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2017年2月10日 (金)

新指導要領(2) 「三つの柱」更なる検証を

 育成すべき「資質・能力の三つの柱」を基に、教科・領域等に横串を、学校段階に縦串を刺して、学習指導要領を「構造化」する――。今回改訂の眼目である。今後10年に向けた検証の第一は、まさに「三つの柱」自体に置かれるべきだろう。

 ①知識・技能②思考力・判断力・表現力③学びに向かう力・人間性等。これら三つの柱が、学校教育法30条2項で定める「学力の3要素」(①知識・技能②思考力・判断力・表現力③学習態度)に沿ったものであることは容易に想像がつこう。

 だから「学力の3要素」との違いをめぐって混乱が起きて当然だし、過去の例からも一字一句の違いをめぐって“トンデモ解釈”が流布する恐れさえある。それはひとえに、緻密で分かりにくい「構造化」を選んだ文部科学省の責任である。

 「三つの柱」に比べれば、改訂の準備作業段階で国立教育政策研究所(国研)が提唱した「21世紀型能力」の方がよほど分かりやすく、すっきりしていた。基礎力・思考力・実践力の3層構造で、思考力が中心となって「生きる力」を育成する、というものだ。

 「資質・能力」検討会では国研の報告に対して、3層の外に「人格」を位置付けることを求めた。それによってますます「日本型資質・能力の枠組み」が完成するとの期待を抱かせるに十分だった。

 しかし中教審の本格論議以前に、この21世紀型能力を採用しない方針が事実上決まっていた。代わりに文科省事務局が議論を誘導したのが、「三つの柱」の原型だった。要するに「学力の3要素」との整合性を重視する方法を選んだのだ。

 本来、資質・能力は国際バカロレア(IB)の「10の学習者像」のような単純なものでも良かったのではないか。「明治以来140年」をうたうにしても、21世紀型能力はその現代的解釈として見事に通用する。

 そもそも「学力の3要素」に、妥当性はあったのか。学校教育法に規定する際、中教審に諮ったわけではない。きちんとした教育学・学習科学の裏付けもなく、文科省の政策的判断として立法されたにすぎない。つまり「教育」ではなく「政治」だ。

 中教審答申は、「三つの柱」が「2030年に向けた教育の在り方に関するOECDにおける概念的枠組みや、本年5月に開催されたG7倉敷教育大臣会合における共同宣言に盛り込まれるなど、国際的にも共有されている」としている。後者について、伊勢志摩サミットで配られた「リーマンショック時並み」という妙な資料と同レベルとは言わないが、同様の国内向けである色彩が濃い。

 文科省が説明する通り、確かに米国のカリキュラム・リデザイン・センター(CCR)によるカリキュラム・デザインのベン図にある三つの円が「三つの柱」に対応しているのだが、「知識」の円が知識・技能に、「スキル」の円が思考力・判断力・表現力にという対応関係は合っているのか。「人間性」に至っては、むしろ同センターのアイデアを拝借したものと言うべきだろう。

 もちろん21世紀に向けたコンピテンシー・ベースのカリキュラムをどうデザインするか、国際的にも定説があるわけではない。だからこそ今後10年、学校現場と研究者を総動員した実践研究によって検証と模索を続けるべきだ。少なくともその間、政治的な判断は極力排除したい。

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