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2013年10月

2013年10月26日 (土)

【内側追抜】お友達

 国民はあたくしを支持しているのですよ。あたくしが信頼している人を委員にして何が悪いんですか。

   ――某首相

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2013年10月17日 (木)

「道徳の教科化」はコンピテンシー改革と一体で

 文部科学省の有識者会議「道徳教育の充実に関する懇談会」が17日に開かれ、「特別の教科 道徳(仮)」を創設することが提案された。11月から議論が本格化する報告文に反映されそうな気配である。教育課程の編成基準に抜本的な改革が求められている中、政権の意向とはいえ個別の教科・領域等だけを取り出した拙速な改訂論議は避けるべきだ。

 この日の主な議題は「教材・教科書の取扱い」「新たな枠組みによる教科化」の2本柱。前半で教科書や「心のノート」の扱いについて賛否両論が交わされたものの、座長の鳥居康彦・慶応義塾学事顧問(元中教審会長)が「考えてみると、どういう科目(教科)を作るかを先に議論した方がよかったかも」とつぶやきながら後半に移ると、銭谷真美・東京国立博物館長(元文部科学事務次官)、押谷由夫・昭和女子大学教授(元文科省教科調査官)の両副座長が相次いで発言し、事務局案を支持。流れを決定付けたとみてよかろう。

 本社はむしろ、中村哲・関西学院大学教授の発言に注目したい。中村教授は学校現場でも取り組めるよう、次期学習指導要領の改訂に向けてコア(核)になる統合カリキュラムのような形で「人間科」といった新領域を検討することを提案した。

 文科省の有識者検討会や国立教育政策研究所(国研)が次期改訂の準備作業として「コンピテンシーに基づく教育課程改革」の検討に踏み込んでいることは、以前取り上げた通りだ。ただし国研が道徳性(心)も含めてスキル全体を構造化しようとしているのに対して、検討会座長の安彦忠彦・神奈川大学特別招聘教授は学力(知)を働かせるものとして人格(道徳性)を外に置くよう主張するなど「21世紀型能力」をどう体系付けるかは今後の検討・研究を待たねばならない。

 いずれにせよ、知的基盤社会ないしグローバル社会に向けて大胆な改革は避けられない。まさに「カリキュラム論の新たなアイデア」(中村教授)が求められよう。そんな時に従来の教科・領域観の延長線上で言葉だけ「新たな枠組み」だの「特別な教科」だのと言うのは、現行指導要領の改訂論議の時ならいざ知らず、もう古い。

 中教審高校教育部会で高校教育のコアとして「市民性」を位置付けたことも、改めて注目されよう。下村博文文部科学相も以前「人間学」という言葉を使っていた。中村教授の言うように、「道徳」という言葉にこだわる必要はない。

 教育委員会制度も含めて戦後教育は総じて駄目だと思っている人々は、戦前の修身のイメージからなかなか抜け切れないのだろう。しかし懇談会でも一部委員を除いて戦後道徳教育をいかに充実・発展させるかに心を砕いている。だからこそ一歩進んで、教科・領域主義にとらわれることなく未来志向でカリキュラムの在り方を論ずべきだ。

 それはもちろん懇談会報告の後でも構わないのだが、政治判断で一部改訂に走る拙速は将来に禍根を残すばかりか、学校現場に更なる負担を招きかねない。検討されている通り当面は新「心のノート」の活用で道徳教育の充実を図れば、教科化を急がなくても対応はできる。

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2013年10月12日 (土)

教委の在り方 政権が左右した「審議経過」報告

 審議会は行政や政治の隠れみの、という思いを改めて強くする。11日に公表された中央教育審議会教育制度分科会の審議経過報告のことである。

 10日に行われた同分科会の会合では、前回(9月26日)に引き続き新「教育長」「教育委員会」の在り方をめぐって激論が交わされた。いわゆるA案、B案だけでなく折衷案や別案を主張する委員もあったから、虚心坦懐(きょしんたんかい)に聞けばまだまだ議論を重ねる必要があると誰しも思ったろう。

 しかし小川正人分科会長がEメールのやりとりによる一任を取り付けることを提案すると、すかさず事務局が「一両日中に確定させたい」と補足。結果的に翌日の公表となった。

 それも大幅な修正があったのは後半の「国、都道府県、市町村の役割分担」の部分だけで、焦点である前半の「教育委員会制度の在り方について」ではA・B両案の図を新教育長との上下関係が明示されるようナナメ位置をタテ位置に替えたこと、現行制度に近いB案に対する否定的な意見が「多く」出されたという部分を「複数」に替えたぐらいだ。

 もともと具体的な教委制度改革のイメージ像が初めて示されたのは前々回(9月10日)であり、しかも4パターンがあった。それが前回2パターンに集約されたのも驚きだったが、素案の文章自体が首長を執行機関とするA案に誘導しようという意図が見え見えだった。

 それが今回、両論併記色を強めた案文に改められたわけだが、公表された報告には今回も激論があった「審議経過」は反映されていない。

 象徴的だったのが、4回前(8月22日)の会合だ。開始から1時間半が経過し、議論が審議経過報告のB案に当たるパターンに収れんしそうな流れになったことに対して、安倍晋三首相に近いとされる委員がこの日初めて口を開き「教委制度をどうするかという問題提起は、教委が機能していないんじゃないか、ということから始まった。どう考えても戦後の教育法はおかしい。このまま定められるのは納得いかない」とキャスター時代から変わらぬ口調で凄むと、審議を黙って聞いていた義家弘介政務官(当時)が最後に「私は初めから欠陥のある無責任な制度だと思っている。根幹や土台についてしっかりと議論してほしい。少なくとも6年前の(地方教育行政法の)改正時から先に進めないといけない」と迫った。前回の素案にあった、A案が「改革の必要性についての国民の期待に応える」改革案であるという表現は明らかに義家発言を受けたものであろう。

 分科会では大きく言って教育関係者側と首長側の対立があり、両者が歩み寄って一致点が見いだされたとはとても言い難い状況にある。だから現段階では両論併記が妥当なところだし、審議経過報告も教育関係者側が前回「押し戻し」た格好である。まさに国レベルで政治的中立性を担保する役割を担う中教審としては、面目躍如と言えなくもない。

 しかし小泉内閣時代に義務教育費国庫負担の在り方が焦点になった時、政権側がねじ込んだ首長団体代表の委員が強硬に一般財源化を主張したにもかかわらず制度堅持で突っぱねたのは、明らかに当時の文部科学相も支持した「オール教育界」の意向だったろう。今その雰囲気は、まったくない。

 教育関係者には不評の教員免許更新制も、中教審が一度見送りを結論したにもかかわらず政権側の強い意向で導入を押し切った。教育界を「悪平等」「形式主義」「閉鎖性・隠蔽(いんぺい)主義」「説明責任のなさ」「危機管理体制の欠如」と言葉を尽くして批判したのは、第1次安倍内閣の「教育再生会議」第1次報告であった。 

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2013年10月 2日 (水)

【池上鐘音】国家統一の象徴

▼2カ月前、某管理職団体の大会取材ついでに伊勢神宮を回ってきた。某紙のコラムによれば日本人も外国人も「あの森閑とした神域の中に身を置けば、日本の伝統文化のすごさに打たれる」のだそうだが、失礼ながら何も打たれなかった▼神社仏閣巡りを趣味とし、霊場の場数は踏んでいるつもりである。行場(ぎょうば)とおぼしき山中では、無意識のうちに革靴で走り回っていたことさえあった。しかしとりわけ内宮では「人工」というのが第一印象で、神の降臨を想像しようと目をつぶると『未知との遭遇』の有名なシーンが浮かんだ▼日本書紀に従っても天照大神は垂仁帝の時代に、大和から伊勢に移されている。中世以来の参詣者のにぎわいを思えば人工を感じても無理はないだろう。ちなみに、元の主人は「伊勢大神」であったようだ▼榎村寛之・斎宮歴史博物館課長は『伊勢神宮と古代王権』(筑摩書房)の中で「『天照大神』とは、天武天皇が壬申の乱に際して感得した神だ」との考えを示している。史書の編さんを命じたのも、天武その人だ。アマテラス中心のパンテオンは、その前後に構想されたのだろう。式年遷宮を創始したのは、天武の正妃だった持統天皇である▼だから王政復古を掲げた維新政府が律令官制の復活とともに国家神道を創作したのは、故なきことではない。そして国家神道が解体されて久しい現在に至るまで、神仏分離の呪縛から解き放たれていないように思う▼斎宮では仏を「中子」などと忌み言葉を使っていたことから、伊勢神宮は徹底して仏教を忌避してきたと巷間(こうかん)言われている。しかし祭祀を担ってきた渡会氏と荒木田氏は、それぞれ氏寺を持って後生の大事を願ってきた▼先ごろ亡くなった田村圓澄・九大名誉教授は「天照大神のイメージは、『金光明経』の所説にもとづいて形成されたのではないか」と指摘していた(『飛鳥・白鳳仏教史』吉川弘文館)。兄・天智に譲位を打診されながら出家して吉野に遁世(とんせい)したとされる天武が、当時の「国家神道」創出に仏教を援用したとしても不思議はない▼今でも奈良の大神神社がそうであるように、自然を神体としたのがカミ祭りの本来の姿であった。社殿の成立自体が、仏教の影響であるようだ。「イワシの頭も信心から」であるが、こんな時代だからこそ1300年余も続いた神事に敬意を表しつつ冷静な目は失わないようにしたい。

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