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2015年6月 3日 (水)

教職員定数 「授業革新」に算定方法の抜本見直しを

 財政制度等審議会が今年の建議で義務教育教職員の「定数合理化計画」策定を提案した。さっそく下村博文文部科学相が記者会見で反論し、参院文教科学委員会も定数充実を求める決議を全会一致で可決した。

 教育費削減を求める財政当局に対して教育界がこぞって反対する――年中行事と言えばそれまでだが、今回は財務省が「標準学級あたりの加配定数」という妙手を打ち出しているのが特色だ。しかし、お互いが自陣に都合の良いエビデンス(論拠)を持ち出して空中戦を繰り返している間にも、学校現場はますます疲弊してしまっている。

 ここらで抜本的な発想の転換をすべきではないか。すなわち、学級数を基礎とした定数の算定方法を見直すのである。

 上限人数の決まった一つのクラスに1人の担任、というのが算定基礎中の基礎である。しかし、これは量的拡大への対応が至上命題だった時代の発想であり、新人もベテランも同じヒラ教員というフィクションが成り立っていた時代に通用した話である。近年ではチーム・ティーチング(TT)のほか初任者に退職教員を指導役として付ける例も一般化しているが、それでも経験年数にかかわらず同じ人数の学級を持つ原則に変わりはない。

 そもそも1クラスが一律40人とか35人とかいうのが、質的向上を図ろうとする今の時代に合っているのか。20人でも手を焼く教員もいれば、50人でも生き生きとした授業を展開できる者もいよう。学校や地域によっても、子どもの事情は違う。ましてや今後、アクティブ・ラーニング(AL)を含めた「授業革新」が求められる時代である。

 学級編制や担当教員の配置は各学校の裁量に任せる。定数算定に当たっては、児童生徒数に加えて教員の経験年数や指導・学習方法を勘案した新たな算定基準を定める。都道府県内での配分は、更に柔軟な総額裁量制の運用を図る――。そんな発想があってもいいのではないか。

 クラスサイズを下げるよりも教員の資質・能力向上を、という経済協力開発機構(OECD)の指摘もうなずける。しかし、単に学級編制標準の改善を抑えるための口実に使うのはいかがなものか。では資質・能力向上をどうやって図るのかというと、「子どもと向き合う時間の確保」だの「チーム学校」だのを論議するばかりでは、有効な手立てになるとは思えない。

 欧米よりはるかに多い児童生徒を受け持ち、かつ平均として高い学力を達成させてきたのが日本の教員の「強み」である。しかもそれは今のところ「21世紀型」学力はもとより、東日本大震災のような危機に際しても十分に効果を発揮していると評価されている。だからこそOECDが2030年に向けた教育の在り方を探る共同プロジェクトのパートナーとして、日本を選んだのだ。その強みをいかに伸ばすかを考えることの方が真の意味での成長戦略だと思うのだが、自分たちの強みが国内で一向に理解されていないのが残念でならない。

 もちろんノンキャリアのプロパーにしか実務が理解できないような標準法をいじるのがどれだけ困難か、知らないわけではない。しかし、それだけ突飛な発想をしなければ学校現場の困難は未来永劫解消できない、という気が最近している。少なくとも政治主導がさっぱり期待できない中では、そんな戯言でも主張しなければ事態の推移を追っていてもむなしくなるばかりである。

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