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2013年11月27日 (水)

【池上鐘音】運用の危険性

▼27日に行われた中教審教育制度分科会の論議を聞きながら、いま国会で火花を散らしている特定秘密保護法案を思い浮かべた。運用で拡大解釈される恐れがあるという点では、首長を教育行政の「執行機関」とする答申案も同根だと▼教育再生実行会議の第2次提言が出たとき、正直それほど大きな問題になるとは思わなかった。「教育長を教育行政の責任者とする」という限りでは、実態とそれほど変わりはないからだ。途中、執行機関・補助機関・附属機関の位置付けを4パターン化した事務局資料を見ても、ああ法的には面倒なんだなとしか感じなかった▼しかし審議の過程で首長を教育行政の執行機関と位置付けることの危険性が主に教育関係者の委員から指摘されるにつれ、考えを改めた。確かに運用で、今以上に首長の暴走を助長する危険性があるのではないかと▼前回の会合では、いわゆるA案=制度改革案その1(首長を執行機関と位置付ける案)あるいはB案=同その2(新しい教育委員会を引き続き執行機関とする案)のどちらを採用するにせよ、政治的中立性・継続性・安定性を担保する方向で収束しかけたかに見えた。しかし今回A案を基本とする答申案が示されるに及んで、首長委員側との対立が再燃した▼暴走する「0.何%の首長」を心配して歯止めを掛けるのか、これまでも問題のない「99.何%」を信頼して制度設計するのか。そんな議論にも及んだ。森民夫・新潟県長岡市長は「0.何%のことを考えて制度を作ると、角を矯めて牛を殺すことになる」と説いた▼一方、会合冒頭でA案一色の答申案に断固反対の口火を切った梶田叡一・奈良学園理事は終盤2回目の発言で、教委や警察、選管が首長から一定の距離を保つよう担保されていることを「戦後民主主義の象徴だ」としながら「思い出してほしい。ヒットラーも選挙で選ばれたことを」と更に語気を強めた▼どちらが牛を殺すことになるのか。牛を殺さないようにするには、どのような歯止めを掛けるのか。あと1回で答申をまとめるには、まだまだ論議が足りない。もっとも門川大作・京都市長が自嘲するように、今でも運用によって「大抵のことはできる」のは0.何%の実例を見れば明らかだ▼梶田氏にしても門川氏にしてもこれまでの会合で、かつて革新府市政に泣かされた経験をたびたび例に挙げていた。右も左も、権力を握れば暴走する。それに制度的な歯止めを掛けるのが、歴史的教訓のはずだ。学生時代さんざん聞かされた「ナチスが共産主義者を攻撃したとき―」というマルティン・ニーメラーの詩が本当に現実味を帯びてきたような気がして、背筋が寒くなった。

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