« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »

2013年6月

2013年6月20日 (木)

「日本」の限界象徴する東大の秋入学見送り

 東京大学が、秋入学の導入を当面見送った。もっとも過渡期的に「4ターム制」とする学事暦案は昨秋の段階で明らかになっていたし、濱田純一総長は引き続き早期実現を追求していく姿勢を強調している。しかし、そもそも秋入学構想は濱田総長が自らの任期末である2015年に向けた改革の一環として検討を求めていたものである。第3期中期目標・計画期間(16~21年度)に先送りしたとあれば、実質的には白紙になったと言ってよかろう。

 結果的には、妥当な落としどころに落ち着いたというべきかもしれない。4ターム制なら春入学が原則の国内にも、秋入学が一般的な国外にも対応できる。実際、早稲田大学は既に「クオーター制」を一部で導入し、慶應義塾大学でも導入案が浮上しているという。

 しかし、そうした経過や結論が東大的、もっと言えば日本的だと言ったら皮肉に過ぎようか。

 本社は濱田総長の諮問を受けた懇談会が秋入学への移行を前向きに検討していた12年1月の段階で、東大の英断に対する一定の評価とともに違和感も表明しておいた。評価したのは、独立行政法人となった国立大学が独自の判断で自らの存立さえ左右する選択をしようとしたことだ。違和感は、当初から単独ではやらないと明言していたことにあった。

 今回、検討会議がまとめた答申でも「国家資格試験の時期などの見直しやギャップタームに関する理解など社会的な環境整備の具体的な見通しはまだ十分明らかではない」ことを秋入学への全面移行が困難な理由に挙げている。しかし、東大が言い出せば日本中がすぐに動き出すと思う方が甘かったろう。下村博文文部科学相が秋入学やギャップターム推進のための検討会議を9月に設ける方針を表明したばかりだというのに、掛けたはしごに上るのをやめてしまっては面目丸つぶれだ。

 東大が秋入学に踏み切れなかったのは、やはり国内でのリスクを取りたくなかったからだろう。「研究大学」として国際的なランキングは上げたい、さりとて「市民的エリート」や「指導的人格」(東大憲章)の輩出という地位も失いたくない、官僚や医師・弁護士にも引き続き人材を供給したい――。結局、あれもこれもで機能別選択ができなくなっている。あるのは「エリート大学」かそうでないかの二分法だけだ。

 選択の決断ができないという点では、日本社会全体に共通する傾向と言える。もっとも政官界や経済界の中枢を東大卒が担っているのだから、当然と言えば当然かもしれない。

 秋入学に向けて学内合意が得られなかったことも、日本の大学の現状を象徴していよう。懇談会報告が示されて以降も、提言に冷淡な研究科・学部等は少なくなかった。独法化で学長や理事会の権限が強化されたというのに、学部自治・教授会自治は根強く残っている。中教審が近く大学のガバナンス(統治)の在り方の本格審議に入ろうというのに、大学界のリーダー的存在がこれでは先が思いやられる。

 しかし日本は、それでいいのかもしれない。グローバル化への対応は一定程度必要だが、変に「国際標準」にこだわり過ぎて世界の敗者となるより、国際社会と協調しながら多少ずれたところで「強み」を生かす方がよほど勝算が出てこよう。皮肉ではなく、本気でそう思っている。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年6月15日 (土)

第2期振興計画 これが自民党政権の「限界」だ

 14日の閣議で策定された第2期教育振興基本計画で、教育投資に関する記述が中教審答申から修正された。下村博文文部科学相は閣議後の会見で同計画を同日に決定された「日本再興戦略」「骨太の方針」と並ぶ政府の「3つの戦略」だと胸を張ったが、図らずも安倍内閣の限界を露呈した格好だ。

 変更点を確認しておこう。答申段階では「将来的には恒久的な財源を確保しOECD諸国並みの公財政支出を行うことを目指しつつ」とあった。それが閣議決定された計画では「OECD諸国など諸外国における公財政支出など教育投資の状況を参考とし」に修正された。目標値が単なる参考値になったのは、後退以外の何物でもない。

 そもそも中教審や文部科学省が強気過ぎた、と評することもできよう。答申段階からあったように第1期計画の策定時と比べても国の総債務残高が拡大する中で、いくら「将来」の目標とはいえ国や地方を合わせて10兆円もの追加投資を目指すというのは現実的ではない。下村文科相も4月に私案として「教育目的税」構想を披露したぐらいだ。

 下村文科相は会見で「答申と表現は異なるが第1期計画より踏み込んだ。加速度的かつ異次元の教育改革に取り組んでいく担保は取れた」と語った。合田隆史生涯学習政策局長も同日夕方に開催された中教審の大学分科会で「官庁文学の世界だが、第1期の時より一歩は前進した」と説明し、毎年の予算編成で努力していく姿勢を表明した。

 文科省の論理から言えば予算折衝の「材料」が盛り込めればまずは前進、というのも分からなくはない。しかし財務省の論理から言えば、単年度で厳しく査定する姿勢が縛られたわけではないから痛くもかゆくもないだろう。

 ここで、なぜOECDが公財政教育支出のGDP比という指標を出しているのかを今一度考えてみる必要がある。

 OECDが教育投資を重視しているのは取りも直さず、それが経済成長につながるからである。もちろん投資額の分だけ成長するというような単純なものではないから、他にもさまざまな指標を用意して財源の限られている各国が真に効率的な投資政策を検討する際の参考に供しようとしている。それなのに平均を目指すのか目指さないのかといった二者択一的な論議に終始しているのは、テストの点数にしか関心が向かない教育意識のレベルを反映したものだと言ったら言い過ぎだろうか。

 中教審=文科省の見通しにも甘さがあったと言わざるを得ない。必要な事項を積み上げていけば必然的に予算の増額が必要という結論が導き出せる、との論理は第1期の時から変わっていない。どこにどう投資すればどれだけの経済成長が期待できるのか、あるいは投資を怠ればどういう結果が生じるのかといった教育投資論を真剣に検討すべき時期に来ているだろう。

 しかし、もっと問題なのは内閣全体の在り方である。再興戦略や骨太方針では「人材こそが我が国の最大の資源」として人材育成の強化を打ち出しながら、抽象論やさまつなメニューに終始するだけで後は振興計画に投げている。社会人の「学び直し」を掲げるなら、そこにどう投資するかを財源も含めて考えるのが国家戦略というものだろう。

 各省庁から集めた政策を取捨選択してホチキスで留め威勢のいいタイトルを付けながら戦略的発想が何もない、というのでは政権交代前の自民党政権と同じだ。再興戦略の副題である「JAPAN is BACK」とは、文教行政も含めて停滞していた第1次安倍内閣に時計の針を戻すだけなのか。

 「アベデュケーション」は下村文科相の慎重かつ意欲的な運営の下、堅実に進んでいることは本社も評価するところである。しかし現在は担当大臣が孤軍奮闘したところで閉塞(へいそく)状況を打開できるような事態では既になく、だからこそ首相のリーダーシップが求められよう。具体的な知識も戦略もなしにイデオロギー的な「教育再生」ばかりを振りかざすくらいなら、むしろ担当大臣に任せて黙っていた方がいい。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年6月14日 (金)

【内側追抜】ナントカ方針

 骨粗しょう症には牛乳がいいのは分かってるけど、ポンポン痛くなるから飲めないの。

    ――某首相


【本社より】新設コラム「内側追抜」は寸評欄です。肝心の社説の更新が滞っており申し訳ありませんが、「池上鐘音」(いけがみじゃんのね)ともどもご愛顧ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »