« 学テ校長名公表 まず知事自身の責任を問え | トップページ | 教委の在り方 政権が左右した「審議経過」報告 »

2013年10月 2日 (水)

【池上鐘音】国家統一の象徴

▼2カ月前、某管理職団体の大会取材ついでに伊勢神宮を回ってきた。某紙のコラムによれば日本人も外国人も「あの森閑とした神域の中に身を置けば、日本の伝統文化のすごさに打たれる」のだそうだが、失礼ながら何も打たれなかった▼神社仏閣巡りを趣味とし、霊場の場数は踏んでいるつもりである。行場(ぎょうば)とおぼしき山中では、無意識のうちに革靴で走り回っていたことさえあった。しかしとりわけ内宮では「人工」というのが第一印象で、神の降臨を想像しようと目をつぶると『未知との遭遇』の有名なシーンが浮かんだ▼日本書紀に従っても天照大神は垂仁帝の時代に、大和から伊勢に移されている。中世以来の参詣者のにぎわいを思えば人工を感じても無理はないだろう。ちなみに、元の主人は「伊勢大神」であったようだ▼榎村寛之・斎宮歴史博物館課長は『伊勢神宮と古代王権』(筑摩書房)の中で「『天照大神』とは、天武天皇が壬申の乱に際して感得した神だ」との考えを示している。史書の編さんを命じたのも、天武その人だ。アマテラス中心のパンテオンは、その前後に構想されたのだろう。式年遷宮を創始したのは、天武の正妃だった持統天皇である▼だから王政復古を掲げた維新政府が律令官制の復活とともに国家神道を創作したのは、故なきことではない。そして国家神道が解体されて久しい現在に至るまで、神仏分離の呪縛から解き放たれていないように思う▼斎宮では仏を「中子」などと忌み言葉を使っていたことから、伊勢神宮は徹底して仏教を忌避してきたと巷間(こうかん)言われている。しかし祭祀を担ってきた渡会氏と荒木田氏は、それぞれ氏寺を持って後生の大事を願ってきた▼先ごろ亡くなった田村圓澄・九大名誉教授は「天照大神のイメージは、『金光明経』の所説にもとづいて形成されたのではないか」と指摘していた(『飛鳥・白鳳仏教史』吉川弘文館)。兄・天智に譲位を打診されながら出家して吉野に遁世(とんせい)したとされる天武が、当時の「国家神道」創出に仏教を援用したとしても不思議はない▼今でも奈良の大神神社がそうであるように、自然を神体としたのがカミ祭りの本来の姿であった。社殿の成立自体が、仏教の影響であるようだ。「イワシの頭も信心から」であるが、こんな時代だからこそ1300年余も続いた神事に敬意を表しつつ冷静な目は失わないようにしたい。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

|

« 学テ校長名公表 まず知事自身の責任を問え | トップページ | 教委の在り方 政権が左右した「審議経過」報告 »

コラム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506419/58309328

この記事へのトラックバック一覧です: 【池上鐘音】国家統一の象徴:

« 学テ校長名公表 まず知事自身の責任を問え | トップページ | 教委の在り方 政権が左右した「審議経過」報告 »