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2015年2月

2015年2月27日 (金)

川崎中1殺害 まず検証すべきは安倍政権だ

 川崎市の多摩川河川敷で市立中学校1年生男子が殺害された事件は、加害者も少年だけに現段階で軽々な論評は控えたい。しかし下村博文文部科学相が職員を派遣して学校や教育委員会の対応に問題がなかったかどうかを検証するとともに、同じような子どもがいないか全国調査を行うとしたのには強烈な違和感を覚える。

 
 何でもかんでも政治のせいにするつもりはないが、今回はあえて言いたい。まず検証すべきは、安倍政権の姿勢だ。

  「教育課程をこなすのに精いっぱいで、現場は疲弊している」――。事件前、川崎市の学校関係者からそう聞いていた。同市に限らず、全国に共通する叫びだろう。

 そうした状況をもたらしたのは、安倍政権に他ならない。

 第1次安倍内閣の「教育再生会議」は、オール教育界の「悪平等」「形式主義」「閉鎖性・隠蔽(いんぺい)主義」「説明責任のなさ」「危機管理体制の欠如」を一くくりに糾弾して現場の意気を消沈させたのみならず、「『ゆとり教育』を見直し、学力を向上する」と称して授業時数の10%増とともに教科書を厚くすることを提言した。それが今の学習指導要領だ。一方で文部科学省は「生きる力」育成の既定路線に則り、言語活動の充実など「活用」力の強化も図った。その結果もたらされたのが、先のような状況だ。

 それにもかかわらず被害男子の担任教諭は、30回以上にわたって連絡を取ろうとしたという。これ以上、何が「足らない」というのか。もちろん警察など外部との連携が不十分だったかもしれないが、それも外部連携の余裕があってのことである。教育基本法改正で家庭の責任を盛り込んだところで、何もなっていないではないか。

 安倍首相は衆院予算委で「できることは何でもやっていくという思いで今後、取り組んでいきたい」と述べた。ならばさっさと予算案を修正して、最低限でも隣の横浜市が付けている児童支援専任教諭のような加配を行って全国に配置すればよかろう。思いだけで「実行」性が伴わなければ、単なる精神主義でしかない。

 本社は、文科省がこれまで進めてきた教育課程改革を否定しない。それどころか、現在進めようとしている「コンピテンシー(資質・能力)に基づく教育課程改革」に大きな期待を表明してきたところである。それだけにアクティブ・ラーニングをはじめとした学習活動に今以上の時間を割くためには、習得させるべき学習内容の大幅なスリム化が避けられない。いわゆる「ゆとり教育」の3割削減どころではない。そこまで大胆な転換を図らなければ、教育課程の「構造改革」は実現できまい。

  「世界トップクラスの学力」を回復させたのは第1次安倍内閣の成果、などと浮かれている場合ではない。その間、成果を求められた学校現場がどれだけ血のにじむ努力をしてきたか本当に分かっているのか。一方で現場は、次々と降ってくる教育課題に判断停止している。そんな中で「子どもと向き合う時間の確保」策など長々と議論しているのは、「チーム学校」などと新機軸を打ち出したところで政治の無策を証明しているに等しい。

 政治にしかできない政策を打ち出してこそ、実行性である。第2次安倍内閣は第1次の反省からか表面的に現場をバッシングするようなことは控えているようだが、実際やっていることはそう変わらない。その体質を反省することの方が、まずは先だ。

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