« 【社告】本社配信記事が入試に出ました! | トップページ | 【内側追抜】沖ノ島、世界遺産は条件付き »

2017年5月 3日 (水)

【池上鐘音】ザラ紙と書院

▼会社に入って1、2年、原稿を書くのが恐ろしく遅かった。ザラ紙ペラ(1枚)10行の原稿用紙に書いては直しを入れるだけでも足りず、切り張りを何枚も重ねたあげく書き直しては無駄な時間を使っていた▼劇的な変化が訪れたのは、ワープロを使い始めてからだった。推敲が何度でもでき、しかも紙を無駄にしない。相変わらず要領は悪かったが、スピードは段違いだった。学生時代に使っていた他社の古い機種に比べ、「書院」シリーズは物書きにふさわしく感じられた▼憲法施行70年は、朝日新聞阪神支局襲撃事件から30年でもある。たまたま関西に滞在しているので、きょう兵庫県西宮市の同支局資料室に行ってきた▼社屋は建て替えられたが、銃弾を受けた応接セットが当時のように置かれている。脇腹に穴の開いた小尻智博記者(当時29)のブルゾンも痛々しいが、胸を突かれたのは血染めの原稿用紙だった。朝日は当時ペラ6行だったらしい。写真を撮るのもためらわれたが、意を決してシャッターを切った▼別のガラスケースには犯行声明文の実物と、犯人が使ったと同型のワープロが展示されていた。「書院」だ。小子が使っていたものより、相当旧式だった▼実は1987年当時、あまり事件に衝撃を受けた記憶がない。世界情勢では米ソ対立、学内情勢では「せん滅」が日常用語として飛び交っていて人が殺される感覚がマヒしていたのかもしれない▼事件の存在が徐々に大きくなっていったのは、やはり会社員時代だった。それも度重なる言論テロにというより、同紙の連続企画「『みる・きく・はなす』はいま」を読み続けてである▼資料室には、小尻記者の新人あいさつ文もパネル化されていた。「自分が読んでよかったと思える記事が書ければ、と思う」――小子が数年後に気付いたことが入社時に分かっていたとは、赤面するばかりだ▼たまたま派遣された事件現場で登校する生徒の背中にすらシャッターを押せず、決定的に記者失格であることを自覚した。会社を辞めても、しょせんは毒にも薬にもならない駄文を連ねるライターふぜいである▼それでも記事を書く矜持と覚悟は、常に持っていたいと思っている。「マスゴミ」「死ね」の言葉が飛び交うネット社会にあってこそ、正確で信念を持った報道が必要なのだと改めて教えてもらった気がする。小尻記者は、個人が狙われたわけでは決してない。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

|

« 【社告】本社配信記事が入試に出ました! | トップページ | 【内側追抜】沖ノ島、世界遺産は条件付き »

コラム」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506419/65230725

この記事へのトラックバック一覧です: 【池上鐘音】ザラ紙と書院:

« 【社告】本社配信記事が入試に出ました! | トップページ | 【内側追抜】沖ノ島、世界遺産は条件付き »