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2016年12月

2016年12月30日 (金)

TIMSS・PISA(下)読解力 読み方がズレている

 2015年に実施された二つの国際学力調査では、好調だった理数系とは裏腹に、PISA(経済協力開発機構=OECD=の「生徒の学習到達度調査」)の読解力が前回(PISA2012)に比べ有意に低下した。「理由が見当たらない」と戸惑いをみせながらも分析を披露していた文部科学省の説明は、若干苦しかったように思う。というより、事は「テスト」ではない「調査」(アセスメント)の読み方という、本質的な問題なのかもしれない。

 そのことが非常に分かりやすく示されたのが、15日に行われたNPO法人教育テスト研究センター(CRET)など主催のシンポジウムだった。信州大学の林寛平・大学院助教は「大規模国際アセスメントの目的と限界を正しく理解し、『犯人捜し』ではなく、長期的な視点に立った政策立案につながることを期待したい」と述べていた。

 林助教によると、そもそも読解力の測定は他の分野に比べて振れ幅が大きい。しかもPISA自体、相関しか示せず、因果まで説明できないものである。PISAの調査設計には国際的合意が必要なので、長い時間が掛かる。教育政策の改善は、それを待ってはいられない。読解力が「低下」したというのなら、その要因は他の調査などで補うなど立体的に分析すべきだ、という。

 そう考えると、初めてPISAとTIMSS(国際教育到達度評価学会=IEA=の「国際数学・理科教育動向調査」)が同時発表された2004年末の「悪夢」を思い出す。PISA2003で数学的リテラシーや科学的リテラシー以上に読解力が大幅に落ち込んだことが、学力低下の客観的根拠だと騒ぎ立てられたことだ。

 国際順位の「低下」は、参加国・地域の増加によるものが大きい。読解力調査は初回のPISA2000で中心分野だったから、一応は前回の得点差が統計的に有意なら低下したとは言えるのだが、もともと振れ幅が大きいとしたらそう深刻になる必要はなかったはずだ。OECD当局も当時「日本は依然トップグループだ」と評価していた。

 それを当時の文科省までもが「もはや日本はトップではない」と認め、読解力指導の強化に乗り出した。そのこと自体は悪くない。しかし今に至るまでの「ゆとり」「脱ゆとり」の混迷に自ら足をはめたことは、2008年、そして2017年の学習指導要領改訂にまで良くない影響を及ぼしたとしたら残念である。

 PISA2015が全面的にコンピューター使用型調査に移行した影響が、読解力の測定に影響を与えたことは否定できない。林助教も「過去の得点との比較可能性が若干損なわれた」と指摘していた。

 改めて当局者のアンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長の言に耳を傾けてみよう。「得点が下がったと考えるのではなく、21世紀型スキルを身に付けさせるために教育はどのような改善ができるのか、という見方をしたい」

 いま考えるべきは、これから人工知能(AI)時代に生きる子どもたちに「デジタル読解力」をいかに身に付けさせるかだ。まとめサイトが社会問題化する中、情報の真偽を判断する力も「意味」を理解できる人間にしかできない資質・能力だろう。

 文科省もよく分かっているはずだ。だからこそ新井紀子・国立情報学研究所教授と連携するなどして分析調査に乗り出すのだろう。しかし対策が「読解力対策」に終始する限り、学校現場に対して「これからは読解力の向上が重要だ。そのためには、まず語彙(ごい)の教え込みが必要だ」という、ズレたメッセージを与えかねない。

 次期指導要領については新年に改めて論じたいが、せっかくコンテンツ(学習内容)ベースからコンピテンシー(資質・能力)へのシフトを展望した教育課程の構造化が試みられたというのに、調査や指導の捉え方が従来のままでは的外れな改革になってしまう。何より文科省自身が「脱ゆとり宣言」の自縄自縛で国が指導を強化すれば学力も「向上」すると思ったままでは、先が思いやられるというより現場をますます苦しめることになりはすまいかと危惧する。

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2016年12月 8日 (木)

【社告】本社社員出演情報

 本日20時15分ごろ、フジテレビ報道局のインターネットニュース専門チャンネル「ホウドウキョク」に本社論説委員が電話出演を予定しています。テーマは「学習到達度調査 日本、科学と数学は順位上がるも読解力は4位から8位に」。

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2016年12月 7日 (水)

TIMSS・PISA(上)理数系 “教科の外から出ない”改革?

 代表的な二つの国際学力調査、TIMSS(国際教育到達度評価学会=IEA=の「国際数学・理科教育動向調査」)とPISA(経済協力開発機構=OECD=の「生徒の学習到達度調査」)の2015年結果が、相次いで発表された。6日の中央教育審議会教育課程企画特別部会はPISA解禁に合わせて19時からの開会となったが、30分前の開場と同時に配られた資料に「ポイント」が入っていたのはフライングではないのか――という難癖はおいておこう。

 理数系(TIMSSは算数・数学と理科、PISAは数学的リテラシーと科学的リテラシー)に関して文部科学省は、現行学習指導要領で授業時数や学習内容を大幅に増やしたため、ともに前回(各11年、12年)に比べ改善したとしている。しかし、手放しで喜んでいいのか。PISAの読解力に課題があることは明らかだが、調査結果をどう評価するか、われわれ自身の読解力も問われよう。

 学校で学んだ知識・技能を測るTIMSSの得点は、いずれも前回より統計的に有意な上昇となっている。文科省が言うように、指導要領改訂の効果があったと認めてよい。実社会の課題に活用できる力を問うPISAも数学が前回の参加国中7位から5位(OECD加盟国中2位から1位)、科学が4位から2位(同いずれも1位)に上昇した。

 ただしPISAの報告書や要約を読むと、意外なことが書いてある。数学は比較可能な03年以降、科学は同06年以降、得点差に統計的有意差はないというのだ。03年の「PISAショック」はもとより、06年の結果も、文科省は「もはや日本は世界トップクラスではない」根拠にしたのではなかったのか。

 文科省が挙げるもう一つの改善理由が、質問紙調査の結果だ。確かにTIMSSもPISAも、国際平均より依然低いものの「学習が楽しい」「将来に役に立つ」という回答が増加しているのは「改善」と言えなくもない。

 しかしOECDの説明を聞くと、見方が少し変わってくる。日本は科学の成績が高いにもかかわらず、学習を楽しんでいる度合いも、将来の職業につなげようという意欲も低い。

 ここから何を読み取るか。日本の生徒は、あくまで授業を「勉強」、あるいは良い成績を取る対象としか捉えておらず、社会につなげようという意識が薄い――もっと言えば、社会とは関係のないものと思っていないだろうか。

 学習の生産性という分析も興味深い。日本は理科の学習時間が比較的短いにもかかわらず、PISAで好成績を収めている「生産性の高い」国だ。確かに文科省が説明するように、授業では観察・実験の機会は増えただろうし、OECDもその点を評価する。しかし、それが肝心の生徒に伝わっておらず、単なるテストのための勉強のままだとしたら、どうなるのか。

 教育改革に関しては昔からよく「教室の戸で止まっている」というような言い方がされてきた。実際の授業や教員に反映していない、という例えだ。それに倣えば、教科の学習がいつまでも教科の外に出ない、もっと言えばペーパーテストの紙の上に閉じこもったままなのではないか。

 理科の学習は、職業に直結するだけではない。主権者として社会の課題を科学的な知識や思考力を基に判断し、意思決定するためにも不可欠だ。あえて例を挙げるなら、いくら放射線教育を強化したとしても、原発避難者に対する偏見がなくならなかったり、立地県以外に原発再稼働に対する関心が薄かったりしていては、何にもならない。

 とかく日本ではテストといえば、少しでも高い点数が取れればいい、順位は一つでも上の方がいい、と考えがちになる。しかし、両者が「テスト」でなく「調査」であることは、全国学力・学習状況調査と同じだ。とりわけPISAは国際学力コンテストではあり得ず、結果を科学的根拠(エビデンス)として各国の教育政策に反映させることを目的としている。そこから読み取るべき課題を読み取らずに「改善」を喜んでいては、「社会に開かれた教育課程」の行く手が阻まれることにならないか。6日の特別部会で次期学習指導要領の答申案が示されただけに、ますます心配になる。

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