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2019年12月

2019年12月31日 (火)

【蝦夷鐘音】変化の吉凶

▼2018年末は、閉塞感しか抱けなかった。主因は、長期にわたる安倍政権である。強力な官邸の統制下、行政がゆがめられたと言われる中で文教行政も明らかな行き詰まりを見せていた▼極め付けは、19年9月の内閣改造で萩生田光一氏が文科相に就任したことだ。加計学園問題など、なかったかのように。しかし、その萩生田文科相自身が墓穴を掘るとは思わなかった▼大学入学共通テストの英語民間試験をめぐる「身の丈」発言で政権は、まさかの延期を即決した。首相の懐刀である萩生田氏を守るためだった、という観測がもっぱらだ。しかし批判の高まりに記述式問題まで見送っては、大学入試改革どころか「教育再生実行」路線にまで疑問符が付く▼安倍一強の下で尊大になり過ぎた「お友達内閣」「官邸官僚」にほころびが出始めたことは、悪いことではない。一方で気になるのは、世間の反応だ▼「受験生を実験に使うな」は、まだいい。中途半端な改革は、もっと検証されていい。しかし「センター試験に戻せ」とまで言うのは、いかがなものか▼今般の「入試」改革を擁護するつもりはない。しかし「高大接続改革」、とりわけ高校と大学の「教育」改革こそが本丸である。その点が一般に理解されていないのが残念だ▼理解されていないといえば、改正給特法もそうだろう。もともと1月の中教審「働き方改革」答申にして限界があるもので、そこから出てきた1年単位の変形労働制も自ずと限定的だ。だから4月の「新しい時代の初等中等教育」諮問で延長戦に入ったわけだし、文科省も「働き方改革は総力戦」と予防線を張っている▼しかし、過酷な教員勤務実態の矛先がすべて給特法に向かってしまった。これは文科省も想定外だったろう。一方で次々と「上から降ってくる」改革に諾々と従っていた教育現場が声を上げ始めたのは、遅きに失したくらいだ▼何か変化が起こっている。そうした予兆を感じさせる19年の末である。ただ、それが吉と出るか凶と出るかは判然としない。混沌(こんとん)の20年に向けて、いま何を考えるべきだろうか▼本稿は帰省途中の札幌で執筆している。それゆえ表題もしゃれてみた。来年こそ皆さまと教育界にとって、よい年であるよう願わずにはいられない。

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2019年12月16日 (月)

【内側追抜】某オープニングイベントにて

「今年の大河ドラマなんか見ちゃいないけど、今回に限って言えば間違いなく、あたくしのオリンピックでしょう」

   ――某首相

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2019年12月 8日 (日)

PISAの「低下」 安倍政権の責任も大きい

 3日に発表されたPISA(経済協力開発機構=OECD=の「生徒の学習到達度調査」)2018の結果について、各紙が1面トップなどで大きく取り上げた。今回の中心分野となった読解力が、得点も順位も大きく下がったからだ。文部科学省も発表資料で、統計的に有意に低下したことを認めている。

 ささやかな疑問が幾つかある。一つは、数学的リテラシーと科学的リテラシーを「引き続き世界トップレベル」と片付けていることだ。しかしOECD当局のカントリーノート(国別概要)を見ると、「読解力と科学的リテラシーについては、最近の傾向として明らかに低下した」と、科学的リテラシーの平均得点についても統計的に有意な低下を認めている。数学的リテラシーに関しても、「一見して明らかな安定」により見えにくくなっているが「習熟度上位層の得点は低下傾向にあった」と指摘している。

 読解力については、OECDの分析を紹介する形で「長期トレンド」としては統計的に有意な変化が見られない「平坦」タイプだとしている。確かに当局が今回そう紹介しているのだから、その通りではある。しかし、待ってほしい。文科省はPISA03が発表された段階で文科省は、既に「世界トップレベルとは言えない状況」と言っていたではないか。しかも06と続く低迷を経て09以降は「V字回復した」というストーリーまで付けて。

 PISA03の結果が発表された04年末は、依然として「ゆとり教育」批判が冷めやらぬ時期だった。既に学力向上路線にかじを切っていたにもかかわらず文科省が公式に「学力低下」を認めたことで、「ゆとり教育を反省して改めた」という“誤解”を広げた。もちろん省内にも誤解を広げるような言動をしていた者がいたのだろうが、一方で非公式スポークスマンにとどまらず「ゆとり教育」は修正されていないと認識している者は、当時の幹部の中にさえ少なくなかった。

 「ゆとり教育」論は過去にさんざん論じたし今回の本論ではないので繰り返さないが、要するに文科省はご都合主義でデータの解釈を示す可能性が大いにあるということだ。表向きは「エビデンス(客観的な証拠)に基づく教育政策」とうたっているが、むしろ現実には政権への忖度(そんたく)を優先していることは周知の通りだろう。永田町を通して世論が表れている、などという珍奇な論理も勘弁してほしい。

 一方、OECD当局の「エビデンスに基づく」指摘と併せて考えれば、相当な危機だと深刻に受け止めるべきだろう。確かにアンドレアス・シュライヒャー局長は、日本向けのインターネット記者会見で「学習指導要領の改訂は正しい方向に向かっている」と楽観視している姿勢を示した。これも誰かがそう注進しているからだろうが、国内的に見れば指導要領の理念の実現自体が決して楽観視できる状況にはない。

 後出しジャンケンで恐縮だが、本社は今回のPISAで日本の結果は低下するだろうと予想していた。上がる要素がないからである。そもそも前回のPISA15の結果発表自体、おかしかった。低下傾向が現れたことに、もっと危機感を持った分析と発表をすべきではなかったか。そうしなかった理由は明白だ。指導要領改訂の中央教育審議会答申を直前に控えていたからである。多くのマスコミも文科省発表を素直に受け止めて、そう問題視しなかった。

 そんな程度なら、今に始まったことではない。役人の常でもある。もっと重大なのは、12年をピークにして少なくとも読解力が低下傾向に入ったということだ。何が言いたいか。12年末に、政権交代があったことである。

 安倍晋三首相は「民主党政権に比べて良くなった」と自らの成果を強調することを常としている。しかし第2次安倍政権以降、PISAの少なくとも読解力は明らかに低下したではないか。「世界トップレベルの学力」を政権の重要課題として掲げ続けているのに、である。

 理由は明らかだろう。安倍政権はこの間、学校現場を良くする条件整備に本気で取り組んでこなかった。「なんちゃって教職員定数改善計画」も含めて、だ。スローガンだけの無策で、後は現場の努力に丸投げしてきた。その帰結が、多くが過労死ラインを越えて働く教職員の過酷な勤務実態ではなかったか。「学校の働き方改革」にも政権の無策ぶりが発揮され、文科省の対策も基本的には3年後の勤務実態調査に先送りされる極めて限界のあるものにとどまった。教職給与特別法(給特法)の改正が批判されているが、改正給特法だけが悪いわけではない。文科省がどうでもいい改革しか提示できなかったことをこそ問題視すべきだ。

 もちろんPISA型読解力の低下には、いろいろな要因があるのも確かだ。しかしICT(情報通信技術)機器の整備ひとつ取っても、政権の無策さが招いた結果と言っても過言ではない。とりわけ「世界トップレベル」を掲げ、かつSociety5.0への対応に執心している政権である。なぜ、トップを維持するコストに関心が向かなかったのか。

 少なくとも読解力だけは「世界トップレベル」でなくなったことに、政権としても深刻な反省をしなければなるまい。だからこそ今回は、年末に向けて深刻に受け止め予算編成に反映させるのがエビデンス・ベースというものだろう。よもや第1次政権のように「教育界」にダメ出ししたり、不祥事続きの文科省に責任を押し付けたりはすまい。「平静」を装って柔らかい言葉遣いで実質は恫喝まがいの姿勢を取ることも、同様である。

 

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