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2015年11月30日 (月)

教育のエビデンス 求めるところが間違っている

 永田町・霞が関を幽霊が徘徊している。エビデンス(科学的根拠)という幽霊が――。使い古されたマルクスのもじりが、ある意味ぴったり来る。その実態が、枯れ尾花のように極めて怪しいものだからだ。

 「教職員定数増を要求するなら、それで教育が良くなるというエビデンスを出せ」という言説が流布している。まずは5月の財政制度等審議会、次いで経済財政諮問会議、そして行政改革推進会議で「根拠を示せ」の大合唱だ。出所は同じようなものだろう。要するに難癖を付けて、予算増を牽制したい狙いが透けて見える。しかし、こうした主張は二重の意味で間違っていよう。

 授業の専門家」(財政審財政制度分科会資料)と短絡する認識だ。「教科指導だけでなく、生徒指導は教員の中核的業務」(中央教育審議会提出の文部科学省資料)だという教育界の常識を一向に理解しようとせず、テストで測れる学力だけでエビデンスを測定しようとしている。

 これは決して「学校の常識は世間の非常識」という話ではない。記憶できる知識にとどまらない21世紀型スキルを育てているからこそ、日本の教育は経済協力開発機構(OECD)など世界から評価され、文科省が来年度概算要求で「輸出」を盛り込むほど豊かな潜在能力を持っている。そうしたことに、目を向けようとさえしない。

 昨年までも「これまで教職員定数を増やしたり、クラスサイズを縮小したりしても、学力は向上していないではないか」とするエビデンスの主張はあった。今年は現状を認めつつ「増やすなら」と文科省側に立証責任を求め、そうでなければ自然減に応じて加配定数を削減する「合理化計画」を打ち出しているところが新機軸だ。経済産業省サイドも、これに援護射撃する格好になっている。しかし、的外れであるという本質に変わりはない;

 二つ目の間違いは、エビデンスを求める先だ。本来は何らかの政策目標があって、そのためにどのような財源を確保し、投資するかという戦略のために使うのがエビデンスであろう。しかし往々にして日本の政策目標は、抽象的でエビデンスに耐えうるものがない。教育分野で言えば、「世界トップレベルの学力と規範意識」というのが代表例だ。

 世界トップレベルの学力といった時、必ず引き合いに出されるのがOECDの生徒の学習到達度調査(PISA)だ。しかし財政当局などは、エビデンスを最も重視するOECD自身が日本を「ずっと世界トップクラスであり続けている」と評価していることには目を向けようともせず、内向きの論議で「学力は低下した」というエビデンスにしようとしている。どこが科学的、論理的なのか。

 実は本社は、定数改善によって学校現場が良くなるとは思っていない。これ以上の疲弊を防ぎ、複雑化する課題に対応するための、現状維持を目指した要求でしかない。むしろ10年間、改善計画を策定してこなかったツケの一部を払おうとしているにすぎない。エビデンスもなしに要求をはね続けておきながら、エビデンスを出せとは筋が通らない。

 経済学者が学力を論じた本が15万部を超えるベストセラーになっているという。教育に詳しい者が読めば、そこで語られる「学力」や「教育」がいかに皮相的かは一目瞭然なのだが、経済学の一分野である教育経済学の視野には入らないらしい。そんな学者が諮問会議の委員として教育のエビデンスを主張し、最近では教育委員会や学校で講演しているというのだから、教育に対する無理解がますます広がりはしないかと心配になる。

 かつて小泉純一郎政権下で横行していた規制緩和・自由競争論者みたいだ――と思っていたら、果たして当時の経済財政相の弟子だという。幽霊の正体を見た気がする。



【本社関連記事】
先生の数の増減に「科学的根拠」って……?‐渡辺敦司‐
(ベネッセ教育情報サイト 2015.11.18)
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(同 2015.11.20)

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