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2013年3月

2013年3月 2日 (土)

八重山教科書問題 「是正要求」持ち出す話か

 沖縄県八重山地区での中学校公民教科書採択をめぐって、採択地区協議会の決定通りの教科書を採択するよう竹富町教育委員会を指導した文部科学省の義家弘介政務官が1日、是正要求も検討するとの考えを示した。下村博文文部科学相は同日の記者会見で「その後の状況を見て」と具体的な措置には言及しなかったものの、あくまで教科書無償措置法にのっとった採択をすべきだとの考えを示した。

 新年度まであと1カ月という段になって政務官を市区町村教委に直接派遣するということ自体、事は緊急性を要するという現政務三役の強い姿勢を示したものだろう。しかし、これにはさまざまな疑問がある。政権に対する不安と言ってもいい。

 第一、緊急性を要する話なのか。町が調達した別の教科書も、検定教科書であることに変わりはない。無償給付されたものではない、というだけの話である。その教科書が使われたからといって、生徒の教育を受ける権利が侵害されるわけではない。学校教育法は教委が採択した検定教科書か文科省著作教科書の使用を義務付けているが、「無償教科書」の使用を義務付けているわけではあるまい。

 確かに今回の竹富町の判断が無償措置法に反したものであることは明らかであり、採択した別の教科書が無償給付の対象にならないのも当然である。だからといって使用までやめさせるべき緊急性があるとは、とても思えない。

 協議会で選定されたのは、保守系と言われる教科書であった。一方、竹富町が選択したのは同教科書の執筆グループが「偏向」の象徴のように批判していた教科書だった。これが逆だったら、同じような指導を政務三役は行おうとしただろうか。

  「子供たちが日本の伝統文化に誇りを持てる教科書で学べるよう、教科書検定基準を抜本的に改善」するというのが自民党の総選挙公約であった。しかし、既に検定が済んだ特定の教科書に肩入れしていい話ではない。少なくとも、疑念を持たれるような行動は自制すべきではなかったか。

 公約といえば教委制度の抜本改革も挙げられているが、実はこれにも教科書問題とからんだ疑念がある。思い起こせば保守系教科書の執筆グループが自分たちの教科書の採択が伸び悩んでいる原因を、教委制度の在り方に求めた節があるからだ。グループの運動をきっかけに、「素人(レイマン)」である教育委員が全教科書を読んで採択を決めるといった現象が各地に広がったことは否定できない。

 教科書は「主たる教材」として学習指導要領のねらいと内容を具体的な教育課程に落とし込んだ、重要な存在である。一方で「教科書『を』教えるのではなく教科書『で』教える」という言葉があるように、教科書を授業に落とし込むには教師の専門性が発揮されなければならない。実態はどうあれ教科書通りに授業が行われるという昔ながらのイメージは、教育関係者のみならず政治家にも払拭(ふっしょく)してもらわなければ困る。ましてや「素人」に教科書の優劣が判断できると考えることの異常性に、気が付かないこと自体が異常だ。

 第2次安倍内閣は、慎重な政権運営に徹しているように見受けられる。文教行政に関しても同じだが、前政権との行政の継続性にも留意しつつ少しずつ「安倍カラー」を出そうとしているようだ。八重山教科書問題も、法令順守という点で正当性があると判断して異例の直接指導に及んだのであろう。

 その安倍内閣にしても、「安全運転」は夏の参院選までという観測が拭えない。それまでは爪を隠す、という戦術である。しかし、ここは爪の出しどころだと思ったのであろうか。それがタカの本性であったとしたら、参院選大勝後どのように豹変(ひょうへん)するのか不安でならない。

 教科書は保守合同前の日本民主党が「うれうべき教科書」を問題にして以来、常に政争の焦点にされてきた。保革対立の歴史的産物とも言えるだろう。しかし冷戦構造が崩壊して久しいのだから、過度な政治問題化はもう勘弁してもらいたい。「21世紀型スキル」の育成へと授業革新が求められる中で、やるべきことは他にもっとあろう。

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