« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019年5月

2019年5月21日 (火)

「やってる感」全面展開の実行会議11次提言

 これで今でも「大方針」だと胸を張れるのだろうか。

 政府の教育再生実行会議がまとめた第11次提言は、19ページだった1月の中間報告に対して33ページにわたっている。確かに「作文」としての統一性は取れているが、中身はゴミみたいな提言の寄せ集めにすぎない。

 「今が取り組むべき最後のチャンス」「対応が遅れた場合、我が国は新たな国際競争の大きな潮流の中で埋没してしまうおそれさえあります」――。確かにSociety5.0時代を控えて、問題意識だけは大言壮語だ。しかしICT(情報通信技術)が「マストアイテム」だという割に、地域格差の拡大が深刻になっている環境整備に関しては要因・背景を分析して対応を可及的速やかに行うだの、教育委員会だけでなく地方公共団体全体に直接かつ継続的な働き掛けを行うだの、極めて具体性・有効性に欠ける。

 奇妙なことだが、むしろ同会議に参考資料として示された自民党の教育再生実行本部第12次提言、とりわけ「次世代の学校指導体制実現部会」の提言の方が、はるかに具体的だ。文章も整いすぎるほど整っている――というより、いつもよく目にするような言い回しにあふれている。きっと霞が関あたりの優れた「文学者」が書いたに違いない。

 そんな党「本部」提言の中にも、極めて珍妙な文章がある。「高等学校の充実に関する特命チーム」提言だ。そこでは、高校制度が「昭和の学校」から脱却し切れていない状況にあり、今こそ「令和」にふさわしい高校へ生まれ変わることが必要だと指摘する。良くも悪くも高校改革が「平成」の時代に進行した歴史を知らないのか。少なくとも、それに対する総括はない。

 そうした「昭和」の頭で提言されたのが、高校普通科の改革だ。党「本部」提言にはサイエンス・テクノロジー科だのアスリート科だの事細かな「改正イメージ」が示されて、肝心の政府「会議」提言では四つの「類型の例」にまとめられているが、今さら細分化の発想はいかがなものか。それでいて文系・理系のバランスが取れた科目履修を求めるなど、今以上にカリキュラム編成を窮屈にするような矛盾した提案を平気で並べている。

 実行会議は、確かに第2次提言ぐらいまでは是非はともかく「実行」のスピードに目を見張るものがあった。しかし発足から6年が過ぎ、10次以上を重ねるまでもなく「やってる感」で出し続けているような提言が目に付く。第11次は、その際たるものだ。

 こんな「大方針」を受ける中教審も大変だと同情したくもなるが、おそらく心配はないだろう。官僚の頭の中で、ある程度の整理はできているに違いないからだ。たとえどこかに忖度(忖度)したかのようなゴミを寄せ集めた提言でも、である。

 そうして答申にこぎつけたとしても、教育現場にとって困難な現状を打開するような施策が出てくる期待は現段階で薄いようにしか思えてならない。文教政策の形成をめぐるそうした空虚さ自体が、実は深刻な問題なのかもしれない。
 

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

| | コメント (0)

2019年5月 6日 (月)

初中教育諮問〈2〉 「人員増」じゃない? 徹底追及を

 10連休明けに当たる7日付の『内外教育』(時事通信社)に、注目すべき記事が2本載っている。中央の動きを伝える「スポット」欄の「教員弾力配置へ標準法見直し」と、取材メモから裏話も含めて伝える「インサイド」欄の「財務省も納得?」だ。

 やはりネット時代にあっても、専門誌は購読すべきものである。記事の内容は、ぜひ当該誌で確認してもらいたい。ただ、「現状の人員のまま」(スポット記事)と「教科担任制イコール人員増」のイメージを文部科学省の初等中等教育局担当者が否定したくだり(インサイド記事)は看過できない。

 とはいえ中央教育審議会では4月17日の総会で諮問直後に自由討議が1回行われただけで、初等中等教育分科会に至っては8日の開催予定である。たとえ真偽を尋ねても、現段階で方針は「何も決まっていない」と言われるのが関の山だろう。これは業界用語で言う「観測気球」の可能性が高い。未確定情報を一部報道機関に流して、関係者や読者の反応を見ようとするものだ。

 しかし本社は、かなり確度の高い検討方向ではないかとみる。インサイド記事にもあるように現下の情勢では、教員の純増につながるような教職員定数改善に「財務省が納得するわけがない」。だからこその「弾力配置」だ。

 本社は先の社説で、小学校の教科担任制が教職員配置と免許制度の「義務教育9年間」に関係してくる出あろうことを指摘しておいた。そう考えれば、スポット記事で紹介されているような案は容易に思いつく。だからこそ焦点は、定数増につなげられるかどうかにあった。記事を読む限り、予想の中では最低の案だ。

 そもそも、この時点で手の内を明かすこと自体に文科省の限界が露呈していよう。表向きは現状維持に見えて、実は純増せざるを得ないような仕組みをたくし込むような高等戦術を仕掛けているのなら別なのだが。

 記事にあるような「配置」は、現場からいって机上の空論であることは明らかだ。しかも中学校教員に更なる負担を強いるもので、働き方改革に逆行すると言っても過言ではない。「専門性の向上」など、昨年論じた免許外教科担任制度の協力者会議報告と同根のフィクションにすぎない。

 せっかく観測気球が上がったのだから、ぜひ中教審の委員・臨時委員には徹底追及を期待したい。その過程でようやく、新時代の在るべき教職員定数について議論の端緒が開けよう。たとえ定数改善が実現しなくても、である。文科省の腹案のままでは、ますます現場を窮地に陥らせる「改善」が行われかねない。

 もっとも最近、間違いや不正確な記事配信も少なくない本社のことである。ポイントや読みがずれているかもしれない。だからこそ中教審等では事務局に丸め込まれることなく、徹底的に議論してもらいたい。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

| | コメント (0)

2019年5月 1日 (水)

【池上鐘音】新元号の呪縛

▼田中秀征・元経済企画庁長官へのインタビュー集『平成史への証言―政治はなぜ劣化したか』(朝日新聞出版)を読んで、はっとさせられた。「二、三百年に一度の世界的変動」に際しながら、選挙制度改革にかまけて「冷戦の終わりに何をすべきかという認識が著しく欠けていた」「さらに深刻なのは、それから三〇年が経ってなお、日本の針路について、多くの国民が合意するような政治の方向性が明確になっていない」 という指摘だ▼田中氏は民主党政権を評して、反自民勢力の「受け皿政党」という戦略が一番の問題だったと喝破する。一方、自社さ政権で当時の社会党が方針転換したのと同様に自民党も「憲法尊重に転換するというようなことを明確に打ち出せればよかったと悔やまれてならない」と振り返っている▼もちろん、それは宮澤喜一・元首相の側近として「保守本流」を自任した田中氏の、保守二大政党を志向する立場からの回顧である。さらに言えば、自民党政綱に「現行憲法の自主的改正」を入れることを主導した傍流の旧日本民主党系とは対極にある▼きょう改元があった。前回に比べて生前退位というお祝いムードの中、詳細な制定過程についても報道で明らかにされたことが大きな特徴だろう。そこから浮かび上がったのは、政令で定められる元号には首相の意向が強く働く余地があるということだ。裏を返せば徳仁新天皇の在位中、安倍晋三首相の“好み”に呪縛され続けることになる▼元号が改まって国民にも明るい新時代を期待する声が高まっているようだが、田中氏の言う「宿題」は残されたままだ。「官僚が『国民主権』というものをいまだに理解していない」とも指摘しているが、国民自身も十分に理解していないとしたら事態はもっと深刻かもしれない▼退位の日まで憲法に基づく象徴天皇の在り方を徹底して追求した昭仁上皇とは対照的に、 安倍首相は岸信介氏の孫として改憲にひた走っている。第1次政権の時に比べれば表向き謙虚な姿勢を取ってはいるが、国会で野党を冷笑するような答弁も端々にみられる。有力な元号候補として十七条憲法を典拠とする「和貴」が一時浮上したというが、 令和が「冷和」にならないことを祈るばかりだ。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村

 ↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます

| | コメント (0)

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »