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2013年10月12日 (土)

教委の在り方 政権が左右した「審議経過」報告

 審議会は行政や政治の隠れみの、という思いを改めて強くする。11日に公表された中央教育審議会教育制度分科会の審議経過報告のことである。

 10日に行われた同分科会の会合では、前回(9月26日)に引き続き新「教育長」「教育委員会」の在り方をめぐって激論が交わされた。いわゆるA案、B案だけでなく折衷案や別案を主張する委員もあったから、虚心坦懐(きょしんたんかい)に聞けばまだまだ議論を重ねる必要があると誰しも思ったろう。

 しかし小川正人分科会長がEメールのやりとりによる一任を取り付けることを提案すると、すかさず事務局が「一両日中に確定させたい」と補足。結果的に翌日の公表となった。

 それも大幅な修正があったのは後半の「国、都道府県、市町村の役割分担」の部分だけで、焦点である前半の「教育委員会制度の在り方について」ではA・B両案の図を新教育長との上下関係が明示されるようナナメ位置をタテ位置に替えたこと、現行制度に近いB案に対する否定的な意見が「多く」出されたという部分を「複数」に替えたぐらいだ。

 もともと具体的な教委制度改革のイメージ像が初めて示されたのは前々回(9月10日)であり、しかも4パターンがあった。それが前回2パターンに集約されたのも驚きだったが、素案の文章自体が首長を執行機関とするA案に誘導しようという意図が見え見えだった。

 それが今回、両論併記色を強めた案文に改められたわけだが、公表された報告には今回も激論があった「審議経過」は反映されていない。

 象徴的だったのが、4回前(8月22日)の会合だ。開始から1時間半が経過し、議論が審議経過報告のB案に当たるパターンに収れんしそうな流れになったことに対して、安倍晋三首相に近いとされる委員がこの日初めて口を開き「教委制度をどうするかという問題提起は、教委が機能していないんじゃないか、ということから始まった。どう考えても戦後の教育法はおかしい。このまま定められるのは納得いかない」とキャスター時代から変わらぬ口調で凄むと、審議を黙って聞いていた義家弘介政務官(当時)が最後に「私は初めから欠陥のある無責任な制度だと思っている。根幹や土台についてしっかりと議論してほしい。少なくとも6年前の(地方教育行政法の)改正時から先に進めないといけない」と迫った。前回の素案にあった、A案が「改革の必要性についての国民の期待に応える」改革案であるという表現は明らかに義家発言を受けたものであろう。

 分科会では大きく言って教育関係者側と首長側の対立があり、両者が歩み寄って一致点が見いだされたとはとても言い難い状況にある。だから現段階では両論併記が妥当なところだし、審議経過報告も教育関係者側が前回「押し戻し」た格好である。まさに国レベルで政治的中立性を担保する役割を担う中教審としては、面目躍如と言えなくもない。

 しかし小泉内閣時代に義務教育費国庫負担の在り方が焦点になった時、政権側がねじ込んだ首長団体代表の委員が強硬に一般財源化を主張したにもかかわらず制度堅持で突っぱねたのは、明らかに当時の文部科学相も支持した「オール教育界」の意向だったろう。今その雰囲気は、まったくない。

 教育関係者には不評の教員免許更新制も、中教審が一度見送りを結論したにもかかわらず政権側の強い意向で導入を押し切った。教育界を「悪平等」「形式主義」「閉鎖性・隠蔽(いんぺい)主義」「説明責任のなさ」「危機管理体制の欠如」と言葉を尽くして批判したのは、第1次安倍内閣の「教育再生会議」第1次報告であった。 

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