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2018年12月24日 (月)

【池上鐘音】明治と平成

▼フリーに休みはない。平成最後の天皇誕生日も、原稿を書いていた。19日に文部科学省が開催した、明治150年記念の教育シンポだ。政権への忖度(そんたく)がはびこる中、やっと年内に間に合わせたかのように設定された割に中身はまともだった▼教育史で明治といえば、真っ先に思い浮かぶのは元年ではなく5年(1872)の学制発布だろう。しかし、それに先立つ明治2年に京都では町衆が竈(かまど)金を出して64校もの小学校を日本で初めて創設した――パネリストとして登壇した門川大作市長のそんな話を、毎度のことと思って聞き流していた▼あらかた書き上げ、疲れた頭をクールダウンさせようと読みかけの『仏教抹殺』(鵜飼秀徳著、文春新書)を開いた。明治150年は、廃仏毀釈(きしゃく)150年でもある。浄土真宗の僧侶でもあるジャーナリストが各地をルポした最終章は奈良、京都だ▼全国各地を取材していると、寺と隣接する小学校が多いのに気付く。沿革に寺の境内で創立されたことを記す学校も珍しくない。しかし同書によると京都でスピード整備ができたのは、廃仏毀釈で廃寺となった跡地に伽藍(がらん)を転用して校舎を新設したからだ▼「神道そのもののシンボルとなった天皇家もまた、神仏分離政策に翻弄(ほんろう)された存在だった」(同書)こともまた、維新の側面である。いま我々が信じている日本の「伝統」も、わずか150年ほど前に創られたものが少なくない。学校教育も、そんな危うさの上に建てられている。

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