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2014年1月

2014年1月28日 (火)

【内側追抜】NHK会長発言

 首相の周りには、もっと普通の人はいないのか。

   ――某与党幹部

 あたくしの周りとネットの中にしか、普通の人はいないんですかね。

   ――某首相

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2014年1月10日 (金)

【社告】本社関連掲載情報

 

 ダイヤモンド社のビジネス情報サイト「ダイヤモンド・オンライン」(DOL)の記事「『ゆとり教育はやはりダメだった』は本当か? 国際学力調査で日本の順位が急復活した本当の理由」 に、本社論説委員のコメントが引用されています。特に「ゆとり教育は転換された」と信じ込んでいる方、「ゆとり世代」とさげすまれて萎縮している方は、ぜひご一読ください。

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【社告】社員掲載情報

 本日付産経新聞に、本社論説委員のインタビューが掲載されています(お見苦しいツラで恐縮です)

 関連配信記事もご参照ください。
「朝練禁止」だけじゃない……望ましい部活の在り方は ‐渡辺敦司‐(ベネッセ教育情報サイト2013.12.13)

 

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2014年1月 2日 (木)

政権の暴走監視し未来志向の教育へ

 昨年後半の大きな焦点の一つだった中央教育審議会の教育委員会制度改革論議で、こんなやりとりがあった。教育行政の執行機関を合議制教育委員会から首長へと移管する案に、首長の「暴走」を懸念する教育畑委員に対し、ある首長委員は国を引き合いに反論した。文部科学相は政治家であり、法的には中教審答申の尊重義務すらないのに、政治的中立性は問題になっていないではないか――と。

 本当だろうか。昨年1年間の動きを見ていると、むしろ国レベルでも政治的中立性を損なう懸念が現実のものになりそうな気配さえ感じられる。

 その最たるものが、教科書改革だろう。編集・検定・採択の全サイクルにわたる「教科書改革実行プラン」を11月15日に下村博文文科相が示すと、教科用図書検定調査審議会(検定審)、中教審初等中等教育分科会とも実質2回の審議で事務局案を丸のみしてしまった。基本的にボトムアップを重んじてきた戦後教育行政が、政治主導を超えて政治が「主」になってしまった思いがする。

 道徳教育に関しては、「特別の教科」と位置付ける限りでは現行の「道徳の時間」と大きく変わるものではない。下村文科相も懇談会の冒頭あいさつで、修身の復活ではないと機先を制した。検定教科書を発行すべきだとしたことも、「私たちの道徳」(新「心のノート」)の国定化よりはまっとうだ。

 しかしそこに検定基準の改正が加わると、がぜん危うさが漂う。下村文科相は「新しい教育基本法の趣旨にのっとって書かれていない教科書」があることを問題視するが、具体的に何をもって「のっとっていない」と判断しているのかは明言を避けている。何が「のっとっていない」かをめぐって、教科書会社に今まで以上の疑心暗鬼と萎縮をもたらすのは目に見えている。

 きな臭さをさらに加えているのが、安倍政権に乗じた地方での動きだ。2013年度教科書採択では、実教出版の高校日本史教科書をめぐって「不採択運動」とでも言うべき事態が幾つかの都府県で起こった。東京書籍に次ぐ特定教科書の標的化には、別の特定教科書の採択を広げたい勢力の影がちらつく。

 本社は第2次安倍内閣の発足以来、下村文教行政に対して警戒しつつも期待を掛けてきた。警戒と期待が併存していることに、変わりはない。しかし今や、警戒を強めるべき時かもしれない。

 下村文科相はまた、招致が成功した東京オリンピック・パラリンピックを「ターゲットイヤー」として、教育改革を加速化することを表明している。そのこと自体に異存はないし、2020年に合わせた学習指導要領の改訂にも大いに同意したい。

 しかし次期改訂は、英語教育や伝統文化の尊重など政権の関心事に矮小化されるべきではない。国際的には「コンピテンシー(能力)に基づく教育課程改革」が潮流であり、既に国立教育政策研究所は「21世紀型能力」として「生きる力」を具体化する日本型コンピテンシーの提言を行っている。

 PISA(経済協力開発機構=OECD=の「生徒の学習到達度調査」)2012の結果をめぐっては日本の好成績に安心感が広がっているようだが、大学入試で1点刻みを改めようとしている時に、国レベルで点数主義・順位主義の発想がこびりついているのはいただけない。OECDが今後のPISAで「協調型問題解決能力」や「グローバル・コンピテンシー」を測定しようとしているように、未来志向型の教育が国際的にも求められている。日本もその潮流に、遅れてはならない。

 教育改革論議に際しては中教審だけでなく、教育現場の役割が欠かせない。グローバル化を例に取っても、遠い世界の限られた人材育成の話では決してなく、ローカル(地方)の隅々に影響が及ぶものだ。第一、既にどの地域でも日本と異なる文化的背景を持つ子どもがクラスに1人以上いるのが普通の光景になっている。むしろ「グローカル」な立場から、実践を提起すべきではないか。

  「上から降ってくる教育改革」に、現場は疲弊し切っている。しかし、このままではさらに理不尽な改革が降ってくるだけだ。グローバルな未来を担う子どもを育てるためにも、思考停止に陥ってはならない。考える余裕や新たな教育実践を試みる時間がないというなら、堂々と条件整備を主張すればよい。そうでなければ、ヒト・モノ・カネも付かないまま精神主義で対応を迫られることになる。

 暴走しかねない政権を監視し、現場に根差した未来志向の教育改革を進める――。 困難かもしれないが、少なくとも今年はその道を進むしかない。一介のフリーによるウソ新聞社は微力に過ぎないが、教育マスコミの一端を担う者として念頭に当たり決意を表明しておきたい。

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