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2015年10月

2015年10月10日 (土)

【内側追抜】1億総活躍相

 「最も重要な担当は、国体の明徴、国民精神の涵養振作であります」

   ――官邸

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2015年10月 9日 (金)

【社告】本社社員出演情報

 20時55分ごろ、首都圏ネットのFMラジオJ-WAVE(81.3mhz)『JAM THE WORLD』(パーソナリティー=瀬戸久美子・日経ウーマン副編集長)のコーナーに本社論説委員が出演を予定しています。テーマは「主権者教育」。

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2015年10月 7日 (水)

「都合の良いお友達」に終始した下村文科相

 第2次安倍内閣発足当初から2年9カ月にわたって文部科学相を務めた下村博文氏が、馳浩氏にその座を譲った。形式上は新国立競技場問題での引責ということになっているが、昨年9月の留任時点で自民党総裁選後の交代を公言していたから、給与の自主返納以外は事実上おとがめなしと言うべきだろう。

 晩節を汚した格好になったものの、下村氏が近年でも出色の文科相であったことは認めてよい。本社も在任中、その言動に肯定的な評価をすることが少なくなかった。とりわけ日本学生支援機構の奨学金に「有利子から無利子へ」の流れをつけたのは、交通遺児として苦学した下村氏の信念が貫かれた最大の功績だ。「トビタテ! 留学JAPAN」の創設も加えてよい。フリースクールの“公認”に道筋をつけたのも、この人ならではだ。民主党政権で長く副大臣を務めた鈴木寛氏を大臣補佐官に据えたのも、単なる保守政治家とは一味違う度量の深さをみせた。

 ここで、はたと考えてしまう。それ以外のことで、下村氏の個人的信念が発揮される場面はあったのか。教育界にとって、前進と言える施策があったのか、と。

 もちろん、下村氏の功績を客観的に語るには「教育再生」をおいて他にない。教育再生担当相を兼任して教育再生実行会議をてこに、いじめ対策推進法の制定、教育委員会制度の改革、道徳の教科化などを矢継ぎ早に「実行」していったのは確かだ。

 しかしそれが本当に有効で、評価されるべきものであったのか。対策法が制定されても、いじめ自殺は続出している。教委制度改革も与党協議の末とはいえ執行機関としての教育委員会は残されるという、良くも悪くも中途半端なものになった。いずれも多くの自治体では、現状が劇的に変わったわけではない。

 道徳教育に関しては、あえて肯定的に評価すべきだろうか。道徳の教科化は第1次安倍内閣、ひいては自民党の悲願ではあったが、次期学習指導要領の先取りとも言うべき「考え、議論する道徳」を打ち出したの点で修身の復活のような復古主義的改革とは一線を画している。一方で領土教育などのように裏技とも言うべき強引な手法は、将来に禍根を残した。

 高大接続改革に、工程表まで策定させて後戻りできないようにしたことを挙げる人もいる。しかし高大接続改革は民主党政権からの課題であり、時代の要請でもある。下村氏の果たした役割を過大評価すべきではない。むしろ学力調査である高等学校基礎学力テストと、入学試験としての大学入学者学力評価テストを一緒くたにしてしまったことは、自民党教育再生実行本部長だった遠藤利明・現五輪相とともに判断の誤りを問われるべきかもしれない。

 下村氏が明らかに思いを貫けなかったのが、教育費の無償化に先べんをつけることだ。もちろん、それが困難を極めることは氏自身がよく分かっていた。だからこそ2013年4月の日本記者クラブ講演では、教育目的税構想さえ打ち出した。しかし氏の集大成とでも言うべき実行会議の第8次提言は、霞が関文学の極致とも言っていいほど無残な姿をさらす結果になった。

 下村文教行政の限界を象徴的に示したのが、教職員定数改善ではなかったか。政権交代後から再三、定数改善の新計画策定を要求したにもかかわらず、計画のケの字も盛り込ませることはできなかったばかりか、財務省から「合理化計画」を逆提案されるしまつである。安倍内閣が考える「教育再生」や下村氏個人の思いは実現できても、現場の疲弊を回復させることには無力だった。

 官邸も含め、安倍政権は第1次の時から「お友達」で固められていると批判されてきた。中でも下村氏は、しばしば首相と食事を共にする、お友達中のお友達だ。もともとイデオロギーを同じくする同士であり、第1次内閣を支えただけでなく第2次内閣の実現にも尽力した。だからこそ先の改造でも「重要閣僚」の一人として留任することになったのだろう。しかし肝心のところでは言うことを聞いてもらえない、首相にとっての「都合の良いお友達」でしかないのではないか。

 出色の文科相であっただけに、その限界は厳しく総括すべきだろう。そして「お友達」から脱却するところに、氏の今後の政治家としての課題があるように思う。それができなければ、少なくとも文教行政への再登場を期待する気にはなれない。

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