目玉だった高校授業料無償化について「我が党としても、安倍政権としても廃止するということではなく」と説明。公約だった所得制限も、低所得者層や公私間格差解消のために使うとした。新制度への移行も混乱を避け、検討期間を経た2014年度から実施したいという。

 前政権が概算要求した教職員定数改善5カ年計画についても、安倍首相が指示する「世界最高水準の学力」を目指す教育再生基盤に不可欠だと位置付け。計画的な定数改善に取り組む姿勢を明らかにした。

 本社はに、民主党政権が旧自公政権の閉塞(へいそく)状況を打ち破る役割を果たしたことを評価した。ニュー自公政権がそうした成果の上に立ち、更に充実を図ろうとするなら、少なくとも文教行政においては大いに歓迎したい。

 振り返れば「55年体制」における自民党長期政権は、野党にも目配りが利いたものだった。教育政策ではイデオロギー対立が少なからずあったものの、教職員定数改善や私学助成の充実など与野党が一致する課題も少なくなかった。むしろ団結して旧文部省の応援団となり、財政当局に働き掛けていた感がある。そういう懐の深さを持っていたのも、もともとの自民党だ。

 下村氏といえば小泉内閣の時に教育の規制改革・自由競争に旗を振り、信条的には安倍首相に近い。外交政策などで慎重な政権運営が求められるだけに教育政策で急速な右旋回にかじを切られはしないかと心配していたのだが、少なくともスタート時点では杞憂だった。

 もちろん、懸念要素がないわけではない。就任会見でも教科書問題に触れていたし、道徳の教科化を改めて中教審に審議要請する考えさえ示した。政務官に「ヤンキー先生」こと義家弘介氏が起用されたのも不安材料だ。

 ただ、かつての自民長期政権もそうだったと思い起こせば過剰に恐れる必要はないかもしれない。政権交代の成果を踏まえて、実のある対話が可能になったと前向きに捉えることもできよう。無体な右ブレをしないよう警戒はしつつも、子どもたちや教育現場の本当の「危機」打開に向けて建設的な論議と政策展開を期待したい。 

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2012年12月25日 (火)

【池上鐘音】危機的状況

▼日本の教育は危機的状況にあるそうだ。26日にも首相に総理に就任する自民党の安倍晋三総裁がそう繰り返している▼17日の記者会見によると、6年前に自ら手掛けた「教育再生」が民主党政権の3年間で後退したからだという。だからその間に「いじめの発生件数も倍増している」という理屈だ。しかし教育政策に熱心な割には、発生件数と認知件数の区別もついてないらしい▼政権公約には国旗・国歌の尊重はもとより「不適切な性教育やジェンダーフリー教育、自虐史観偏向教育等は行わせません」と、おなじみのフレーズも忘れていない。安倍氏およびそのお友達にとっては、これらが当面の「危機」なのだろう▼先の社説では、教育投資に関する公約の実行に期待を表明しておいた。財源はあるそうだから、できるものから一刻も早くスタートダッシュしてほしい。よもや「目指す」「検討」という表現で、最初から先送りするつもりだったわけではあるまい▼教育界に息苦しさがまん延したのは小泉構造改革の下であったが、安倍内閣時のバッシングでそれが極まった。閉塞(へいそく)感まで6年前に戻るのでは、そちらの方が現場にとっては危機的状況ではないか。

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2012年12月22日 (土)

民主党政権の教育政策 旧自公より前進した

 総選挙で圧勝した自民党の安倍晋三総裁は、総理就任に向けて早くも着々と準備を始めている。教育政策についてはまだ明確に見えてきていないが、17日の記者会見では「6年前に教育再生をスタートしたが、この3年間で後戻りした」と民主党政権を批判していた。しかし、安倍総裁に批判されるほど問題のある政策が続いていたのか。新政権の発足前に、あえて検証しておきたい。

 まず、その3年前から振り返ってみよう。自公政権下の2009年8月に提出された10年度概算要求では、教職員定数の改善5500人が盛り込まれていた。しかし特別支援教育分が約2000人を占めていたとはいえ、2500人と半数近くは主幹教諭の増に充てられていた。

 政権交代を果たした民主連立政権はすぐ概算要求を組み換え、主幹教諭分を約2000人削って理数教科の少人数指導充実に振り向けた。予算編成では定数増全体が4200人に圧縮されたものの、少人数指導分は要求通り実現した。主幹教諭分はゼロ査定となったが、どちらを優先するかに政権の違いが現れたといえよう。

 10年8月には8カ年の「新・教職員定数改善計画案」を打ち出し、11年度概算要求に初年度分として小学校1・2年生の35人学級化を盛り込んだ。実際に法定化できたのは小学校1年生分だけで、しかも従来の加配定数分を回すという小規模校には逆にマイナスとなる結果に終わった。12年度も加配措置で2年生の実質的な35人以下学級は実現したものの、法改正は見送られた。13年度概算要求では先の計画案を仕切り直した5カ年の「新たな教職員定数改善計画案」の策定を目指すが、教育改革の「第2フェーズ」で掲げていた教職員の数の充実が順当に行かなかったことは否定できない。

 しかし、かつての自公政権下では06年度予算で第8次定数改善計画が「幻」となって以来、概算要求さえできない状態が続いていた。それから比べれば、不十分ながら現場にとっては一歩前進だった。

 教員免許更新制が廃止されなかったことも、3年前に民主党を支援し投票した教職員にとっては不満だろう。教員免許の修士レベル化とセットで「10年後」の課題に先送りしたことは以前の社説で批判した通りだが、半面では民主党政権が行政の継続性を尊重した結果でもある。改正教育基本法・学校教育法や新学習指導要領に基づく指導行政に関しても、それが言える。

 今後の焦点になるのは高校授業料の無償化だが、民主党が総選挙前に検証したように高校中退者数の半減に寄与したことは疑いがない。野党自民党はこれを「バラマキ」と批判したが、無償化には妥当性があることも既に指摘した。

 何より文教関係予算を政権交代前より1割近く増額させたことは、高く評価されてよかろう。その中で初等中等教育はもとより高等教育も経常費を中心に増額し、奨学金の充実も図った。

 民主党の教育政策を「日教組の言いなり」と思い込んでいる人が少なくないが、実態は「スズカン」こと鈴木寛・元文部科学副大臣が自らの構想の下に主導したものである。以前の社説から一部には本社がスズカンを嫌っているという誤解もあるようだが、かつての配信記事でも触れたように氏の構想力には素直に敬服するし、実は高く評価している。少なくとも右ブレと官僚任せの自民党文教族より、よほど期待できる。

 問題はそれがスズカン氏一人の頭の中だけにとどまっていて、十分な説明も実現もしなかったことだ。もし次に民主党が政権を取り戻したあかつきには、ぜひ文科相となって説明責任と実行責任を果たしてもらいたい。その時まで民主党が存在し、スズカン氏が在籍していればの話だが。

 詰まるところ民主党政権の教育政策は、旧自公政権下の閉塞(へいそく)状況を打破し、学校現場のために前進させる契機をつくった役割だけは果たしたと評価できる。批判されるべきは、その不徹底ぶりである。

 安倍総裁は、既に外交面などで堅実な政権運営を行う姿勢をみせている。ぜひ教育政策でも、そうあってほしい。「6年前」に戻すだけでは、現場の困難をさらに深めるだけである。

【関連本社配信記事】

 教育時事 見方・読み方 「すずかん副大臣の“構想力”に注目」(ジアース教育新社『SYNAPSE』2010年11月号

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2012年12月15日 (土)

総選挙公約〈4〉共産 情勢分析の頭が固いままだ

 「主要政党」を論じるシリーズの最後に、政権に加わる可能性がほぼない党をわざわざ取り上げるのはいかがなものかとは思う。ただ、教育政策に関する公約は日本共産党が一番詳しい。傘下に教職員組合を抱えているだけに、目の付けどころも現場感覚に合致している。本社の課題意識と重なり合う主張すら多々あることも認めよう。しかし、「ぶれない」ことを旗印にするゆえに頑迷さが裏目に出ている面があることも隠せない。

 その一例が「競争」に対する認識だ。「改革ビジョン」では「競争教育を一掃し、深く考える力や人間への信頼感を育みます」とある。確かに安倍自民党や橋下維新の会が新自由主義的教育政策を打ち出す気配の中、ますます教育に競争原理が導入されることは警戒しなければならない。

 ただ、「財界は、子どもたちを早くからテストの点数の物差で競争させ、ふるいにかけて、早い段階から『エリート』を効率的に育てようと、世界で例がないような競争的制度を競争に押し付けてきました」「競争的な教育で落ちこぼされた子どもたちは、力があるにもかかわらず劣等感をかかえ、勉強嫌いになります。『できる』子どもにしても、歪んだ劣等感をもち、早く『答え』を出すことの訓練で深くものを考える力が伸びなくなります」(各分野政策)という認識は、いささか古い。

 高度経済成長と人口急増期の時代ならいざ知らず、低成長と少子化の現在は子どもたちに競争意識を持たせることすら難しくなっている現状を直視していないのか。学習意欲の低下は、かつてのように受験圧力で意欲を喚起することができなくなっていることの現れでもある。進学実績を数値目標化している高校でも、「そこそこ合格できる大学」で満足する生徒にどうやって「上」を目指させるかで苦労していると聞く。

 むしろ子どもたちの学力の危機は、いまだにテストの点数さえ取れれば「勉強」ができたと思い込んでいることではないか。そして、そうした思い込みは教師の側にすら根強いように思えるのは偏見だろうか。専門家の職能団体でもあるのなら、実践によって子どもに学ぶことそのものの喜びを味わわせ、意欲を持たせることができているはずである。競争原理のまん延を阻害要因にしていては責任転化のそしりを逃れない。

 「深くものを考える力」にしても、それこそがPISA型学力、汎用的能力として文部科学省がいま追求しようとしているところであろう。旧態依然とした独自の学力観、指導観を対置させたままで行政批判だけしていれば事足れりとしていては、次代を生きる子どもたちへの公教育を担おうとする立場としては無責任ではないか。真摯な総括なしに「教育の自由」という言葉を使っていること自体、独善体質から抜け切れていないことが現れている。

 もちろん、一般向けの主張には単純化も必要である。しかし同党は教組と一体で教育運動を展開している。組合員も本気でそう信じ込み、情勢を語っている。他勢力との「共同」を方針に掲げている割には、自らの認識や主張に対する「確信」の方が依然として強い。そして、それこそが共同の広がりを阻んでいることに気付かないのだろうか。

 同党の組織拡大を図ることが最大目的ならば、それもいいだろう。しかし教育界全体の発展のためには何の益もないばかりか、望ましい教育改革を進めるためにはマイナス要因として働きかねない。

 何でもありの日教組に学べとは言わない。しかしもう少し情勢分析と運動方針に柔軟性を持たない限り、党員や組合員、傘下団体以外には相手にされないだろう。もちろん、それでいいなら結構だ。

 そもそも既存教組を叩けば教育が良くなるほど現状は甘くないし、何より教組自体に昔ほどの影響力はない。ただ現場の困難が深まる今、それを代弁する教職員団体の重要性が増していると思えばこそ、たまの機会をだしにして論じたまでである。

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2012年12月10日 (月)

総選挙公約〈3〉民主 これが政権存続懸けた与党か

 民主党のホームページでマニフェスト(政権公約)を見て驚いた。教育に関して、あまりに薄っぺらな箇条書きだったからだ。

 ダウンロードページには、選挙期間中に配布する「マニフェスト完全版」とは一部表現が異なるとある。さぞ詳しいものがあるのかと思って入手してみたら、一字一句一緒であった。

 これが絶対安定の長期政権のものなら、公約なんてそんなものさと鼻で笑えもしよう。しかし仮にも戦後初の本格的な政権交代を果たし、かつその存続を訴えようという与党である。

 まさか自民党総裁の言にならって、本当に「できること」しか書かなかったのか。少なくとも項目からは、やる気が感じられない。

 その中に「コミュニティスクール(土曜学校含む)をさらに増やす」とある。2009年のマニフェストや政策集にはなかった項目である。なぜコミュニティスクールなのか。一般のみならず教育関係者でも、政策動向を注意深く見ていた人を除いては理由が分からないのではないか。

 実はコミュニティスクールこそが民主党の教育政策、もっと言えば民主党が提案する社会像のキモであった。最後にある「現在の教育委員会制度を見直す」というのも、そこでこそ生きてくる。もっとも、そんな社会像は鳩山由紀夫首相の退陣と共に崩壊したのかもしれない。どんな社会像であったのか、「公式」な説明は最後までなかった。

 個別政策の裏にある壮大な構想と、説明不足。3年間の民主党教育政策は、そう評すことができよう。大勝利の勢いで実現できた事項を除けば、後に残るは賞味期限の切れていない積み残しと、説明不足だけだ。

 これで、どうやって民主党に投票してくれというのだろう。魅力もなければ、期待も持てない。支持団体の構成員だって困るのではないか。ただでさえ失望させられ続きの3年間であっただろうから。

 負けるにも、負け方というものがある。一方に対置する政策を正々堂々と掲げることこそ、二大政党の役割ではないか。少なくとも有権者に対して最初から最後まで対抗軸を鮮明にせず政権を降りたのでは、復権を期すことなどとてもできまい。――いや、あくまで教育政策に限った上での話である。 

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2012年12月 8日 (土)

総選挙公約〈2〉維新 「教育ポピュリズム」が心配だ

  「日本維新の会」は石原慎太郎・前東京都知事らと、橋下徹・大阪市長が率いる「大阪維新の会」が、総選挙直前に合流してできた。「大同団結」を優先したため両者がどう整合性を図るのか、よく分からない。ただ、石原氏は世間で言われているほど東京都の教育改革を主導したわけではない。現時点では橋下教育改革路線と同義とみていいだろう。事実、公約の各論「維新八策」には「大阪府・市の教育関連条例をさらに発展、法制化」という文言すらある。

 「世界水準の教育復活へ」という維新八策の教育改革策に付けられたサブタイトルに、同調する人は多いのではないか。しかし、待ってほしい。「復活」という言葉には、以前は世界水準だったのに今や没落している、という認識が含まれている。安倍晋三自民党総裁の「教育再生」も同じ発想だ。本社がそれと異なる認識に立っていることは、本社説の読者ならご理解いただけよう。

  「教育行政機関主導から生徒・保護者主導へ」という文言にも、賛同する人は多いだろう。ただし、その意味するところは学校選択制にみられるように、生徒・保護者を「消費者」と見なし、ニーズに応じた教育サービスを提供すればいい、という市場原理の導入である。教育バウチャー(クーポン)の導入は、新自由主義的教育政策の典型例と言っていい。

 「基礎学力を底上げしグローバル人材を育成」するというのに反対する人は少なかろう。そのために「悪しき平等・画一主義から脱却し、理解ができない子どもには徹底的にサポートし、理解できる子どもはぐんぐん伸ばす」というのも文部科学省の既定路線と矛盾しないかのように思えるが、橋下氏の言動から類推すれば、個別指導と競争の徹底でこそ学力が伸ばせるという考えの表明に他ならない。そこには、小さな社会集団の中で子どもを成長させるという「学校」の発想が欠けている。

 「教員は幅広い学部出身者と社会人から実力重視で採用」するというのにも注意が必要だ。そこでいう「実力」とは何なのか。確かに知識・理解の学習指導面なら学校の教師以上に優秀な塾講師などもいようが、児童・青年の発達やカリキュラム編成に関する基本的な理解など専門性の素養に欠ける者を大量に採用しては、現職研修に多量のコストが掛かることは必定だ。もっとも、そんなことさえ想定していないのかもしれないが。

 もちろん「教員を雑務から解放し教育に専念させる」「障がい者教育の充実」「大学入試改革を通じた教育改革」など、それだけを取り出せば評価すべき方針も並んでいる。ただ、具体的な政策展開を大阪の前例から類推することは難しい。「格差を世代間で固定化させないために、世界最高水準の教育を限りなく無償で提供する」という枠組みにも大賛成だが、それが大阪で行われたように「生徒・保護者による公公間、公私間学校選択の保障」(基本方針)にとどまったのでは意味がない。

 最初に暴論を打ち出して後から譲歩する橋下流ケンカ術からすれば、弁護士出身者らしく交渉の余地もあるのだろう。ただ、もともとの発想が新自由主義・市場原理である以上、教育政策論議に難儀を余儀なくされることは大阪での推移を振り返れば明らかだ。

 それでも、維新の会および橋下氏に共感する人は多いだろう。絶対的な世論を味方に自らの主張を実現していくのが、橋下氏の流儀である。本社の論説対象である教育政策に限っても、教育面でのポピュリズム(大衆迎合主義)が一層進むことを懸念する。公教育のレイマンコントロール(素人による統制)は重要だが、教育現場の困難は決して素人考えで解決できるものではない。

 保護者・子どもの「自由」を掲げながら教育の「統制」ばかりが目立つようでは、現場の息苦しさが増すばかりか士気を下げ、効果も上がらないという悪循環につながりかねない。「クソ○○」などと激しい教育界批判を繰り返してきた橋下氏の言動や、東京都で「教育の破壊的改革」をやり残したという石原氏の姿勢を思えば、期待よりも不安ばかりが募る。

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2012年12月 5日 (水)

総選挙公約〈1〉自民 本当に「できること」なのか

 義務教育費国庫負担金の国100%負担、幼児教育の無償化、給食費の無償化、給付型奨学金の創設、私学における低所得者の授業料無償化、私学助成2分の1を目標に大幅拡充――。自民党の政権公約には、学校関係者にとっても保護者にとっても素晴らしい項目が並んでいる。

 結構なことだ。安倍晋三総裁も「できることしか書いていない」と繰り返し強調している。政権を取ったら、ぜひ実行してもらいたい。本当にできるのならば。

 教育などの政策の冒頭には「恒久的な財源を確保し、OECD諸国並み(5%)の公教育支出を目指します」とある。同様の文言は2009年の総選挙公約にもあった。

 野党党首でありながら、その発言力だけで株価も円相場も好転させられる安倍総裁のことである。3年前よりパワーアップした経済政策を実行するというのだから、財源確保にも自信があるのだろう。

 ところで、この中には財政出動が急務でありながら、抜け落ちているものがある。特別支援教育だ。もっとも児童・生徒数がいくら急増しても、それに対応して施設設備や教職員定数は自然増となるものだから、あえて書くまでもなかったのかもしれない。しかし安倍首相の在任時に「特殊教育」から移行した際には予算措置がほとんどなされなかったことを考えれば、「きめ細やかで適切な特別支援教育」という文言がむなしく響く。

 安倍総裁は、民主党政権に対してバラマキ批判を繰り返してきた。しかし幼児教育の無償化や私学助成の拡充など、支持団体向けのバラマキ宣言に思えてしまうのは勘繰り過ぎだろうか。

 それでも実現できるなら、バラマキも結構なことである。ただし政権交代前の自民党は、教職員定数改善計画の策定案さえ打ち出せなかった。本当に信じてよいのか。

 「平成の学制大改革」と称する6・3・3・4制の見直しにしても、相当な財政支出を伴おう。ここは「検討」で逃げているから予算措置は先送りでいいのだろうが、どうにも抽象論先行の疑念が拭えない。

 威勢のいい公約を並べ立て、財源がなければ「できませんでした」では、さんざん批判してきた民主党政権の轍(てつ)を踏むだけだ。学校現場にとって益にならない「できること」だけつまみ食いされては、たまらない。

 いじめ対策がその一例だろう。法律や条例を制定すれば無くなるものなら、こんなに簡単なことはない。「加害者にも、被害者にも、傍観者にもしない教育を実現します」というのは、いじめの発生自体を無くすということである。実態の深刻さに思いを致せば、選挙民向けの言葉にしても軽すぎやしないか。道徳教育の徹底で実効性があると本気で考えているなら、認識が甘いと言わざるを得ない。

 公約でも掲げる「教育再生」が現場の困難を打開するものにならないであろうことは、先の社説で示した通りである。安倍総裁は既に首相になったかのような意気込みだし、その下で既に文部科学相になったつもりの議員もいるようだが、かつての安倍内閣のようなところに政権を戻すのでは教育現場にとって不幸である。

    ◇

 主要政党の選挙公約をシリーズで論じていきます。

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