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2013年9月

2013年9月15日 (日)

学テ校長名公表 まず知事自身の責任を問え

 静岡県の川勝平太知事が定例会見で、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の国語A問題で下位100校だった小学校の校長名を公表する方針を明らかにした。これに対し県教育委員会は、公表しない意思を確認。学校別結果の公表解禁も検討するとしていた下村博文文部科学相も、現段階での公表には難色を示している。

 当然だ。校長名の公表は、学校名の公表に等しい。現在、学校名の公表が認められていないからといって「校長名ならいい」というのは小役人が考えそうな抜け道ではあっても、およそ学者知事らしからぬ姑息(こそく)な手段だ。

 川勝知事は、校長に大人として教育の責任を取ってもらうのだという。確かに学校の教育に瑕疵(かし)があるなら、代表としての校長名で責任が問われることはあろう。しかし教育に対する結果責任ということなら、校長個人に責任を問うのはお門違いだ。4月1日に異動する校長も多い中で、4月末に実施される全国学テの結果責任を取れというのは土台無理な話だろう。

 テスト結果の順位だけで個々の校長ないし教員に結果責任が単純に問えるとしたら、児童・生徒や家庭、地域といった所与の条件がすべて同じ場合であろう。そんなことがあるわけはない。学校教育は、目の前にいる子どもの状態をトータルに把握し、その上でどう伸ばすかを考え、手立てを講じるのが基本中の基本である。不利な条件下にある学校では、どうしても教員の努力だけでは十分な成果を出すには至らない場合もあるはずだ。

 おそらく川勝知事の念頭には、学校現場に対する強い不信感があるのだろう。確かに県内では教員の不祥事が続いていた。そんな中で、小学校国語Aの全国最下位で怒り心頭に発したのも理解できないわけではない。主として知識に関する国語Aで問われる力は、活用の前提でもあり、全ての教科等の基盤中の基盤である。

 しかし川勝知事は、全国学テの重要な調査目的を理解していない。「教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図る」という部分だ。

 学力が振るわないのであれば、どうすれば学力を上げることができるのか、教委が効果的な教育施策を打つ必要がある。そして、その施策に予算を付けるのは首長である。地域的な特性から学力不振に陥っている学校も含めて「力のある学校」(志水宏吉・大阪大学教授)にするためには、なおさら政策的なてこ入れが不可欠だ。

 県下の教員がこぞってサボタージュをしたのが学力低下の主因だ、という確信でもあるなら別である。そうでなければ、まず責任を問わなければならないのは教育予算に関して無策だった知事自身ではないか。

 川勝知事は国際日本文化研究センター教授時代、第1次安倍内閣の「教育再生会議」委員を務めていた。およそ教育に識見もない者を多く集めて床屋談義をしていた当時のことを思い出すと、今でもぞっとする。

【全国学力テスト関連社説 バックナンバー】

全国学力テストは任意参加に(2008年2月20日) 

全国学テ再論 結果の公表は“消極的”に(2008年3月15日) 

全国学テ開示問題 だから任意参加にすべきだ(2008年8月18日)

全国学テ公表問題 そもそもデータに限界がある(2008年9月13日)

全国学力テスト 公立「全校参加」を惜しむ(2009年3月25日)

全国学力テスト 成績不振校から支援を(2009年4月21日)

新政権に望む〈3〉 全国学テは「抽出」より「任意」に(2009年9月17日)

概算要求〈2〉 抽出学テ 重くなる地方教委の責任(2009年11月3日)

全国学テ 参加率の高低は本質ではない(2010年3月 6日)

全国学テ中間まとめ案 総括になっていない(2010年7月26日)

全国学テ 市民性育てる理科教育を(2012年8月13日)

全国学テ 公表の是非より尋ねるべきこと(2013年2月9日)

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2013年9月14日 (土)

【内側追抜】世界遺産候補

 「産業遺産」には山口が入ってるじゃないか。最初っから空気読めよ。

   ――某首相

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2013年9月 4日 (水)

「高等教育の無償化」本気で目指せ

 「高等教育の無償化に向け」――。さらりと書かれた一文の意味は重い。概算要求当日の8月30日付で文部科学省の「学生への経済的支援の在り方に関する検討会」がまとめた報告書のことである。

 あくまで局長の私的諮問機関による提言であり、中教審答申のような権威はない。しかし従来なら、そんな報告にすら財政当局をおもんぱかって決して書かれなかった文言である。そこをあえて書き込んだのは、明らかに下村博文文部科学相の意向が反映していよう。

 大臣自身、交通遺児で小学校時代から苦学し、第1期「あしなが奨学生」として高校、大学に進学。在学中に始めた私塾経営も含め、教育改革を目指す政治家の原点になったという。4月に日本記者クラブで行った会見では、公財政教育支出を国内総生産(GDP)比で経済協力開発機構(OECD)平均並みに確保して幼児教育から大学までを無償化する構想さえ披露した。

 報告書は、たった4回の会合でまとめられた。しかし教育費問題の第一人者である小林雅之・東大教授を主査に気心の知れたメンバーを集め、議論もとんとん拍子に進められた。関係者にとって課題は既に明らかであり、後は明文化できる範囲でどう整理するかだけだったのだろう。

 そんな中で「将来的に目指すべき方向性」という限定付きながら、漸進的な無償化が打ち出された意義は大きい。国際人権規約A規約の留保を撤回したのは昨年9月、民主党政権下だったが、自公政権に代わっても無償化方針を継承する姿勢を文科省が示したものとも言えよう。

 後はどう実現するかである。概算要求では有利子奨学金からのシフト分(4万人)と併せて無利子奨学金の貸与人員を7万人増やすとしている。延滞金負荷率10%を5%に引き下げることも盛り込んだ。下村文科相が要求全体について「一円たりとも減額されない姿勢で取り組む」と言っているように、ぜひ最低限これだけは実現してほしい。

 もちろん「無償化」までのハードルは高い。OECD並みGDP比といっても消費税4%分に当たる10兆円の追加投資が必要だといい、下村文科相は「教育目的税」の私案まで披露していた。

 1000兆円もの借金を抱える中でも「未来への先行投資」として、予算を拡充するか。それとも受益者負担、自己責任に帰して無利子奨学金の拡大すら惜しむのか。まずは年末の予算折衝で、政権の姿勢が問われよう。本気で「教育再生実行」を口にするなら、カネのかからないイデオロギー的な改革論議ばかりではなく、かつての長期政権下で行き詰まりを見せていた教育条件整備の構造を抜本的に改善すべきだ。その上で、道のりは遠くても本気で無償化を目指してほしい。

 併せて高校授業料無償化の所得制限も、いずれは撤回すべきだ。幼児教育の無償化を打ち出し、高等教育の無償化さえ展望しながら後期中等教育だけ「バラマキ」と言うのは矛盾している。公約上、概算要求は仕方ないだろうが、野党時代の恩讐を超えて本格政権としての堂々とした姿勢を見せてほしい。 

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